備忘録・2001年2月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Wednesday, February 28, 2001
 いやはや時が経つのを早く感じるのは良いのか悪いのか、とにもかくにももう2月も終わり。

 ところで、どうして2月は28日で終わってしまって、次の日が3月1日になるのだろう、と疑問に思ったことはないだろうか。僕も中学生の頃に夜も眠れぬほど不思議に思ったことがあったのだけれど、高校生のときに一気に疑問が解決したおかげで、それ以上の悩みもそれ以降幸いにも出現せず、眠れぬ夜を経験せずにすんでいる(?)。(デイビッド・ダンカン『暦を作った人々』河出書房新社、参照)

 紀元前47年のこと、エジプトを征服したユリウス・カエサルは(もっともその時のエジプトの女王・クレオパトラはその才知と美貌でカエサルを魅了し、紀元前30年まで王位を保った)、ローマ共和国の将軍であると同時に宗教的指導者である終身神祇官でもあったので、当時のローマの暦であった「太陰太陽暦」(月の満ち欠けを元にして暦を定めかつ閏月を挿入することで太陽暦との誤差を調整する)の問題の多さに頭を悩め、征服したエジプトの暦である「太陽暦」に切り替える大改暦を実施した。ちなみにこのとき、カエサルはまず本来の暦からずれていた閏月の3ヶ月分を一度に挿入させたため、紀元前46年は1年が445日にもなる異常事態となり、「混乱の年」というニックネームがつけられている。

 さて、当時は一般的に3月1日を新年とする風習があったため、3月を31日、4月を30日、5月を31日、と交互に31日と30日を当てはめていき、ぐるっと1周した2月に端数である29日を当てはめた。ちなみに、3月を一年の初めとする風習は、立春を含む月を一年の初めとしたローマ建国以来の「ロムルス暦」にもとづく伝統と考えられていて、18世紀までヨーロッパ各地で見られた風習だそうだ。

 正月が3月から1月へ変更されたのは、1月を今でもJanuaryと呼ぶように、この月はヤヌス(Janus)神に捧げられた月であり、ヤヌス神はローマの領土を守護する神であったため、新年にふさわしいと考えられたという説が有力。ちなみに、9月の『September』、10月の『October』などの言葉は、ラテン語でそれぞれ「7月」「8月」の意味で、3月1日が新年であった名残りである。

 さらにカエサルは、自分の誕生日のある月の7月を、ラテン語の「5月」を意味するそれまでの『Quintilis』から自分の名前の『Julius』に改め(Julyの起源)て、「ユリウス暦」と呼ばれる一連の改暦を終えた。

 さてさて、よくよく考えてみるとこのユリウス暦では、奇数の月が31日で偶数の月が30日になるのだけれど、今日の暦では8月と10月と12月は31日だし、9月と11月は30日になっていて、おまけに2月は28日なのだけれど・・・。

 実は、カエサルの死後ローマ帝国の初代皇帝となるオクタヴィアヌス・アウグストゥスが、8月の月名を自分の戦勝を祝ってそれまでの6月を意味する『Sextilis』から、自分の名前の『Augustus』に変更した上、月の日数を30日から31日に変更し、その分次の月の9月以降12月までの日数を交互に変更し、1日多くなった日数は2月を28日として調整するという改暦をしたことによって、現在の各月の日数が確定したといういきさつが。なんともわがままな王様のおかげで、今の暦ができ上がったのである。

 というわけで、2月が28日になったいきさつを書いていたら、もう時計の針はとうに午前0時をまわって、もう3月になってしまった。

 春はもうすぐ。


Monday, February 26, 2001
 我が家に滞在中のお客様は、日本国外に出るのはこれが初めてとあって、見るもの聞くものがなかなかに新鮮なようで、今のところ感動的な日々を送っているようだ。こちらも、アメリカに来た当初の新鮮な気持ちを思い出したりして、初心を思い返させてもらっている。

