備忘録

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします


Sunday, October 31, 2004

「バンビーノの呪い」がついに解かれた。メジャーリーグのボストン・レッドソックスが、田口選手の所属するセントルイス・カージナルスを見事に4タテで破っての世界一に。凱旋パレードには、今年初めにやはりチャンピオンとなったアメフトのニューイングランド・ペイトリオッツの時の150万人を大きく上回る、320万人ものファンが繰り出して盛大に祝ったそうだ(ちなみに、ボストン市の人口は57万人)。ああ、その場に居たかったなあ。

なんと言っても、この歴史的な瞬間を作り上げた立役者は、昨年はスキンヘッドで駄目だったから今年は長髪だあと、野武士集団の装いそのままに、「idiots(愚か者達)」と自分たちを揶揄しながらも信じられないほどの粘り腰でプレーした選手達であることは疑いもないけれど、そうした選手の力を余すことなく発揮させる雰囲気を作り上げたスタッフの力も称賛に値するだろうと思う。それは、選手の誰もが、決してお世辞とは思われないほど心底から、チームドクターやトレーナーに対して惜しみなく感謝の気持ちを述べていることからもうかがい知れよう。

そして、この歴史的な集団を作り上げた功労者は、なんといっても、2年前に28歳で史上最年少GM(全てのチームメンバーの決定権を持つ責任者)となったエプスタインだろう。地元出身で、自身の熱い思いもさることながら、冷静に戦力を分析する眼力たるや。過去の名だたる名監督も及ばないほどの成績を就任以来の2年間で残しながら、ここ一番でのチームの爆発力を引き出す手法に疑問を抱くや、あっさりと前監督を更迭し、監督としての実績はこれまで高く評価されていなかったフランコーナ監督を新たに抜擢。優勝を狙える選手を集めた上で、これだけの個性派集団をまとめ上げる力量を持った唯一の人物として、人柄を重視してフランコーナ監督を探し出してくるところに、そのGMとしてのすごさがある。フランコーナ監督の監督としての能力の高さもまた、ヤンキースとの第4戦以来8連勝で頂点に立ったことや、第5戦の8回で同点に追いついて以来一度も相手にリードされることなく勝ち切っている完勝ぶりに見て取れると思う。

日本のプロ野球では、来期からの参入を目指して2つのチームが名乗りを挙げているけれども、いずれのチームも実際の選手の顔ぶれも分からないうちから監督を決め、「このスタッフで優勝を目指します」と豪語している。エプスタインGMの仕事ぶりを目の当たりにすれば、これがいかに根拠の無い自信であるかが分かろうと言うもの。試合を戦うのはあくまでも選手であり、それを指揮する監督自身ではないのだから。

いずれにしても、今年はペイトリオッツ(今シーズンに入っても負け知らずの6連勝中)とレッドソックスの優勝という思いもかけないプレゼントをもらったし、新天地での新たなスタートを切ることになったし、かなり思い出に残る年になりそうだ。


Tuesday, September 7, 2004

バタバタと毎日を過ごしていると、いろいろなことがこれまたバタバタと進んでいってしまうものだけれど、来月から岐阜に研究の拠点を移すことが決まり、いつにも増して慌ただしい日々を送る今日この頃。

新しい職場は、岐阜市郊外にある岐阜大学で、今年4月に農学部から改称した応用生物科学部の助手に就任することに。食品生命科学課程に所属することになるので、これまでの仕事をそのまま継続するということではなく、それを土台にしたプラスアルファが求められることになるが、新しい環境を飛躍のチャンスに変えられるように、ここは積極的に新領域を開拓してみようと思っている。

仕事もそうだが、住まいとなる中部地方もまたまったくの未知の領域になるけれども、目新しさが増えればこのサイトの更新のネタも増えるに違いない。ということで、岐阜発やべっつ・ねっとにも乞うご期待。


Monday, July 19, 2004

この欄で、故郷の天栄村についての話題を取り上げるときの心境といえば、「へえ、おらほの田舎でも、今はこんなごとしてんのがあ(私のふるさとも、今ではこんなに立派になってねえ)」という感心することしきりの心持ちというのがもっぱらだが、その度合いも頂点に達するような話。

