備忘録・2002年2月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Monday, February 18, 2002
 「ムービングセール」というのは、引っ越しをする際に少しでも運ぶ荷物を減らそうと、必要のない持ち物を希望する人たちに売り捌いてしまうという、なんともアメリカ的な合理主義に満ちた慣習である。大学構内の掲示板やスーパーマーケットの掲示板には、ところ狭しとこの手のビラが張り出されているのを目にすることが出来るし、最近ではインターネットを利用して、不特定多数の人に情報を流すことも簡単だ。
 
 しかし、小学4年生の時に買った目覚まし時計とともに世界を旅している身としては、3年足らずとは言え自分が使っていたものが見知らぬ人の手に渡ることにちょいとばかり抵抗があったりする。もちろん、そうは言ってもなんでもかんでも日本に配送するというのも経済的にかなわぬことではあるのだが。
 
 というわけで、苦肉の策としてムービングセールの常套手段である掲示板やインターネットを利用して不特定多数の人に呼び掛けるのではなく、よく知る友達にだけ声をかけて口コミで売り捌くということにした。家具つきの部屋を借りているとはいっても、ソファやらテレビやら各種電化製品など、あれこれと数え上げてみればざっと30品目にも及ぶ品揃えだから、準備万端に行動に移そうと思えばまあ2か月も前からやらねばならないのだが・・・。
 
 そんなに要領よく出来た身ではないのはこれまでの人生を見れば明らかで、友達にこのムービングセールの声をかけ始めたのはほんの2週間前。我ながら無謀な計画である。まあ、最後の最後には道ばたに捨てていくよりは良かろうから、インターネットを利用して宣伝もしなければならないかと思いきや、なんとまあありがたき友人たち。一人の日本人を除いて全て外国人という顔ぶれの中、本日無事に全品目の完売となった次第。僕は車を持っていないものだから、もちろん大型の品物は入れ代わり立ち代わりいろいろな方々の協力を仰ぐこととなったが、人の情けは世界共通だということを改めて実感した。おかげで、あと6日ほど部屋に住まねばならないというのに、がらんとなにもない部屋になってしまったのはまあこれも酔狂だと思えば。
 
 ありがたいことはこればかりではなく、ここのところ「送別会」なるものをいろいろと開いてもらって、ほんとうにもう感謝、感謝。それぞれ声のかかるグループの数が多いのは、それだけボストンで遊び歩いていたということでもあるが、人生の最大の財産が人と人とのつながりであるならば、その意味では大いに人生の修行をさせてもらったわけであるからして。
 
 化学科の日本人会のみなさん、ソフトボールチーム「ロブギンズ」のみなさん、生物学科の中国人グループの面々、Seeberger研を卒業しボストンで働いている南米出身グループのサッカーで共に汗した輩たち、Rosenberg研の深夜組の面々と、さらには今はダートマス・カレッジに移ったハーバードのShworak研のメンバーはわざわざニューハンプシャーから駆け付けてくれたりと、ここ2週間で本当にたくさんの方に励ましてもらった。先週の金曜日には、僕の送別会ではないけれども、Rosenberg研のレセプション・ディナーが高級ホテルの「フォーシーズン」で催されて、それはそれは厳かな夕食会を堪能出来たし、もうかなり濃密な日々。
 
 今週はさらに、Seeberger研の現役のメンバーと生物学科の日本人の方々、そしていろいろとお世話になったボストン在住の日本人の方々から誘われているというわけで、ホントにありがたいことである。
 
 はてさて、すっかりお別れモードに浸っているわけだが、実をいうとまだ日中は実験に明け暮れていたりして、それはそれでメンバーに呆れられているのだが、なんとか最後の最後ですっきりとボストンを離れたいから、金曜日までは実験台に向かっていることになりそうだ。

「YABeT's Board from BOSTON」終了まで残り5日。


Monday, February 11, 2002
 今日はこのウェブサイトをインターネットに乗せて公開を始めてちょうど3年目。のべ37,850人を超える方々に支えられてきたおかげで、いつの間にやら3年も経っていたことに、感謝することしきりな日々である。

 残り2週間を切ったボストンでの生活と共に、このサイトの「ボストン編」ももうすぐ終結を迎えるけれど、日本に帰ってからもなんとか続けていきたいなあと思いを新たにしている。

 というわけで、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 ところで、土曜日の鍋パーティーに参加したときにいただいた「ショコラもち」一バックを、独り占めするのも惜福精神(文豪・幸田露伴が『努力論』の中で提唱した三福のひとつ)に反するので、研究室の面々に味わってもらうべく大学に持参した。

 親指ほどの大きさの「雪見大福」のチョコレート版のようないでたちのチョコは、とろりチョコを餅で包み込み、それをさらにパウダーチョコが覆っているという、なんとも優雅なチョコであった。餅になじみのないアメリカ人の面々に果たして気に入ってもらえるか、はなはだ不安ではあったが・・・その反応たるや、もう持参したことが本当に良かったと思わせるに足るほどの賛辞をもらって、こちらもホクホク顔。やっぱり、うまいものはうまいのである。

 しかしまあ、とても喜んでもらって、「えらいぞお」なんて言葉を僕がもらうのは、なんとも申し訳ない。本来その言葉がかけられるべきは、大分の「びーはいぶ」というお店の方々なのに。もしかして「惜福」のつもりが、福の横取りをしてしまったか。