 昨日は、大学などを案内したのだけれど、みぞれ混じりの寒空の中を、僕にひたすら引き連れ回されたあげく、こちらの都合で朝は早くにアパートを出なければならず、帰りも遅いとあってそろそろ疲れもたまってきた頃合い。ゴホン、ゴホンとしている隣で、ボストンみやげに風邪など持って帰らねばよいけれど。

 さてさて、こちらもきょう予定されていたハーバードでのミーティングが突然キャンセルされたり、ボストン大学医学部でのセミナーに参加するために、サウスエンドまで出向いたりと、相変わらずばたばたと動き回る日々が続いている。


Thursday, February 22, 2001
 先日、生物学科のラボの秘書さんから「フォトショップのセミナーに行ってくれるか」と突然聞かれて、今一つ事情が飲み込めないながらも、「OK」と答えたのだが、そのセミナーとはMITのコンピューターサポートチームが主催する、朝9時から夕方まで2日間に亘って行われるもので、なんと一人400ドルほどお金がかかるシロモノだった。もちろん、経費はすべてラボ持ちなのだが、コンピューターのソフトの使い方は見よう見まねでこれまで勉強してきた身には、何とももったいないような、うれしいような。

 今日はそのセミナーの第1日目だった。

 まあフォトショップはいつも使っているし、このセミナーは初級コースということだから、退屈しないといいけどなあ、なんて始まる前には思っていたのだけれど、いざ参加しみてみてびっくり。ソフトの使い方を教えるというよりは、「そもそも画像とはなにか」とか「なぜ平面の上で立体を表現できるのか」といった映像の本質に迫る内容。

 まずは白黒写真を自由に扱えるようにならなければ、映像の何たるかを知ることはできない、と今日の大半を使って白黒の写真をいじっていたのは、高校時代にまずは白黒写真が満足に撮れるようにならなければカメラマンとは言えない、と先輩に言われて明けても暮れても白黒写真を撮っていた新聞部時代に通じる気がして、なんだか懐かしくなってしまった。

 「トーン」(階調)が画像の命だということを、あらためて胸に刻む。

 それにしても、講師の話の上手なこと。キャンパスの西端の周りに何にもない校舎で行われているセミナーは、ほぼ1日缶詰め状態だけれども、全然時間の長さを感じさせないのはさすがだ。

 さて、今日の毎日新聞の4面の「記者の目」という記事の中で、安積高校の話題が取り上げられていた。

 この記事を書いている斉藤記者は、今年福島支局に赴任してきたばかりの新人さんなのだけれど、遠くフェンスの外から中をのぞいているようでいて、それでいて鋭くその中核を探り当ててしまうような眼力が感じられる方(といってまだ20代)。この記事も、部外者の冷めた目で選手を追っていながら、その実、選手の背中を一所懸命押してあげているような雰囲気が感じられて、高校の関係者以外の方が読んで、甲子園での試合の当日、ふらっと応援席に座ってもらえるような、そんな温かさに包まれている。

 夏の甲子園と違って、春のセンバツは、出場が決まってからほぼ2カ月の間、ああでもないこうでもないと外野が騒ぎ立てるのもまた乙な大会であるから、我が母校の初出場も、そんなお祭り騒ぎの中で、何とも心地好い不安感と期待感が入り乱れて、なかなかに楽しませてもらっている。

 さてさて、今日のボストンは夕方からひさびさに雪が舞う寒い一日。大学の後輩のFさんが、明日から1週間ほどボストンに滞在することになっているのだけれど、ちょっと明日の天気が心配。まあ、春休みとはいえ、この時期のボストン観光はそもそもちょっと厳しいのかも。


Wednesday, February 21, 2001
 アメリカのメジャーリーグの各チームもスプリングキャンプに突入し、いよいよ野球の匂いがたちのぼり始めた。

 今年のレッドソックスは、不動のエース、マルチネスに加えて、タイガースから野茂、ブルージェイズからカスティーロ、ヤンキースからコーン、そして昨年シーズン途中にロッキーズから移籍してきたアロッホと、大幅に先発投手陣の補強を行って、その顔ぶれを見ればもうヤンキースと十分に優勝争いを狙える布陣。さらには、メジャーの4番として名高いラミレスをインディアンスから獲得して、今から今年の活躍がたのしみで仕方がないのだけれど、不安がひとつだけ。