月曜午後9時のフジテレビのドラマといえば、プロ野球のナイター中継が普通は無いこともあって、定番のいち押しドラマ枠ということになっているらしいけれども、今放映中の「東京湾景」で準主役を演じている「和田聡宏」が、なんとまあ天栄村出身の役者とのこと。残念ながらこのドラマを見る機会も無く、どんな役者だか実は知る由も無いのだが、「BULLET BALLET」を皮切りに、「ホテル・ハイビスカス」や「バトル・ロワイヤルII」など、ここ4年ほどの間に6本の映画に出演しているというし、CMにもちょくちょく出ているというから、まあ世間では「人気のある」俳優に違いない。妹と一つ違いということもあって、もっぱらの情報源は妹からだけれど、高校卒業後は美容師として働いていたというから、千載一遇のチャンスをしっかりとつかんだ末に、才能を花開かせたということになろうか。

僕自身は、面識も無いし、映像の中でも拝見したことは無いのだけれど、なんだか同じ故郷出身の若者が、日本中の人に注目されつつ頑張っているというのは、悪い気はしないなあと思った次第。ほんと、おらほの田舎もすごいことになったのお。


Sunday, July 4, 2004

平穏な日曜日の夜に、突如鳴り響く打ち上げ花火の音。我が家のベランダから北東の空に明るく開いた花火の音を聞きながら、夏祭りにしては季節外れだし、こんな間近で花火が打ち上げられるなんて聞いていなかったけどなあ・・・、とふと思ってからはたと気がついた。今日はアメリカ合衆国の独立記念日だった。

我が家のある国分寺市は、アメリカ空軍第374空輸航空団を擁する「横田基地」のある福生(ふっさ)市のまさに目と鼻の先。かの大音響の花火は、横田基地から打ち上げられた、独立記念日恒例のものであるらしかった。日本に住んでいれば、アメリカの独立記念日などという行事は、まったくといっていいほど話題に上らないこともあって、この突然の打ち上げ花火の音を聞くまで、独立記念日のことなど頭に浮かびもしなかった。とはいえ、本場のお祭り騒ぎの中に身を置いていた日のことが、花火をきっかけにしてふうっと頭を過るこの感覚も、悪くないかもしれない。

アメリカといえば、メジャーリーグ・ベースボールもオールスター戦が近づいてきて、そろそろ前半戦を終える頃となってきた。ひいきのボストン・レッドソックスの最近の失速状態に心配の種が尽きない状態だけれど、それ以外にも大家投手(エクスポズ)の骨折のことやデビルレイズの大躍進のこと、はたまた歴代最多四球の記録にあと一つと迫ったボンズのことなど、目がはなせない状況も続いている。

そんな中、最近楽しみにしているのが、カージナルスで活躍している田口壮選手の運営するウェブサイト。なんと毎日の試合終了後の選手の生の声が聞けるという、なんともぜいたくなサイトなのである。今年のカージナルスは、成績も好調な上、田口選手の働き場所もきっちりと確保されている状況なので、このままワールドシリーズまで突っ走ってもらって、その場の雰囲気を是非田口選手に伝えてもらえたらなあと願っている。もちろん、そのワールドシリーズの相手は、レッドソックスで決まりだけれど。


Sunday, June 27, 2004

moji
いきなりだけれど、この文字は僕の名前をヒエログラフ(古代エジプト文字)で表したもの。ホント便利な世の中になったとは言い古されたフレーズだけれど、こんなおよそ縁のない文字表記ですら、ちょちょいとキーボードを叩くだけで表示されちゃうんだから。というのも、「多言語文字変換屋(http://www.mojio.net/)というサイトで、自分の名前をいろいろな文字に変換してくれるサービス(?)をしてくれるのだ。これがいったい何に役に立つのかということは、まあ、まあ、良いとして。おもしろい、でしょ。

ところで、こんなサイトを見つけたのには訳があって、実はマヤ文字で自分の名前を表してみようと、あちこちとインターネットサーフィンをしていたら、そこにたどり着いたというもの。ところが、この多言語文字変換の候補には、なんともマヤ文字は入っていないのは残念至極。もっとも、完全にマヤ文字の表音文字が解明されたのかどうかは知る由もなく、もし読者の方で知っている方がいたら教えていただきたい。

maya
マヤ文字とはそもそもどんな文字かというと、右のようなもので、紀元前400年頃から1600年代中ごろまでのメソアメリカに栄えたマヤ文明が使用していた文字。見ての通りこれがなかなかかわいい文字で、自分の名前がこの文字で表されていたら、実に目立って良いのではないかと思った次第。およそ名前とは気付かれないかもしれないけれど。