Monday, February 4, 2002
 アメリカで生まれアメリカで育ったアメリカンフットボールは、すでに広く市民に浸透していたベースボールにだいぶ遅れて、1920年にNFL(National Football League)というプロ組織を生み、そして急速に市民権を得てきた。その後様々な似たようなプロチームをまとめる集団が現れる中、1960年に設立されたAFL(American Football League)は、次第にNFLと人気を二分し始め、そしていつしか人々はこんな噂をし始めた。

「NFLのチャンピオンとAFLのチャンピオンが雌雄を決したら、いったいどちらが強いのだろう」と。

 こうして、その真のチャンピオンを決めるべく始まったのが「Super Bowl」である。1967年のことだった。その後、1970年にNFLとAFLは合併して新生NFLを設立するも、NFLの流れをくむNFC(National Football Conference)とAFLの流れをくむAFCはそのまま残り、今にスーパーボールの歴史をつないでいる。

 当時、老舗であるNFLのチームの方が、AFLのチャンピオンよりも強いと人々には信じられていた。それを見事に覆したのは、3度目のスーパーボールとなった1969年のニューヨーク・ジェッツで、今も行われている試合前の公式勝敗予想での18ポイント以上の差が付くだろうという屈辱的なものを覆しての栄冠だった。

 ペイトリオッツは、1960年にAFLが組織されたときに最後に名乗りを上げたチームで、当時ボストンのベースボールの人気をレッドソックスと二分していたブレーブス(現・アトランタ)が、ミルウォーキーに移転してしまって使われていなかったブレーブス・フィールドを本拠地とする「ボストン・ペイトリオッツ」として生まれたチームである。その後、ボストン市内の野球場を転々と本拠地にした後(フェンウェイパークも一時ホームとなった)、ボストン郊外のフォックスボロに移ると同時に「ニューイングランド・ペイトリオッツ」として現在に至っている。

 それから42年の時が流れ、1969年のジェッツに次ぐ実力差とされる14ポイント差という予想を覆して、初のチャンピオンの座に輝いた。しかも、勝負を決めるボールがゴールポストを通過したその時、相手のセントルイス・ラムズに残された反撃の時間は「0秒」。まさに奇跡を起こしての栄冠であった。

 しかしこの奇跡は、女神の気まぐれによってもたらされたものだろうか。

 スーパーボールに出場するチームの先発攻撃陣にだけ与えられる栄誉がある。試合前にチームの守備陣が待ち受ける中、一人一人場内にアナウンスされてフィールドに登場するというパフォーマンスである。11人が紹介される中、後半になるほどその試合の鍵を握るキーマンが登場し、試合にのぞむ気分の高揚と相まって、選手も観客もその興奮を頂点に引き上げるものである。

 がしかし、今回のペイトリオッツの登場シーンは一種異様ともいえるものだった。なんと登録選手45人が一斉に、誰の名前が呼ばれるでもなく、チームとして「They are Patriots!!」とのアナウンスとともに狂喜乱舞する選手たちが登場したのだ。まさに、スーパースター不在の中、チーム一丸となって奇跡を起こし続けてきたことを象徴するようなシーン。これで何か起こらない方がおかしいというもの。

 これはベリチェック監督の提案だとのこと。昨年の失敗を糧に、チームとは何かを追い求めてきた監督らしい英断であった。思えば今年はこれまでにも数々の決断を迫られてきたものだ。まずは、練習をさぼるなどわがままぶりが度を過ぎたスーパースターのグレンに対し、シーズン前に謹慎を命令。さらには、新人ブレィディーの好調を見て取るや、怪我から復帰したNFL史上最高年棒を稼ぐブレッドソーをついに控えに据えたままシーズンを戦い通したり。

 しかし、この監督の決断もブレッドソーの理解無しには実を結ばなかったに違いない。1993年のドラフトで全米1位指名という彼は、文句無しの一流プレーヤー。昨年ドラフトの6巡目でペイトリオッツに拾われたブレィディーとは天と地ほどの差がある。が、ブレッドソーはブレィディーがチームに合流するや彼のある才能に気付いたという。ブレィディーは、今はそうでなくとも自分が一流への道の途上にあることを信じ、どん欲に練習をこなし、そしてそれを着実に実力にしていくという才能を持っていた。

 ブレィディーはMVPのインタビューに答えて、ブレッドソーの指示の的確さに感謝していたけれど、これは決して偉大な先輩を立てるためのお世辞では無く、彼がそこに立つためには一流の先輩がまず先頭に居て自分を引き上げてくれなければならなかったことを、彼自身が一番良く知っていたからに他ならない。

 個人のそれぞれの記録の集合の総点によってチームの優劣が決まるといわれるNFLにあって、31チーム中、攻撃力23位、守備力24位という成績のペイトリオッツが頂点に立った。チームが一丸となって前に突き進むとき、数字では決して表せない力が湧いてくることを改めて示してくれたように思う。

 史上最強とシーズン前から騒がれ、そしてある意味ではそれを証明しても見せたラムズの数々のスーパースターの名前が、観衆の前に高らかに響いたその後に、ペイトリオッツの選手たちの誰の名前も呼ばれること無しに一体となってお互いを鼓舞しているシーンが、深く目に焼き付いている。



最終更新日:2002年 9月 28日