備忘録・2000年6月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

「備忘録」スタート
これまでの「日々のできごと」に代わって、「備忘録」がスタートします。

 この欄では、日記を兼ねてその日の出来事を出来るかぎり毎日お届けしたいと思っています。また、購読している雑誌やインターネットから仕入れた情報を、感想を交えてお知らせしていく予定です。

どうぞご期待ください。

Amtrak
 昨日は、フィラデルフィアからボストン行のアムトラック(全米鉄道旅客輸送公社)の列車で、6時間の長旅を経験した。

 列車だと目的地までの街並を楽しむことも出来、飛行機の3倍の時間がかかるのもいわばぜいたくなひとときだった。

 もっとも、車窓から見える街並は、いかにも治安の悪そうな場所や、果てしなく続く草原があったりと、必ずしも目を楽しませてくれるものばかりではなかったが、コネチカット州やロードアイランド州の港町の風景はなかなかのもの。

 さらに特筆したいのは、車掌さんの愛想の良さ。終点のボストンに近づくと、乗客もまばらなこともあり、気さくに乗客に話しかけてはジョークを連発していたのが印象的だった。しまいには次に停まる駅の名前を、連想ゲームよろしく回りくどく説明するものだから、何人かのお客さんは本当に混乱していたりして。

 まあ、これものんびりの列車の旅だからこその光景で、ちょっとアメリカの別の一面を見た気分になった。

ボスになるのも大変だ
 研究室に到着すると、何やら朝早くから忙しそうにボスが動きまわっている。耳にピアスの光るおしゃれなボスには珍しく、1週間は髭の手入れをしていないかのような風貌で、一目ただならぬ雰囲気が伝わってきた。

 同僚に聞けば、何でも今日は研究費申請の締め切りの日で、ボスは休日返上で先週からその準備にかかりっきりなのだそうだ。

 アメリカの研究費は、研究に必要なすべての経費ばかりでなく、自分の研究室で雇うポスドクや大学院生の給料までもが含まれるので、研究費申請が採択されるか否かはまさに研究室の存亡に関わってくる問題である。

 なにかとアメリカの研究室運営の利点が日本と比較されるけれども、その根本にあるのはこうしたシビアな現実である。ここでは、大学に入ってしまえば目標が達成される日本の大学生よろしく、研究室のボスになったが最後、安穏と暮らせることは無い。むしろ、ボスになってからが本当の試練といえそうだ。

 科学の世界で食べていくというは、結構いばらの道なのであります。

June 20, 2000
 5月30日から6月27日までの毎週火曜日に開催されている「Screen on the Green」に行ってきた。

 これは、ボストンの市民公園であるボストンコモンに設置された大スクリーンに映し出されるクラシック映画を、芝生の上でくつろぎながら楽しもうというもの。もちろん、タダである。

 開始時間は「日没」ということなので、午後8時半過ぎに会場に出向くと、既にスクリーンの前には家族連れやカップルでごった返していた。今日は「Forbidden Planet」という1950年代を代表するSF映画で、カラーの力作である。いかにも年代ものといった趣きの舞台演劇を彷彿とさせる台詞回しは、英語の聞き取り練習にはもってこいといった感じで、なかなかに楽しむことが出来た。あまりのクラシカルさに、途中で荷物をまとめている人も少なからずいたけれど。

 野外映画というのも乙なものである。

June 21, 2000
 久々のボスとの討論は、これまでの最長記録をゆうに更新する3時間に及んだ。実質10カ月に亘る実験のデータを前に、侃々諤々それぞれに意見を言い合って、現在進めている3つのプロジェクトのうちの一つについて(3人しかスタッフがいないもんだから一人につき複数のプロジェクトを担当している)、最後の詰めを議論した。

 ようやく見通しが立ったところで、ボスから学会発表の許可が出た。11月にボストンで開催される学会で発表しようというもの。要旨の提出締め切りは7月1日だから、こりゃまた忙しくなるが、なんとか1年を通してやってきた仕事が形として残ることになるので、ちょっとホッとしたといったところ。

 夕刻、午後7時からの月例の糖鎖生物学懇談会に出席するため、MITに出向いた。今日は、1999-2000年シーズンの最終日。

 席に着いたテーブルには、ヨーロッパ人2人、アメリカ人2人がいて、にわかにトランスジェニック動物の生産する薬剤の話題となり、日本人を代表しての意見を求められることになったのだが、発言の一言一句が日本人代表の意見になるのかと思うとちょっと緊張してしまった。まあ、そんな大げさなことでもないのだが。