ちなみに、世界中で使われている文字は現在28種類あるそうで、その他にこのマヤ文字のような歴史的に使われていた文字が89種類あるそうだ。どんな文字があったのか興味ある方は、中西印刷が運営している「世界の文字(http://www.nacos.com/moji/)」を覗いてみては。さらに、もうちょっと深く文字やその文化について知りたい(でも単刀直入に)という方には、「AncientScripts.com」がおすすめ。全て英語で書かれているのはご愛嬌だけれど、例えばひらがなとカタカナの解説は、なかなかに「言い得て妙」といった趣で、外国人に日本語を説明する時にはかなり役に立つこと請け合いである。

まあ、文字はただ名前を表すだけにあるのではなく、言葉を表すために使えるようにならなければ、その奥深さも半減することは間違いないが、それを興味のおもむくままに習得しようとする時間は・・・ないかあ。


Sunday, June 20, 2004

気がつけば約3ヶ月ぶりの更新。安否を気づかって下さる方々からいくつかメールをいただいたりして、まことに申し訳ない。いつものこととはいえ心配ご無用の我が身たるや、相変わらずエネルギーを無駄に使いながらも、身体的にはいたって元気な毎日を送っている。

3ヶ月も経てば当然だけれど、季節はすっかり夏の様相で、ここのところの東京地方は、梅雨の中休み(すっかり梅雨だなんてことを忘れるくらいの長い休みだが)と称する、ストレスのない暑さが続いていて、これがなかなかに心地よい。

さてさて、久々の「備忘録」ということもあり、この3ヶ月に起こったことをざっと並べてみることにする。あくまでも、我が身の老後の記憶の手助けに。

3月 月末に行われたヤンキーズ対デビルレイズのMLB日本開幕戦のチケットは、残念ながら手に入れることが出来ず、しかたなくその前哨戦となった阪神タイガース対デビルレイズの試合を観戦するため、久々の東京ドームへ。

4月 年度が替わり、現在の職場である研究所の最後の契約年度に突入。日本に帰国してから早3年目ということになるが、またまた気合いの入る1年がやって来たことになる。先のことは心配しても仕方ないので、まずは現在の仕事を全うすることに専念、という気持ちで精進するいつものスタンスで残りの期間を過ごしたい。

職場のグループに新人さんが加入したこともあって、我が家を開放してビアパーティなんぞを主催。総勢11人のにぎやかな雰囲気に圧倒されたか、我が家の気の小さい愛猫にとっては受難の1日に。

5月 連休に重なるように「周到に」用意された生家の田植えのために帰省。小雨の降る中、久々に泥まみれの野良仕事と大勢の人々との共同作業に汗を流した。ついでに、筋肉痛の感覚も久々の体験。

15日から4日間の日程でHFSPの年会が箱根で行われた。この国際会議が日本で行なわれるのは初めてとのことで、会場となった箱根プリンスホテルのスタッフの張り切りようが伝わってくる印象深いものだった。特に今回はヒューマンフロンティアの創立15周年ということで、総理大臣当時に発起人の一人となった中曽根康弘さんの挨拶まで組まれ、あたりのSPだらけのものものしさも、僕にはなかなかに新鮮な雰囲気だった。肝心の年会の方は、世界中から集まった野心あふれる研究者の卵たちの心意気に圧倒されつつ、大いに刺激を受けて大満足。

月末には、東北大学時代の恩師で現在は創価大学教授を務めている一島英治先生の、70歳記念講演会が催されて出席した。午後2時から5時までの3時間という長丁場を、ほぼ休みなく講演し続けた(スライド実に180枚!)先生のそのパワーに感服することしきり。大学ではまだしばらく特任教授というポストで働かれるとのことだが、古稀を過ぎてなおのあのバイタリティーがあれば、それも当然のことだろう。定年退職の際には、さらなる長丁場の講演にも挑戦したいとのこと。先日の学会では、会場で会うなり食事に誘われてカレーをご馳走になったことだし、まだまだご指導をよろしくお願いします、先生。

6月 実験補助員を雇うこととなり、生まれて初めて面接なるものを「される側」ではなく「する側」で経験した。インターネットの力たるやものすごく、ありがたいことに海外からを含めて多数の方の応募に、我が身の引き締まる思い。その中の一人の方には7月から早速一緒に働いてもらうことになるが、責任感が増す分だけ「良い仕事」への思いも強くなる。

