1999年
 10月7日
  日本では大学3年生のときに卒業研究をするための研究室を選択するのが普通だと思うけれど、アメリカでは大学院に進学して単位のメドがついた後に、ようやく研究室に配属されて博士論文のための研究に携わることになっている。そもそも、卒業した大学と同じ大学の大学院に進むこと自体が珍しいことであるから、理にかなったシステムではある。そして今日は、3月頃から我がSeeberger研への配属を希望する新大学院生に対して、研究室紹介が行われた。
  午後7時からの説明会に集まった新大学院生は21人。まだ1年そこそこの新米教授のラボであるうえに、定員がわずか3人であることを考えると、異常な人気と言っても良い。そのわけは、約1時間にわたるボスの説明を聞いていてなんとなく納得した。とにかくおもしろい。5分おきに笑いが起きるという感じだし、多少誇張して話しているきらいはあるものの、英語の授業を受けたことのない僕ですら、100%理解できたと言っても過言ではないくらいの、分かりやすさだった。あとで聞いたら、「糖の合成というと先入観だけで難しいと思っているから、とにかく難しいけどおもしろいということを伝えたかった」ということで、あえておもしろおかしく話をしたらしい。ところで、この説明会のために、ボスからスライドを準備して欲しいと言われたのだけれど、僕が7枚も準備したスライドは、結局1枚しか使ってもらえなかった。ま、3回ほど名前を呼んでもらったので良しとしよう。名前が出る度にラボの他のメンバーから冷やかされたりしたけど。
  ボスによるラボの説明が終わった後は、自由にラボのポスドクや大学院生に質問などができる時間が設けられたのだが、僕のところにはなぜか中国人ばかりが集まってきた。同じアジア人ということで安心感があるのだろうか。それとも、単に中国人と間違えたかな。それはいいとして、そもそも大学時代に研究室で実験をしたことがない学生ばかりなので、いまいち実験に対してイメージがわかないようだったが、誰も彼も目がきらきらと輝いていて、いやあ若いっていいなあ、なんてしみじみ・・・。結局解散したのはすでに午後10時をまわっていた。果たしてこの中から新たにメンバーに加わるのはどんな学生か、3月が楽しみ。

1999年
 10月14日
  月に一度行われる「ボストン糖鎖生物学懇談会」では、開始時間が「a social hour」とのことで、午後6時ごろにちらほら集まってくるものの、きちんと決まっているわけではない。また、ある程度の人が集まった段階でディナーが運ばれてきて、それが食べ終わるとようやく本日の目玉・最近話題の科学者の講演、ということになる。そういうわけで、6時に会場入りしてから講演が始まる午後8時くらいまでは、言ってみれば「おしゃべりの時間」のようなもので、あちらこちらで研究の話から世間話までいろんな話の花が咲いている。ま、英語を自由自在に駆使できる人にとって、このような時間は楽しいひとときとなるのだろうが、こちらはまず「今日の相手」を探すのに一苦労する。前回はボスにいわゆるお偉いさん方を紹介してもらったのだが、まさか旧来の友人のように親しげに話しかけるわけもいかず、誰かいないかなあときょろきょろしていると、僕よりも若いおそらく大学院生だろうと思われる外人さん(僕の方が外国人なんだけれど)がちょこんと座っていたので、さっそく声をかけてみた。
  ボストンの企業に勤めるTさんは、実は僕より3つ年上のアイルランド人で4年前にアメリカに来たとのこと。いやあ、見かけじゃ年はわからん。ま、それでも年が近いことや彼の研究内容が僕の大学時代のものに近いこともあって意気投合、実験のことにとどまらず家庭の話やらアメリカの風習にまで話がおよびなかなか充実した時が流れていた。と、突然「独身ですか」と聞かれ(ちなみにTさんは男性である)、すかさず肯定。アメリカで初対面の人と話をしていて親しくなってくると、必ず聞かれるこの質問。アメリカでの初婚年齢が何歳なのか知らないけれど、我がラボのポスドクで、独身なのは僕だけだということは、意外と早婚なのかもしれない。その後、親の話になったとき、「うちの親は若くてねえ」と言うので「うちもだよ」と答えると、なんと母親の年は同じ50歳とのことでびっくり。おんなじような境遇の人もいるんだなあと感心していると、追い打ちをかけるような衝撃の事実が・・・。「最近子供と遊べなくて」と言うので、仕事が忙しいので赤ん坊の世話も難しいんだろうと思って、そういう想定のもとに話をしていたら、なんとも話がよく飲み込めない(ま、いつものことだが)。そこで、お子さんの年齢を聞くと、なんと息子さんの年齢は・・・13歳の中学生だった。ずいぶんお早い結婚で・・・。もしかして19歳のときの子供さんですか。ま、うちの親のことを思えば不思議な話でもないのだが、ちょっと驚きのあまりそのあと何を話したのかよく覚えていなかったりする。なにしろ、見かけは僕よりずっと若い大学院生に見えるんだから。人は見かけじゃわかりません。