 いまやボストン市民の人気も上々の大家投手の行く末。メジャーでは、先発投手は中4日の間隔で登板がまわってくるのが常識となっているから、先発投手はきっちり5人しか必要がない。ということは、上のそうそうたる先発メーンバーの中に大家投手は当然割って入らなければならない。

 ほとんどのマスコミの大家評が、年齢的な不安の残るコーン(今年39歳になる)とのメジャー生き残り争いになるだろうと書いている。いやはやミスターヤンキースとまで言われた完全試合投手のコーンと、たった一つのイスを巡って争わなければならないとは、やっぱり厳しい世界。しかし、ここで勝たなければおそらくまたマイナー暮らしになってしまうだろうから、是非とも頑張って欲しい。

 ほんのちょっとだけ、コーンを見てみたい気もするのだけれど・・・いやいや、1球投げる度に鳥肌が立つような、そんな大家投手のあのピッチングは、是非ともフェンウエイ球場のマウンドで何度でも見たいから。


Tuesday, February 20, 2001
 インターネットなご時世の最大のメリットは、手軽に情報を発信することが出来るゆえに、趣味が高じたと思われる貴重な情報を提供してくれる様々な人たちが世の中にたくさんいて、我々がそれを「無償で」利用できるということではないかといつも思っている。

 そんなわけで、僕が定期購読しているメールマガジンのたぐいは、ゆうに30を超えるのだけれど、今日はその中から「英語のことわざ・百姓にあたらしい未来が見えてくる」というメルマガを紹介。

 これは、四国の瀬戸内海側の山裾の田舎で細々と農業を営む「あかぼし」さんが発行しているもので、1週間に1回ほどのペースで「英語のことわざ」の解説が送られてくるのだけれど、実はそのことわざにちなんだ彼のコメントの方に僕はむしろ惹かれている。

 なんというか、家業の農業をいわば振り払ってアメリカくんだりまで出てきてしまった我が身に、ぐさぐさっと突き刺さるような百姓としての真摯な姿勢と、また彼の大局を見渡した重い言葉に、考えさせられてばかり。

 メールが届いたその日は、すっかり天栄村の百姓のせがれに戻っているのだけれど、まあこんな放蕩ぶりに、今ではあちらから願い下げされている始末。まだまだ自分では、百姓の端くれのつもりなんだけど。


Monday, February 19, 2001
 どこでどう意見が食い違ってしまったのか、雑談をしているときにプレスビテリアンのAと、メソジストのRと、エヴァンジェリカルのKが、人生観を巡って少々ヒートアップ。

 プレスビテリアンは、スコットランド長老派系のアメリカのプロテスタントの本流で、アメリカ社会を作った宗教と言われている。またメソジストは、いまやバプティストと並ぶアメリカのプロテスタントの二大宗派のひとつで、英国国教会系のエピスコパル(これもプロテスタント本流)から分離した宗教。さらに、エヴァンジェリカルは大統領選では常にその動向が注目される(つまりどちらにつくかで票が大量に動く)ほどに成長したキリスト教右派。

 アメリカでは日本に何百という仏教の宗派があるなんてことは思いもかけられていないように、日本にいると、こんなにキリスト教の中に様々な宗派があるなんてことにはなかなか気がつかないもの。当然のことながらその教義はそれぞれにだいぶ違うようで、今日も自分の信じるところを各人が力説していた。

 いまや、プロテスタントとカトリックの差よりも大きいと言われる各宗派の教義だから、衝突しても妥協点なんてものはないのだけれども、「信じる」ということのエネルギーの原点を見た思いが。

 それにしても、話が煮詰まった感の出てきたところで、「ところで仏教ではどうなんだ」と話を振ってくるのは、さすがに熱の冷まし方を知っているという感じだけれど、まあ振られたのが僕ではねえ。