と、まあざっとこんなことがあった3ヶ月。現在書き進めている2つの論文と、大阪で行なわれる神経科学会や横浜で行われる生化学会の準備もあるので、またいつ更新出来るか見当がつかないけれど、「息抜き」にこのページを書いていたボストン時代の感覚だけは忘れないようにしたい。

老後のためにも。


Sunday, March 21, 2004

flower
3月も半ばを過ぎ、すっかり春めいた陽射しがさしこむようになって、東京では桜の開花宣言もなされたというのに・・・、昨日の多摩地方はなんとまあ朝からぼた雪の降る真冬に逆戻りの天気に。我が家のベランダの花壇も、いよいよ春本番に突入というその時に、そんな天気の気まぐれが突如としてふりかかってきたものだから、朝から花々の避難にてんやわんやであった。

そんな最悪の天候のさなか、昨年からスイスのチューリッヒにある連邦工科大学の教授となったMIT時代のボス、Peter H. Seeberger教授が早朝の便で東京にやって来た。月曜から3日間の予定でシンポジウムなどに参加するための来日だとか。昨年の年末に来日した時には、2週間で東京から福岡までの各都市で8つもセミナーをこなすという強行日程ぶりだったが、今回は木曜日の早朝にはチューリッヒに向けて飛び立つ予定で、いくら若いとは言え(僕よりわずか4つ年上!)、やはりこのくらいの日程の方が良いとぼやくことしきりだった。

今回は格安チケットで来日したこともあって、土曜の夜にすっぽりと日程のすき間が出来てしまったとのことで、急遽僕が酒の飲み相手として呼び出されたというわけである。東京に戻ってから丸2年が経つけれど、これで2度目の再会となるPeterとは1年に1度会っている計算になり、これもなかなかの縁ということになる。今回は、初めて紹介することとなる嫁さんと連れ立っての食事となった。

宿泊地の池袋で午後5時の待ち合わせ。久々に会っての挨拶もそこそこに、早速Peterからお土産をいただいたのだが、その中身は・・・なんとまあスイスチョコレート。備忘録の長年の読者にはおなじみだけれども、僕がボストンに住んでいる時に、日本からお客さんが来るたびに携えてくるお土産が、決まってチョコレートだったことをにわかに思い出したりして、いやはや嬉しいのなんのって。

cat
食事は、和風居酒屋でしこたま日本食を堪能した後、ビールバーに場所を移して世界のビールを正味。気がつけばなんと再会の挨拶からとうに4時間が経っていた。その間、ああだこうだと世間話が延々と続いていたわけだが、ふと考えてみれば仕事にまつわる話をただの一言も喋っていないのは、果たして研究者として良かったのか悪かったのか。まあ、年の近い、気の置けない仲間であることだけは再認識されたのだが。

それにしても、アメリカのサンディエゴにも研究室を持つ多忙ぶりで、まさに世界中を飛び回って研究を続けている姿を見せる一方、スイスの自宅はおろか、故郷のドイツの御両親の家にまでも招待してくれる気さくな面が、このボスのなんとも言えない魅力なのである。少しでも近づけるよう精進して、早く対等の立場で酒を酌み交わしたいものだ。

ところで、「Tomioの顔を見てみたいから必ず写真を撮って来てくれ」と研究室のメンバーから頼まれたとのことで、写真をぱちぱちと撮られたのだけれど・・・、顔見知りのいないスイスの研究室の中で、僕はいったいどんな噂の人になっているのやら。


Sunday, February 15, 2004

NHKのとある番組を見ていたら、ミレーやコローに代表されるバルビゾン派の絵画を紹介をしていた。実は、この印象派に道を開いたと言われるバルビゾン派の絵画には思い入れがあって、僕が茅ケ崎に住んでいた1996年11月に、すぐお隣の平塚市美術館で開催された「ミレーとバルビゾン派の画家たち」という企画展を見て以来のファンである。おまけにボストン美術館には、このバルビゾン派と呼ばれる、1830年頃からパリの南東フォンテーヌブローの森にある小村バルビゾンに集った画家たちの絵が、それはまさに所狭しと(廊下の壁にまで)展示してあったものだから、ますます好きになってしまったという代物。

バルビゾン派の画家たちは、当時は美化するに値しない(つまり絵を描く対象になり得ない)と思われていた主題、すなわちどこにでもある田舎の風景や、貧しい農民の生活を描くことで、格段に絵画美術の領域を広げた功績者たちである。しかし、歴史的な事件や英雄を描いてこそ芸術であると考えられていた当時にあっては、彼らに対する批判は凄まじかったに違いない。それにも屈することなく彼らが活動したからこそ、さらにその精神を受け継ぐ印象派の成功をみることになったのだろう。そんなことを考えながらさらにコローの絵を見ると、青く澄んだ空に伸びる何の変哲もない木々が、深く目に残ってくるのが心地よいのだ。