1999年
 10月24日
  5,000人以上の参加者を集める世界最大のボートレース(レガッタ)、「Head of the Charles regatta」がここボストンを流れるチャールズ川で行われた。実は、ボート部出身の日本の友達が、日本を離れるときに「10月のレガッタは必見」としきりに勧めていたので、10月に入るや否や見逃さないようにいつ行われるのかと情報網を張り巡らしていたのだが、そんな心配はまさに杞憂だった。このレースには、なんと毎年30万人の観衆が集まるという、まさに秋の風物詩と化した催しなので、チャールズ川に架かる橋という橋に広告が張り巡らされていたから。で、カメラ片手にメインレースが行われるという午後3時に間に合うように出かけた・・・つもりだった。しかし、移動手段を持たない身分には、どこかに行こうとすると、まずどうやっていくかがいつも問題になる。地下鉄で行くには遠回りな上に結局かなりの距離を歩くことになるし、地図で見るかぎり会場とアパートは結構近い。そこで日頃の運動不足の解消を兼ねて、てくてくと歩いて行くことにした。
  ところが、これがなかなか着かない。上空には、イベントではおなじみのプロペラ機が、巨大広告を引っ張りながら飛んでいる。旋回している場所を見るかぎりそう遠くではない。がしかし、なかなか着かない。いくら方向音痴さかげんでは右に出る者がいないといわれる僕でも、道に迷っているわけではないことは確かなので(川にさえ着けばいいのだから)、安心して歩いてはいるけれど、かなりの時間の浪費。結局1時間の長旅となってしまった。とどのつまりは、道に迷ったらしい。
  さて、レガッタである。観衆はかなり集まっていて、川岸の芝生にそれぞれにシートをひいて座り、家族一緒に楽しんでいるようだ。また、3.2マイルの距離をチャールズ川の流れに逆行してレースが行われるのだけれど、途中何カ所かに実況中継するアナウンサーがいて、目の前を通りすぎるボートの紹介をしている。聞いていると、アメリカ国内はもとよりイギリスやフランスなどヨーロッパの国々からもかなりの参加がある模様。自分のお気に入りの大学や、遠方からの参加者が通りすぎると、観客がやんやの喝采を浴びせかけるという、まさにアメリカのお祭り。おもしろかったのは、20羽ほどの集団となって観客の前に陣取っていたアヒルたち。女性のクルーが通るときはおとなしく川面に漂っているのに、かっこいい(と思われる)男性のクルーが通ると、観客に負けじとガーガーと鳴き出すしまつ。ボートレースもさることながら、このアヒルたちもなかなかの注目を浴びていた(実際には、かけ声とかボートのスピードとか何かに反応しているのだろうけど・・・と思うのは研究者の悪い癖か)。ところで、メインレースは、来年のオリンピックにエントリーしているアメリカのナショナルチームはもとより、イギリスやカナダのナショナルチームや、過去の金メダリストたちが登場し、かなり盛り上がっていた。中でも、1980年のオリンピックナショナルチームの女性が登場したエイトで、目の前を通りすぎるご婦人方を見てびっくり。単純に計算しても平均年齢が40歳をゆうに超えていると思われるご婦人方のボートの速いこと、速いこと。残念ながら結果を知らないけれど、一緒に登場した現ナショナルチームより速いんじゃなかろうかという勢いで、通りすぎていったのにはただもう驚くばかり。
  しかし、川面に吹きかける風は本当に冷たかった。もう寒いのなんのって。もうボストンは冬間近なのかなあ。

1999年
 10月28日