 仏教の芯である「空」、つまり「nothing」を持ち出すと、どうにもヒートアップしようがなくなるのは良いのか悪いのか。

 まあ、信仰への関心が世界でもダントツに高い国・アメリカに暮らしていると、織田信長の前で、イエズス会士のルイス・フロイトとのキリスト教と仏教の宗論に挑んだ、朝山日乗に同情したくなってくる。ちなみに、このとき負けたのは日乗の方だけれど、まあその訳もここに暮らしていると分かるような(この話はフロイト自身の手によって書かれた『日本史』(柳谷武夫・訳、平凡社・東洋文庫)に登場する)。


Sunday, February 18, 2001
 明日はプレジデントデーという祝日のため、世間一般には今日は3連休の中日ということになるが、まあ「完全週休1日制」を敷く我がラボには無縁の話。

 この祝日は、建国の父であるアメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンの誕生日(2月22日)を祝ってのもので、2月第3月曜日と定められている。また、ワシントンデーではなくてプレジデントデーという名前の所以は、実は2月12日がリンカーン大統領の誕生日であるため、こちらも同時に祝おうという魂胆。

 しかしそれにしても、この祝日が2月第3月曜日に設定されたというのもよく考えるとおもしろいものだ。というのは、いつの年もその候補日が15日から21日となって、どちらの大統領の本当の誕生日にも当たらないのだから。

 まあ、フェアを信条とする国ではある。

【今日の科学情報】
 実を言うと僕は「辛い」ものがからっきしダメで、おでんやホットドックに「からし」なんてつけて食べたこともない。
 そのからしは、和からしにしろ、洋からし(マスタード)にしろ、どちらもアブラナ科の「からし菜」が原料で、いわゆる「からし」は種子の部分が使われている。また、からしの辛味の素となっている成分は、「シニグリン」というもので、消化促進や殺菌作用がある。
 さてさて、「相手」を知ったうえで・・・現在体質改善中の僕は、辛いものにも挑戦しているというわけでした。


Saturday, February 17, 2001
 久々に寒い日となった。気温はマイナス8℃ほどだけれど、いつにも増して風が強く冷たく、体感気温はマイナス25℃ほどだとか。

 ボストンでは、気温というよりはこの体感気温「Wind Chill」がより気になる数字で、天気予報でマイナス30℃と表示される、はるかに寒いはずの内陸の土地よりも寒いと言われる所以が、この風の冷たさなのだそうだ。

 そんな寒さ厳しい折り、なかなかに僕を温かくしてくれているのが、安積(あさか)高校の野球部をとりまく最近の話題。初めての甲子園出場とあって、選手たちはもちろんのことやる気みなぎる時期であろうに、記録的な大雪に見舞われたグラウンドの雪は如何ともしがたく、土の上での練習が出来ないでいるそうだ。しかし、OBを中心にして近くの開成山球場の雪を解かすべく作業が続いていたり、市内の倉庫に積み上げられていた荷物を移動させたうえで、床に人工芝を敷き詰めて内野の練習用にと場所の提供があったり。

 週末は雪の無いいわき地方に遠征して練習をしているようだし、なかなかに北国のチームのレベルアップを阻む自然の猛威に直面してはいるけれども、それに立ち向かう姿があるからこそ甲子園でのプレーに我々は魅せられるのだろうと思う。

 果たしてどれほどの応援団が甲子園のアルプススタンドに集まるのかも、僕のひそかな楽しみ。今年、創立から117年を数える母校の卒業生の数は3万人を超えるが、もれ聞こえてくる盛り上がりから察すると、その3分の1のOBが集まってきてもおかしくないような状況。さらに、現役生とその家族と郡山市民、それに福島県民が結集すれば、ざっと1万5千人の大応援団になる。

 以前にも紹介したように、これまでに2度甲子園に出場を果たしている富山の新湊(しんみなと)高校の応援団が、その勇壮さで語り草となっているが、数としては1万人の規模。その規模をゆうに超えるだろう我が応援団は、どんな応援を見せてくれるだろう。フィールドの中でのプレーはもちろんのこと、スタンドにも注目したい・・・が、生では見れないのか。