 こんな時、自分の意見が他人とちょっと違っていると、たとえ険悪な雰囲気になろうともずばずばと言い切れるのは、さすが欧米人というしかない。こうまでになるには、さて後何年かかることやら。

June 22, 2000
 先週末に現像所に預けた4本の24枚撮りフィルムの写真を受け取りに、ラボからの帰り際にショップに寄った。

 すぐに預かり証と照合されて、どさっと写真を手渡された。最近は、現像をすると一度に2枚の写真を焼いてくれるサービスが定着しているようで、24枚撮りといえども1パックには48枚の写真が含まれていることになり、結構なボリュームである。

 料金を支払ってそそくさと帰ろうとしたのだけれど、なんだかちょっとへんな感じ。しばし立ち止まり、このしっくりいかない気分は何だろうと思いを巡らした矢先に、ふと手もとの写真を見てピンときた。手元にはフィルム3本分の写真しか受け取っていなかったのだ。

 慌てて店員に残りの写真を申し出ると、しばらくごそごそとテーブルの下をのぞいていたかと思うと、ぺらぺらの封筒をこちらに手渡してきた。この封筒は、現像所に渡すときにフィルムを入れたものである。中には一枚のメモが入っており、そこには一言、「中身が何もありませんでした。何かの間違いでこの封筒を送ってきたのではありませんか」とある。

 何かの間違いはそちらの方である。要するに、現像所に運ぶ間に、どこかにフィルムを落としてしまったに違いない。全くもう信じられないことが起きるものだ。まあ、ここで騒いでも無くなってしまったものは仕方ないのだが・・・と、アメリカでの生活に鍛えられて、最近はずいぶんあきらめも良くなってきた。

 あ〜、それにしても結構な自信作だったのになあ・・・(逃がした魚は大きいらしい)。

June 23, 2000
 科学雑誌の「サイエンス」誌の6月16日号に、江沢民・中国国家主席のインタビュー記事が掲載されていた。一国のリーダーの科学に関する発言が、学術雑誌の紙面を4ページに亘って占めるのは異例のことだと思って、興味深く読んだ。

 Jiang(江を英語表記するとこうなるらしい)さんが科学技術の分野は自分の領域だと言うだけあって(彼は中国の発電技術をリードしてきた元研究者である)、中国の科学分野の現状を科学者らしい目でとらえ、これからの方針を具体的に語っていた。ときに、視点を世界に向けながら。

 そんな折り、全米科学財団(NSF)がOECD加盟29カ国の 科学技術研究開発費全体に占める政府の支出率を発表した。我が日本は19%で、ダントツのビリであった。特に政府から産業界にまわる資金(産業界の研究費の政府由来の資金)はわずか1%で、ロシアの50%、アメリカの15%など、すべての国が7%以上を示している中で極端な数字であった。

 江沢民さんはインタビューの中で、「これからの時代の各国のリーダーは、電話であれインターネットであれ、個人としてさかんに意見を交換し合って、それぞれの強みを活かし、それぞれの弱みを補っていくべきだ」と答えていた。日本のリーダーもこうしたビジョンを口にするようになれば、こんな極端な数字がはじき出されることもなくなるに違いない。

June 24, 2000
 先日、輸血のためのAB型(Rh-)の血液の募集を呼びかけるインターネットを利用したメールが、その善意とは裏腹にチェーンメール(不特定多数の人へ鼠算式に広まってしまうメール)となってしまって社会問題となっていたが、便利なインターネットもその使い方次第では、思わぬ問題を引き起こし兼ねないことを示した。もっとも、患者さんが入院していた日本医科大学多摩永山病院での手術は、40人の献血協力の申し出のもと無事行われたとのことなので、こうしたインターネットの威力を、不慮の事故によってつぶしてしまわないようにしなければならない。なにしろこのメールは、とても協力したくとも出来ないであろう、アメリカに住む僕の元へも送られてきたのだから。まさに良くも悪くも「威力」である。

 こうした問題を踏まえて、僕もオーナーとして参加している「eグループ」という無料のメーリングリストを提供しているサイトで、このほど「AB型(RH-)輸血連絡グループ」というメーリングリストを作成し、反響を呼んでいる。

 グループメールを活用することによりチェーンメールを発生させることなく、同じ血液型の方々が集まって輸血に備えるという自助の発想。それに呼応してRh-型の全ての血液型のメーリングリストが完成した。興味のある方は、以下のサイトを是非ご覧いただきたい。
[AB型RH-のグループ][B型RH-のグループ][O型RH-のグループ][A型RH-のグループ]

 活かすも殺すも使い方次第なのは、どんなことにも言えるけれど、インターネットというさまざまな可能性を多分に秘めた技術は、少しずつ、一つずつ、みんなで知恵を出し合って、是非とも「活かす」使い方をひねり出していきたいものだと思う。