  2日前の出来事。病院のラボメートのジョンが、ホッケーを見に行かないかと言う。なんでも、ルームメートの会社の上司がチケットを持っていたのだけれど、急に行けなくなったので、そのチケットが巡り巡ってここにあるのだとのこと。つまりは、タダでNHLが見れるのだから、スポーツ好きの僕が断ろうはずがない。おまけに、ホッケーと言えば、学生時代の研究室の目の前がアイスコートで、ここでは毎年大学の定期戦の時期になると、一般客に解放する前の朝7時からと夜中に試合があったので、まだ暗いうちに起き出して見に行っていたほどに、おもしろいことは先刻承知である。ということで、ふだんは質問されてから答えるまでにかなりの時間を要する英会話も、こういうときはまさにネイティブ並みに、「Sure. Why not?」。それにしても、どういうわけかタダ券が僕のところに回ってくることが多い。よっぽど寂しそうに見えるのか、はたまた「困ったときはTomioに聞け」というどこぞの法則がここにも適用されているのか、なんとも嬉しいかぎりである。
  というわけで、今日である。試合開始時間は例によって午後7時。本当に、この7時に始まるというイベントの多いこと。日本だと、終了時間を気にしてか午後6時というのが普通だと思うけれど、こちらでは、仕事帰りにイベントに参加できるようにという配慮から、午後7時スタートがほぼ定着している感じがする。そこで、我らもこの時間に間に合うように、病院を午後6時すぎに出発。ボストンのNHLのチームは「Bruins」で、本拠地はバスケットのCelticsと同じFleet Centerとなっている。この体育館までは、病院の最寄りの「T」の駅から電車に乗ること15分。おまけにその体育館は駅のまん前にあるので、実に便利なアクセスを誇っている。アメフトやサッカーもこうだったらなあ、とちょっと思ったりすることしばし(車でしか行けず、おまけにフリーウェイを利用しても30分以上かかる)。
  さて、このbruinというのは、褐色のこぶりのクマのことで「brown→bruun→bruin」と変化してそう呼ばれるようになったそうだ。ちなみにUCLAのマスコットキャラクターもbruinだが、これはカリフォルニア大学が最初におかれたBerkleyのマスコットがgrizzly(灰色グマ)であるのにちなんで、その弟分ということでbruinになったそうな(全然関係ないか。ま、bruinつながりということで)。ところで、このBruinsにはプロスポーツ界ではおなじみの、観客を楽しませる役回りをしているマスコットがいるのだが、そのマスコットはこぐま・・・ではなく、なぜかハスキー犬の「ハスキー」なのだ。???はて、なんででしょ。この由来は、現在調査中。
  会場に到着すると、観客の半数以上はコピーのユニフォームを着ている。こりゃ、かなり皆さん入れ込んでるぞ、と思ったのもつかのま、本当に入れ込んでいる人は、さらに気合いの入ったコスチュームを身に着けていることが判明。ぐるっと見渡しても、今日の対戦相手のTampa Bayの応援らしき人は見あたらない。もっとも、この雰囲気の中で応援する勇気のある人もそうはいないと思うけれど。そうこう思っているうちに試合開始。派手な演出による選手紹介を聞いているだけで、結構盛り上がってきた。と、ふと次の瞬間我に返ると、なんだかだんだん気分が・・・。どうやら周りの雰囲気を観察している間は気がつかなかったのだけれど、このベランダ席からフィールドを見下ろすと・・・高い。おまけに、かなり急な観客席のため、ほとんど宙に浮いているような錯覚さえ覚える。完全に高所恐怖症の諸症状が出てしまったため、これ以後は全然記憶なし・・・、ということはなくて、本当によかった。試合が始まってから5分ほどすると、会場の熱気が否が応にも伝わってきて、だんだん気分も良くなりはじめ、10分過ぎにはもう下を見下ろしても全然平気になった。やれやれ、我ながら世話のやけることで、面目なし。
  試合の方は、とてもアイスホッケーの試合とは思えないほどの、気前の良い点の取り合いとなって、もうわんやわんやの大騒ぎであった。アイスホッケーは、20分ピリオドが3回あって、基本的には1時間の試合内容なのだが、ファールのたびに試合が1分ほど止まるので、たっぷり2時間は楽しめる。さらに、その試合が止まるごとに様々な演出で観客を楽しませるイベントが用意されていて、これはかなりグッドであった。たとえば、中央につりさげられたテレビモニターに、突然ボルテージカラムが出てきたかと思うと、「さあ拍手」ってなわけで、音量によってそのレベルが上昇する。もうみんな気でも狂ったかのように拍手していて、こんなシーンはちょっと野球やサッカーの試合では見れないと思ったりした。また、この熱気溢れる会場で居眠りしている輩を発見するや否や、そのテレビモニターは実況中継とばかりに何度も映しては「まだ起きない」。最後に起き出した当の本人は、試合そっちのけで観客に喝采を浴びていた。そうしたイベントにつきものの音響も、実に様々な曲が用意されていて、おそらく30曲以上披露されたんではなかろうか。何としてでもお客に楽しんでもらおうという姿勢に、感動すら覚えてしまった。