 とにもかくにも1カ月後、選手たちには特別枠での出場を意識することなく、旋風を巻き起こすべく大暴れしてもらいたいと思う。


Friday, February 16, 2001
 以前にもこの欄でちょっと触れたけれども、1999年に採用されたフェローと1998年のグラント・リーダーが一堂に会して6月に開かれる、ヒューマン・フロンティアの第1回例会の申し込み締め切り日の昨日、発表することになる研究成果の要旨を無事に提出。会場となるイタリアはトリノに、初めて足を踏み入れることが確定した。

 アメリカ以外の国に行ったことのない身には、イタリアどころかヨーロッパに降り立つのも初めてのことなので、今からとても楽しみ。何よりこの会合は、宿泊費を除いて、食事や参加費用さらには旅費までも、財団が負担してくれるという、至れり尽くせりの何とも素晴らしいもので、ちょうど第1回が開かれるというその幸運にまさに感謝。

 もちろん、この会合は普段の学会と違って、分野の近しい人たちが集まって喧々諤々と議論するのではなく、HFSPに採用されたというただそれだけの共通点でもって集まることになるので、まさに分野はばらばらになるだろうし、財団の「世界を股にかける研究を支援する」という方針からしても、世界中から参加者が集まるだろうから、なかなかに刺激的なものになりそうなのも、今からわくわくするところだ。なんといっても、昨年10年目を迎えたこの財団の支援から、これまでに3件のノーベル賞も生まれているという、質の高さも魅力の一つ。

 財団がこの会合を10年を過ぎて初めて開くことになったそのもくろみは、まったく分野の違う研究に触れることで、それまで考えられなかったような研究の融合が一つでも発生すればしめたもの、ということだそうで、こちらとしても是非ともそんな新しい出会いに期待したいところだ。

 さて、5月末で切れるビザの関係で、この学会に参加した後にもう一度アメリカ国内に戻ってくるためには、一度日本に帰ってビザを更新しなければならないことになった。昨年の8月までは、日本のアメリカ大使館に郵送で更新を依頼することが出来たそうだが、今は直接大使館に出向いて面接を受けなければならないとのこと。

 というわけで、6月にはまた帰国する予定。


Thursday, February 15, 2001
 ちょっと太り気味の大きな体を揺らしながら、息せき切ってラボに駆け込んでくるや「このアイデアはいいぞ」といっきにまくし立てるのは、生物学科のラボのボス。

 話しかけやすいのか、それとも反応が一番わかりやすいのか、僕を見かけるや、真夜中に思いついたというアイデアを披露し始めるのは良くあること。話し終わると、「これはいけるな」と同意を求めるのもいつものことだが、「いける」どころかいつもながら感心することしきりなのだ。

 それほど突拍子もないことを言い出すわけではなく、本当に昨日の夜中一晩で考えたのかと思うほどに論理的に組み立てられていて、それでいて実験としてはいたって現実的なことが多い。頭が柔らかいとはこういうことを言うのだろうなと思うような、「コロンブスの卵」的な発想にも感心させられる。

 あまりにも身近で何げない「すごさ」を見ていると、なんだかずっと若いはずの自分の頭のかたさに呆れてくるけれども、ポスドクの時期はアイデアで勝負するのではなく、ボスのアイデアをいかに実現させるかで勝負するものらしいので、もうしばらくは脳が汗をかくほどに行動力に磨きをかけることに専念することにしよう。

 そうすれば、そのうち頭もこなれてきて柔らかくなるに違いない・・・なんとも非科学的な表現だけど。


Sunday, February 11, 2001
 まだかまだかと期待されていた人間のヒトゲノムの解析結果は、国際プロジェクトチームとアメリカのセレラ社との情報合戦の駆け引きもあってなかなか情報が漏れてこずにいたが、イギリスの新聞社のスクープによって一部の解析データの情報が流れ、満を持してついに明日の12日に公開されることになったと、ロイター通信がBreaking Newsで伝えている。