June 25, 2000
 日本では衆議院議員の解散総選挙で、自民党が苦戦し民主党が躍進したとのこと。しかし、投票率が60%前半ではねえ・・・。

 海外に暮らす日本人有権者は推計で59万人いるそうだ。そして、今回の選挙から海外に3カ月以上暮らす日本人有権者は「在外選挙」なる制度によって、比例代表選出議員についてだけだが、投票できるようになった。しかし、投票の前提となる有権者登録を済ませた日本人はわずか1割程度とのことで、日本の各新聞では海外在住の日本人の意識の低さを批判する記事もちらほら。

 しかし、その海外に暮らす日本人として一言付け加えれば(かくいう僕も有権者登録をしていない)、そもそもこの選挙に参加するのは至難の技であったのだ。なぜなら、前述した有権者登録の申請は、本人が必ず在外公館(大使館や総領事館)に出向いて行い、在外選挙人証を発行してもらうのだが、この発行までに2カ月かかるとのこと。近くに在外公館が無い所に住む人はさらに大変である。というのも、どうにかして登録申請し、いざこの在外選挙人証が発行されても、日本国内の最終住所地の市区町村選挙管理委員会に投票用紙を請求して交付してもらい、記入した投票用紙を再び郵送する、という方法で選挙に参加することになるからだ。いったい、選挙期間中にすべて事がうまく運ぶのだろうか。

 この「在外投票」の制度は今年の5月1日から始まったもので、その存在すら知らない人も多く居るに違いない。幸い僕のところにはパンフレットが送られてきたけれど、手にしたのはすでに選挙戦が始まってからだった。これでは、どだい投票してくださいという方が無理な相談である。

 まあ、選挙を管理するのは自治省で、手続きを代行する在外公館を管理するのは外務省だから、こんなところにも日本の立て割行政の弊害があるのかもしれない。

 というわけで、いろいろと選挙に参加しなかった言い訳を並べ立てたのだけれど、来年の参議院議員選挙の時には、もうこの言い訳は通用しないな・・・。

June 26, 2000
 MIT化学科恒例の「研究室対抗バレーボール大会」が始まった。6月から8月までの夏休み期間中の行事で、化学科の15の研究室が優勝目指して1日1試合ずつゲームをこなしていく。

 我がチームは今日が2試合目だが、前回僕は参加できなかったので(そもそも普段ハーバードの研究室にいるのに、参加している方が変だが)、今日は僕にとっての初戦。

 まあ、久しぶりのバレーボールだったので思うように体が動かなくて、少しばかり足を引っ張ったような。おまけに、結果は負け。それでも、砂コートに気分を良くして一人(もとい、もう一人いたな、確か)全身砂だらけになりながらボールを追っていたので、個人的には大満足。

 明日はセミナー発表があるので、「スポーツのときだけ・・・」なんて言われないように、気合を入れて頑張らねば。

追記・・昨日、今日と二日連続して我が家の目の前で交通事故が発生した。くれぐれも車の運転にはご注意を。

June 27, 2000
 今日のセミナーでは、さまざまな変異を導入したアンチトロンビンの結晶構造の解析結果について紹介する発表を行った(と言われてもチンプンカンプンだという方もどうぞご勘弁を)。引用した論文は、今年発表されたものだけで4報分。これを45分でまとめて話すわけだが、僕の場合は英語の問題もあって、あらかじめ30分くらいで喋るつもりで準備をしておかないと、この時間内に収まらないのが常である。この傾向がわかるまで、大幅に時間をオーバーしたりして、顰蹙をかうとまではいかなくても、ちょっと聞いているメンバーをいらいらさせたりしたことも何度か。

 さて、今日のセミナーは早いものでアメリカに渡ってから6回目のものとなった。少しは慣れたつもりでいたが、どうしてどうして、始まるまではやっぱりはじめの頃と同様ちょっと緊張してしまう。まあ、始まってしまえば、もうあたふたしても仕方がないので喋ることに集中できるのだが、今日はなんだかすんなりと事が運んで、喋り終えて時計を見ると、なんとも30分で発表が完結していた。まあ、これが準備通りのスムースな発表の結果だったら大満足だが、とどのつまりは、いくつかの話さなければならなかった内容をはしょってしまった(まあ、平たく言えば喋るのを忘れたわけだが)ということで、あまりいばれたものではない。

 まだまだ修行を積まねば。


追記・僕と同い年の丸山忠久八段が、将棋の第58期名人戦で史上11人目となる名人位に就いたそうな。羽生四冠同様、同い年の誰彼が活躍している伝聞は、単純と言えば単純だけど、励みになる。