  というわけで、7対4(!)で無事試合も終了。もちろん、ボストンが勝利し、心地よい興奮状態を味わいつつ帰路についた。また、来よう。

1999年
 10月30日
  Glycobiologyの学会に参加するため、飛行機でSan Franciscoへ。ボストンのLogan空港を午前8時に出発する飛行機に乗るために、朝5時半に起き出し、6時すぎにアパートを出発。ぎりぎりの行動が苦手な身には、早起きはそう苦痛ではないのだけれど、この時期のボストンの7時前はまだ夜の世界だし、おまけに容赦なく寒いので、ちょっとアパートを出るまでが苦難のひとときだった。しかし、行動を起こしてしまえば、あとは空港までは1度乗り換えがあるものの、「T」で40分もあれば到着するので、余裕の行動・・・になるはずだった。
  乗り換えの駅に着いて、そそくさと空港行きのホームに行こうとするとなにやらただならぬ雰囲気。そして、事態を告げる看板を発見。「ただいまこのホーム閉鎖中」って、何を突然。どうやって空港に行けばいいの・・・。そこに、駅員らしき人が通りかかり、地上に出るとシャトルバスが出てるからそれに乗れとのこと。なんだか、旅行初日から散々だなあ、と思いつつも仕方ないので地上に出てそれらしきバスを見つけ、乗り込んだ。が、しかし、このバスの行き先を見ると、全然空港行きとは書いていない。あわてて運転手に聞いてみると、閉鎖されている区間だけのシャトルバスなので、これから行くところに到着したら、また「T」に乗り込んで空港に向かえ、とのお達し。おいおい。飛行機には間に合うんだろうか。バスを降りて、タクシーを探して、それで行ってしまった方がいいか、とも思ったが、真っ暗な風景の中にタクシーらしき車の影はどこにも見えない。こうなったら覚悟を決めて、なるようになれと思うしかない。飛行機に遅れたら、ま、それはそれでいいホームページのネタになったと思うことにしよう。
  果たして、空港には無事到着。飛行機にも無事乗れた。やれやれ。ボストンからサンフランシスコまでは、約6時間の旅。時差が3時間あるので、3時間しかかからないのがミソだが、乗っている時間が短縮されるわけではない。飛行機の中は・・・記憶にございません。思い出させないように。
  アメリカ西海岸は、2年前にニューヨークに来た際に、トランジットをロサンゼルスで行って以来。ボストンを出るときには、はく息も白く、あんなに寒かったのに、こちらに着くや、Tシャツで十分大丈夫な気候にまずびっくり。空港からダウンタウンまでは、車で約30分ほどの距離で、タクシーだと30ドル以上かかってしまうので、9人乗りの乗り合いタクシーでまずはホテルへ。このVAN TAXIだと、人数が集まるまで出発しないものの、片道11ドルで運んでくれるので非常に便利だ。しかし、この料金にチップを付けても、こちらの払う金額は半額以下だけど、1回走るだけで11×9プラスで100ドル以上稼ぐことを考えれば、もうちょっと安くてもいいような。
  学会の開始時間は午後6時からなので、それまでしばし観光。ボストン感覚で、地図を眺めながら歩き始めたものの、遠くに見える景色がいつまでたっても遠くに見える。どうやら地図のスケールがボストンとは違うらしい・・・ことに気付いたのはだいぶ足の筋力を養ってからだった。そこで、バスに乗って移動することに。このサンフランシスコを走るバスは、一部電気バスとなっているようで、幹線道路に沿って電線が張り巡らされ、その電線にケーブルでつながったバスが縦横に走っているのが新鮮。また、1ドルの運賃を乗り込むときに支払うと、乗った時間が記録された用紙を渡され、3時間以内なら何度でも乗り降り自由だとのこと。こんなことなら、最初からバスを利用して観光するんだった、まったく。