 これによると、ヒトゲノムは31億塩基対からなり、ハエのゲノムのわずか2倍に相当する3〜4万個の遺伝子で構成されているようだ。これは、当初10万とも6万から8万とも言われていた数からして、かなり少ない数である。もっとも、記事の中でも述べているように、一つの遺伝子から作られるタンパク質に様々なバリエーションがある場合があるので、単純にハエの2倍のタンパク質しか存在しないとは言えないけれども。

 セレラ社の社長であるベンター氏も、国際プロジェクトの主任のMITのランダー氏も、口をそろえて「ヒトゲノムそのものがヒトという生命の青写真そのものではない。まだ、この遺伝子が何を語っているか、我々は知る由も無い」と語っている。まさに、これからのポストゲノムこそが、本当の科学の腕の見せ所。

 この結果は、今後国際プロジェクトの結果はイギリスの「ネイチャー」誌に、セレラ社の結果はアメリカの「サイエンス」誌にそれぞれ掲載される予定だそうだ。


Saturday, February 10, 2001
 朝からなんだかついていない日ではあった。

 起きてすぐにお湯を沸かしていたら、突然電気が切れた。4階建てのこのアパートは、大昔に建てられたこともあって、建物全体の電源が一つしかない。つまりは、各部屋ごとの電気代を計算する術がないので、電気代は家賃に含まざるをえないという、使う側にしてみれば願ってもないメリットはあるものの、どこかの部屋で電荷をオーバーした日には、全ての部屋の電気が使えなくなるという恐怖と同居してもいる。

 研究室に向かう途中、道路脇に停めてある車のタイヤが雪の中に埋まってしまった状態で、タイヤが完全にスリップして抜け出せないおばさんに遭遇。車を後ろから押すべく手を貸したものの、ピクリとも車は動かないばかりか、スリップするタイヤの巻き上げるしぶきのその勢いたるや。

 研究室に着いて、指導している大学院生のうまくいかなかった昨日の結果の解釈をしている最中に、大きな間違いを発見。うまくいくはずがないことを確認して・・・大きなため息。

 そして極めつけは、今日の午後2時から予定されていた化学科のラボのミーティングをすっかり忘れていて、完全にボイコットしてしまった。

 化学科のラボに居れば、まわりの誰かが教えてくれたのだろうけれども、ミーティングのことなど脳裏の片隅にも無くなってしまっていた状態では、いつものように何の疑いもなく生物学科のラボに直行。

 化学科に戻ってきて、聞くともなく大学院生たちの会話を聞いていたら「今日のミーティングでは・・・」などという言葉が聞こえてくる。・・・そう言えば、今日は・・・。これぞ、後の祭り。

 ふう、明日は日曜日か。


Friday, February 9, 2001
 毎週金曜日の午後4時から、生物学科のラボでは「TGIF(Thank God It's Friday)」ということで、ちょっとしたパーティーが開かれ、ボス以下全員が集まって談笑することになっている。

 そこでは、実験のこともたまには話題に上るけれども、政治のことや経済のことや、どこぞのラボのうわさ話やら、いろいろなことがああだこうだと飛び交うので、こちらとしてはまたとない情報収集の場となる。

 まあ、そういう席での常として、話は次から次へと流れていくものであるから、話題の核心を追うことに必死になっている身としては、話を挟むというのはこれまた至難の技なのだけれど、ときどきみんなの視線が僕に集中する瞬間があって、ちょっとした緊張に包まれることがある。

 それは、ふと歴史の話題になったりしてあれは何年前だっけなあということになると「TOMIO」とくる。なんともまあ、僕は歴史フリークということになっているらしい。そういえば、ミーティングなどでその論文は何年頃に・・・とかよく言っていたので、その印象が強く残ってしまっているらしい。

 しかし、みんなの顔がこちらに向いたときに「いやあ、知らないなあ」と答える事の多いことに、そろそろ気がついてほしいなあ。


Thursday, February 8, 2001
 サイエンス誌に掲載される予定の化学科のラボの論文が、一足先にウェブサイト上で公開された。もっとも、論文全体を見ることが出来るのはAAAS会員(サイエンス誌を購読している人)のみだけれど、要旨は一般に公開されている。『www.sciencexpress.org』のページの「February 1『Automated Solid-Phase Synthesis of Oligosaccharides』」を参照のこと。