June 28, 2000
 今日はさんさんと降りそそぐ太陽に魅せられて、建物の外に置かれているテーブルでの青空ランチとあいなった。

 アメリカ人、ロシア人、イラン人、そして僕のいつものランチメンバーで席を探していると、一人ぽつんと食事を取っているJさんを見つけた。エジプト出身のJさんは、同じ階の病院所有の共通機器の管理をしている方。60歳に手が届こうかという年齢ながら、いつもニコニコと朗らかな雰囲気を醸し出していて、おまけに毎日沢山の研究者がその部屋を訪れるだろうに、一度会った人の顔と名前は忘れずに覚えているほどの記憶力の持ち主だから、みんなから頼りにされている。

 彼のまわりにどやどやと押し掛けるがごとく席について、しばしエジプトの話に花を咲かせた。中でも、1799年のナポレオンのエジプト侵攻の話題となるや、彼のフランス語なまりもほどよく雰囲気を盛り立てながら、講談を聞いているのかと思うほどの臨場感あふれる話しっぷりに、思わずみんなで聞き入ってしまった。途中何度も、「もうちょっと長くなるけど暑くないか」と気を遣ってくれるあたりが、Jさんらしい。

 なんでも、趣味として祖国エジプトの4000年に及ぶ歴史をいろいろと調べていたら、まだまだ謎の部分が多々あることを知ったJさんは、この病院での仕事を引退したら、今度はエジプト史の研究がしたいんだとか。それに、子供たちにエジプトの歴史を語って聞かせる日々を送るのが夢なんだそうだ。

 いくつになっても夢を語れる人は、かっこいいもんだ。

 果たして30年後、僕はどんな夢をとりまく若造に話して聞かせているのだろう。

June 29, 2000
 引っ越しをして早くも一月が過ぎようとしている。もうだいぶ新しい環境にも慣れてはきたものの、ここのところの暑さは、冷房設備のない我が家に容赦無く襲いかかっていて、ちょっとだけ前のアパートを恨めしがらせたりしている。

 引っ越しをしたからといって、突然生活スタイルが変わるハズもなく、相変わらずマイペースの生活をしている。歩いてラボへ通うのもそうした変わらないスタイルの一つ。

 ただ、これまでのアパートは、ラボへは歩いて20分という距離だったが、今度のアパートは歩いて40分ほどかかる、これまでのざっと倍の距離。さすがに、帰宅が夜遅くなると地下鉄を利用することもあるのだが、朝は6時半には起きて気合いを入れつつ、すたすたと足の運びも軽やかに一路ラボを目指している。

 ところが、ラボのあるメディカルエリア行きの無料シャトルバスの乗り場が、アパートの近くにあることを知らせてくれた御仁が現れた。しかも、このバスは15分おきに運行されていて、なかなかに便利そうだ。

 果たして、この誘惑に負けずにいつまで歩き続けられるだろうか・・・。あしたの朝の気温だな、問題は。

June 30, 2000
 発表をすることになった11月に開かれる学会の要旨の締め切りを明日に控え、今日は朝から気もそぞろ。なぜなら、数日前にボスに添削してもらおうと渡した原稿が、いまだ手元に返ってこなかったからだ。

 仕方なくしびれを切らしてボスに聞いてみると、「あれの締め切りは15日だったかな」とのたまう・・・・。「明日です」

 というわけで、そそくさとオフィスに連れていかれ、ボスと一緒の添削作業が始まった。まあ、こんなことになるのも、添削すべき箇所があまりに多いことを物語っており、それは、3時間を超えるやりとりによって証明された。

 しかし、非常事態であったとは言え、この解説付きの添削は大いに勉強になった。なにしろ、なぜこの文章を削るのか、なぜこの表現よりもこちらの表現の方が好まれるのか、なぜこの言葉を使うべきではないのか、などなどといったことを細かく指摘してくれたおかげで、ボスの実験に対する考え方はもちろんのこと、他人に事実を正確に伝えるための、一つ一つの言葉の占める重みを感じることが出来たのは、貴重な体験だったと思う。

 というわけで、無事に原稿も完成し、さっそく投稿。いまどきの学会発表の登録は、インターネットを利用するのは常で、この僕が参加する「アメリカ糖鎖生物学会」もその例に漏れず、登録はものの10分ほどで完了。便利さもここまで来ると、本当に登録されたのかどうか心配になったりして、結局気の休まることはないのも困ったものだ。

 さあて、この研究発表の反響やいかに。11月が待ち遠しい。


最終更新日:2000年 7月 23日