考えてみれば、世間の大勢に左右されずに、自分の価値観をひたすら信じてそれを行動に移すことほど難しいことはない。それは、芸術の世界に限らず、我々のような科学の世界でも、一般の社会生活の上でも言えることだろうと思う。しかし、200年ほど時間を経過した後に、フランスから遠く離れた異国の地でその絵に思い寄せている者が居ることを思えば、信念を貫くことの偉大さを身にしみて感じることが出来る。

果たして自分は周りに流されない信念を貫けるか、そもそもそれだけの信念を持てるのか、バルビゾン派の絵を見ながら勇気をもらいつつ、頑張るかな。


Sunday, February 8, 2004

スーパーボウルは、ニューイングランド・ペイトリオッツが一昨年に続く二度目の王者にめでたく輝いた。今回も、見る者の手に汗握る状況を十分に味合わせつつ、K(キッカー)ヴィナティエリ(2月1日参照)が勝利を決定する残り時間4秒でのフィールドゴールで決着。2年前のボストンでの興奮を呼び覚ますような嬉しい出来事を、1日遅れのダイジェスト版で試合を観戦して、こちらもほくほくした気分になった。この幸先の良さを、今年の残り11ヶ月になんとか反映させたいものだ。

ところで、この試合のMVPに選ばれたQBのトム・ブレイディは、4年前に第6ラウンドの199位でドラフト指名されたという選手。出身のミシガン大学でも、完全な控えだったという選手が、史上最年少でスーパーボウルのMVPを2度獲得した選手となった背景には、やはりヘッドコーチのビル・ベリチックの指導力があるのだろう。サラリーキャップ(1つのチームの選手の総年棒が制限される制度)のために、来年はがらっと顔ぶれを変えることになるけれど(活躍した選手の年棒が上がれば、当然雇えなくなる選手が続出する)、そこでまた今年のようなチームが作り出されるかどうか、ヘッドコーチの腕の見せ所となる。これもまた、今から楽しみだ。


Sunday, February 1, 2004

いよいよ、スーパーボウルが日本時間明日午前8時に迫った。前評判通りの実力を発揮して最終決戦まで登りつめたペイトリオッツと、下馬評を覆し通して金星を重ねつつ勢いよく勝ち進んできたパンサーズ。衛星放送でしか生で試合を見られない日本にあって、衛星放送の見られない我が家では、日本テレビの録画放送まで楽しみはおあずけなのだが、今からわくわくして明日一日はたいへんだ。

ところで、試合が接戦となった場合にキーになるのがフィールドゴール。その重責を担うのがキッカーということになるが、ペイトリオッツには、今やプロボウルにも選ばれるほどのNFLを代表するキッカーとなったヴィナティエリという選手がいる。彼は、小学生の頃は一種の知能障害を持つ子供で、学校では特殊学級で学んでいたそうだ。

本を読むにも字を書くにも、普通の子供の3倍の時間がかかる彼に対して、当時の担任の先生は、「おまえは、人の3倍努力してようやく人並みになれるんだ。もし、人の上に立とうと思ったら、他人の6倍努力しないといけない」とアドバイスしたそうだ。

このアドバイスを素直に聞き入れたヴィナティエリ少年は、他の子供が簡単にこなすことも、コツコツと時間をかけてひとつひとつこなしていき、焦らずに前進することを心がけ、その並々ならぬ向上心で数々の障害を克服し、子供時代からは到底想像出来なかった大学(サウスダコタ州立大)入学を果たした。そして、そこで彼は、アメリカンフットボールに出会い、Amsterdam Admiralsを経て、スーパーアスリートだけが存在するアメリカンフットボールの最高峰、NFLのペイトリオッツへと登りつめた。

きっとヴィナティエリは、他人の6倍の努力を子供時代から今も続けているのに違いないけれど、そのひとまずの集大成を明日の試合で見せてくれることが、またひときわ楽しみでもある。