 また、この内容について今週号のサイエンスのニュースの欄で解説されていて、なかなかにエキサイティングな記事が紹介されている。

 なにしろ、これまでまだまだ実現は先の話だと思われていた、世界で初めてとなる糖鎖の自動合成を実現させたのだから、我らがラボの面々の興奮が伝染してもおかしくはない。

 論文の中で紹介されている糖鎖は、分岐のある12糖のポリマー。この糖鎖は、これまでに知られている伝統的な方法で化学的に作り出そうとすると、ざっと1カ月はかかるというシロモノだけれど、我がラボの自動合成機を使えば、人が関与するのは最初のセットアップのときだけの上、スタートから18時間後には目的の糖鎖を手に入れることが出来てしまう。

 自然界では、我々人間を含めて生物の体を構成する3つの鎖が知られている。DNAを作っている核酸の鎖、タンパク質の元になるアミノ酸の鎖、そしてタンパク質に様々な働きを与える糖の鎖。これらの鎖のうち、糖の鎖を除く2つの鎖はすでに自動合成機が作られていて、現代の生命科学の発展の基礎を支えている。そのため、それらの合成機の創出のための研究には、それぞれノーベル賞が贈られている。

 果たして、この糖鎖の自動合成機は、21世紀の生命科学を飛躍させるキーマンとなれるだろうか。その活躍次第では、10年後くらいにひょっとすると朗報が舞い込んでくるかもしれないのだけれど。

【今日の科学情報】
Science (2 Feb 2001) 291, 805-806


Wednesday, February 7, 2001
 水曜日の午前中は、生物学科のラボのセミナーの日。なにしろ、化学科のラボが火曜日の夜と金曜日の早朝にミーティングがあるし、2週間に1度の月曜日の朝には、共同研究のミーティングのためにハーバードのラボに出向かなければならない。ポスドク2年目のこの時期は、ミーティングに明け暮れるよりも、実験に明け暮れていたいのだけれど・・・、と思わないでもないが、まあこういう状況だから仕方がない。まずは与えられたものを、一つずつクリアしていくというのは、これまでと変わらぬ僕のスタイル。

 さて、今日のセミナーはこのラボで初めてとなる僕の発表があった。化学科から出向している身ということで、誰しもこのラボの面々は僕を化学畑の人間だと見做しているので、今日のセミナーもこのラボで扱われている糖鎖について「化学的な側面から」焦点をあてて説明してくれ、とのお達し。

 化学科のラボでは、いつも「生物学的に」この糖鎖の重要性を説明してくれ、と聞かれることが多いことを思うと、なんとも同じ人間に対する評価が、その場の状況によってこうも変わるものかなと不思議な感じがしないでもないが、まあ自分では生物にも化学にも通じた「生化学」屋になりたいと思っていることでもあるし、その訓練としては願ってもないことではある。

 このセミナーは、実はちょっとした緊張感が漂っている。というのも、もし発表を聞いている聴衆のうちの3人が理解できないと言い出したら、その時点で即刻その発表は中止されて、来週に再度持ち越しとなるというもの。聞いているメンバーは10人だから、3割の脱落者を出させたらダメがでるという、なかなかに厳しい設定。これは、たとえ身内への発表と言えども、発表たるもの始まりから終わりまでその回ごとに完結した、一つのストーリー性を持たなければ意味がないというボスの意向。幸い、今日の発表は最後までスムーズに事が運んで、めでたしめでたし。

 ところで、このセミナーの後ボスから呼ばれて、「今ポスドクを探しているのだが、誰か日本人でこのラボの研究に興味を持っている奴はいないか」とのお話。というわけで、どなたかRosenberg研のポスドク採用に興味のある方は、web@yabets.f2s.comまたはyabet@mit.eduまでご連絡ください。追って、詳細をお知らせします。なお、この研究室の現在の研究概要やNIHから支給されている研究費の内訳は、CRISPのページで、「PI Name」に『Rosenberg, Robert』とタイプして検索すると、一覧を見ることが出来ますので、参考にしてください。(ちなみに、このサイトでNIHから研究費を支給されている世界中の研究室をくまなく検索することが出来ます・・・これぞオープンなアメリカの心髄!)