  学会は、250名ほどが参加した比較的小さなもの。実質、明日から3日間にわたって開催される。今日はレセプションがあり、会場でお会いした酵素ラボの先輩や、そのお知り合いの方々と、日本語をかみしめる。途中、ボスに付いてまわって、いろいろな方に紹介してもらったのだけれど、何か日本語をかみしめた後って、英語がますます出てこなくなるのは気のせいかな。レセプションが終わってしまえば今日のセッションはないので、それぞれ部屋に戻ることになるが、我がボスの方針で別の「安い」ホテルに宿を取っていたため、午後10時すぎに一人ホテルまで歩いて帰ることに。ここら辺が安全なところなのかどうか全然聞いていなかったので、ちょっと不安になりつつも、じたばたしても始まらない。地元民になったつもりでいざ出発。20分の夜道を歩き終えてホテルにたどり着いたときには、ホッと胸を撫で下ろした。小心者は、いちいち大変なのである。

1999年
 10月31日
  広く知られていることだけれど、アメリカはサマータイム制(米語ではday-light saving time)を導入している。もっとも、OECDの先進29カ国の中でこの制度を導入していないのは、日本と韓国と白夜で必要のないアイスランドだけだから(Import Data参照)、「日本はサマータイム制を導入していない」と言った方が適当かもしれない。このサマータイムは、4月の第1日曜の深夜から10月の最終日曜の深夜までがその期間なのだが、今日はまさしく10月の最終日曜。ということで、本日の午前2時をもって時計の針を1時間遅らせ、午前1時にするという操作が行われた。ということは、これまでの午前10時は午前9時になるということだから、何となく1時間得した気分に浸ったりして。まあ、すぐに普通のサイクルになってしまうのだろうけれど。
  学会の2日目は、そんなこともあってちょっと得した気分で、開始時間の30分も前に会場入りした。といっても他のほとんどの参加者は、学会会場となっている「高い」ホテルに泊まっているのだから、「会場入り」というイベントがない。ちょっとならぬ、かなりうらやましい・・・・。ともかく、途中のコンビニで朝食を買い込んだりしながら、ゆうゆうと会場に足を踏み入れると、同じく「会場入り」しなければならない我がボスはすでにそこに居て、ニコニコしながら僕を出迎えるなり、「トミオ、ずいぶん遅いじゃないか。ボストン組はもうみんな集まってるぞ。」と、のたまう。ん、確かに辺りを見回すと、ボストンでの顔なじみがあちこちに出そろっている。はて、昨日早く来て集まるなんていう約束したっけなあ・・・と考え込んでいると、ボスの不気味なニヤニヤにピンときて一言。「もしかして、今日の明け方にサマータイムが終わったのを知らなかったんじゃ・・・・。」ピンポーン!、とはさすがに言わなかったけれど、どうやら図星だったらしい。なんでも、昨日遅くまでボストン組で飲んでいたもんだから、今日でサマータイムが終わるなんて言うことをすっかり忘れていたんだそうな。哀れ、ボストン組。おかげで、今日一日「損した気分」で過ごすことになってしまったようだ。
  もうひとつの今日の話題は「ハロウィン」。サンフランシスコは、アメリカの中でもクレージーな仮装が見られると、Berkley出身のラボの大学院生に吹聴されてきたものだから、ちょっと期待して夜のパレードを見に日本人のみなさんと共に街に繰り出すこととなった。しかし、外に出るなり「バーン」という大きな音。あれはどうみても(聞いても)銃声のような・・・・。案の定、ホテルマンやら店の買い物客やらがぞろぞろと通りに顔を出してくる。なんかやばそうな雰囲気に包まれつつも、せっかくのハロウィンだし、一晩にふたつも三つもドンパチが起こることもあるまい、という意見がまとまり、ちょっとおびえつつも予定通りパレードを見に一路ダウンタウンへ。でも、ちょっと怖かったなあ。
  で、目的の仮装パレードだけれど、どうやらもうすっかり終わってしまったらしく、本隊を見ることは出来なかった。ちょっと出足が遅かったらしい。しかし、その見物客やら帰り支度をしている参加者やらの仮装を見て十分に堪能。小さな子供からかなりのお年を召した方まで、かなり凝った作りの仮装に興じていらっしゃる。高校生ぐらいの若者が大半を占めていたけれど、アイデア溢れると言うか、恥じも外聞もないというか、なかなかに手間暇を掛けた傑作ぞろいだった。ところで、ボストン近郊には、17世紀に魔女裁判が行われたことで知られるSalemという街があるのだけれど、ハロウィンにはこの街で盛大なイベントが行われるため、仮装した人々がこの街を目指す「仮装列車」が運行されるなどかなり盛り上がるという話だから、来年はそちらに出向いて比べてみることにしよう。


最終更新日:1999年 10月 31日
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