そしてもう一つ、注目していること。それは、2年前のスーパーボウルで、挑戦者としての姿勢とチームの一体感を示すために、試合前のセレモニーで「We are Patriots!!」というアナウンスと共に全員で登場したやり方を、今回も踏襲するかどうかということ。このセレモニーでの選手紹介は、いわば先発選手にとって究極の名誉となるはずだが、それを放棄して、全員が主役というメッセージを再び発することが出来るか。つまりは、「挑戦者」という姿勢を今回も貫けるか、ということにまずは注目したい。

さて、どうなることやら。


Saturday, January 31, 2004

土曜日のお決まりの楽しみは、テレビ朝日で放送している「百寺巡礼」を見てから仕事に出かけること。この番組は、作家の五木寛之さんが日本の代表的な百の寺を2年かけて巡るという一種の旅番組なのだが、この旅を通じて日本の心の故郷を探そうという企画で、昨年から数えて今日40回目の放送を迎えた。さらに、これまでに放送された場所については、十寺ごとに本にまとめられて既に3冊の本となっているが(奈良、北陸編、京都編)、こちらも全部揃えているほどの熱の上げようなのだけれど、どこに魅力があるのかといえば・・・。

もともと寺好きだというのは、密かに知られているところだが、特に敬けんな仏教徒というわけではない。日本において「寺」は、様々な宗教の一つである仏教の建築物として魅力を放っているというよりも、この番組のテーマでもある日本文化の原点としての存在感を醸し出している、という不思議な力に引き寄せられている様な気がする。

例えば、東京浅草の雷門で有名な浅草寺の創建が、大化の改新の年である645年だという歴史があったことにもびっくりだが、当時の都から遠く離れた関東の地で1400年近くの時を経て、今に綿々と受け継がれそして今や年間3000万人の参詣者を記録するほどの寺になっていることは、何にも増して魅力的だし、その原因を探ってみたくなるものだ。

ということで、あと残すところ60回分の放送に、ますます期待している今日この頃。


Saturday, January 24, 2004

毎年恒例となった第10回プロテオグライカンフォーラムが、お茶の水の東京医科歯科大で午後から行われ、空気がぴりぴりする寒さの中で仕事場から直行した。今回の発表は、臨床と研究を両立されている方々の、患者さんに直面しながらの研究発表が多く、非常に勉強になった。ふだんは、目の前の問題にばかり気を取られて、その背景となっている世界を忘れがち。そういう意味では、改めて研究に対する思いを新たにする良い機会となった。

ただ、今日のフォーラムで一番びっくりしたのは、大学の同じ学科で共に学んだ同級生と、かれこれ10年ぶりにばったり会場で会ったこと。なんとなく見覚えのある顔に、おもわず名札を見て確認してから挨拶したのだが、いやはや同じ分野に旧知の仲間が居るというのはなかなかに心強い。

ところで、ローカルな話題ながら、第三回福島県中学生ロボット競技会で母校の天栄中学のチームがなんと総合優勝したとのこと(新聞記事の切り抜き)。福島市や郡山市といった大きな街にある中学校を敵に回して、全校生徒わずか200人ばかりの学校の生徒がその頂点に立つというのは、母校ということを差し引いてもすごいのではないかと。新年早々に少しパワーをもらった感じだ。

それにしても我が母校は、30年ほど前には器械体操、20年前にはバドミントン、10年前には硬式テニスと、いずれも福島県内のトップに立って全国大会で活躍したという歴史を持っているのだが、中学生の競技人口の手薄なところを巧妙に探り当てるのがうまいねえ。もちろん、それに応える選手の面々が一番偉いのだが。

最後にメジャーリーグの話題。松井稼頭央のメジャー移籍やら、佐々木の帰国やら、高津のホワイトソックス移籍やらの陰に隠れてしまった感があるが、モントリオール・エクスポズの大家投手の年棒が、昨年の約3600万円から7倍増の約2億5000万円に跳ね上がって1年契約に合意したとのこと(MAJOR.jp)。ボストン時代の苦労を目の当たりにしたファンとしては、この大躍進の朗報は本当に嬉しい。大家投手は、昨年には立命館大学に入学してスポーツマネジメントを学んでいるし、今年は滋賀県草津市に中学生を対象にした少年野球チーム「草津リトルシニア」を設立しているし、ますます前進力に磨きがかかってメジャーリーガーとしての風格も十分。今シーズンは、エクスポズのエースとして期待されている大家投手だが、イチローや松井秀喜の話題を凌駕するような活躍を是非期待したい。ついでに年棒も、イチローの4年契約45億円を超え・・・。楽しみ、楽しみ。今年ももちろん応援に力が入る予定。



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