Tuesday, February 6, 2001
 4月にフェンウェイ・パークで行われるヤンキースとレッドソックスの試合の予約が、先日始まったのだけれど、すぐに売りきれてしまうのは毎年のことだとかで、ラボの面々と初日から電話予約に挑戦。しかし、全然通じなかった電話がやっと通じたと思ったら、信じられないことに「売り切れ」とのことで、またしてもヤンキース戦はおあずけになってしまった。

 なんだってまあ、あんなにヤンキース嫌いがあふれている球場なのに、試合となるとこんなに人気があるんだか。

 ところで、日本のプロ野球は、もうすでにペナントレースに向けてキャンプインしている頃だと思うけれど、メジャーリーグのキャンプインは2月半ば。それを前に、毎年恒例のNBCテレビの各チーム分析に注目。

 ボストン・レッドソックスの大家投手は、チームからたった一人だけ選ばれて分析の対象となる「若手の期待株」に挙げられた上、何から何までも絶賛されるという異例とも言える二重丸。確かなプロの評論家のお墨付をもらって、これはなかなかに今年は期待出来そう。

 一方、実は日本人でもう一人「若手の期待株」に挙げられた選手がいる。それは、ニューヨーク・メッツの新庄外野手。

 守備は日本のトップクラスと紹介し、それほどでもない打撃も、メッツの貧打の外野手トリオに付け込めば、レギュラー取りも夢ではないとコメントしている。

 果たして実際はどうか。シアトル・マリナーズのイチローの活躍とともに気になるところ。開幕が待ち遠しい。


Monday, February 5, 2001
 久々のストーム。お昼ごろから、それはもう豪快に、雨混じりの重たい雪が次から次へと天から降り積もって、なんとも昨日までの天気がうそのような光景。

 んっ?・・・決して昨日この欄に天気のことを書いたからでも、久しぶりにジョギングなどをしたからでもない・・・と思うけど・・・。ボストンにお住まいのみなさん、僕のせいではありません・・・たぶん。

 ところで、生物学科のラボには総勢8人のポスドクがいるのだけれど、そのうち半数の4人が中国人。今日ちょっと雑談をしていたら、その中国人のうちの一人が、昔日本語を勉強しようと思ったらあまりに漢字の発音が違うのでまいった、と言う話になった。

 広く知られているように、日本で使われている漢字は、中国の南北朝時代の南朝(かつての呉があった地域)から入ってきた漢字の発音である「呉音」と、唐の時代になって入ってきた漢民族の標準語である「漢音」、宋・元・明代の発音を禅宗の僧や商人が中国からもたらした「唐音」があって、さらに日本古来の「やまとことば」である「訓読み」がある。中国人が混乱するのも分からないではない。

 そこで、一言アドバイス。全ての日本語の漢字の読み方を現代中国語から類推することは難しいかもしれないけれども、ある程度は出来ることが知られているのだ。

 たとえば、「ng」で終わる発音は、日本語には元来無いため、日本人は時代を追うことによってこれを「u」と発音するようになった。東(tong)、中(chung)など。また、じゃあ「wang」と発音する「王」はどうかといえば、旧仮名をみるとちゃんと「ワウ」と書いてある。そして現代では「オウ」。張(chang)もチャウを経てチョウ。さらに、「湯たんぽ」を漢字で書くと「湯湯婆」となるけれども、それは湯(tang)であるからだし、サンフランシスコを「桑港」と書き表すのも、桑(sang)だからだ。

 ただし、「ng」にも例外があって「ing」の場合には「ei」に落ち着いたようで、平(ping)は「ペイ」だし、明(ming)は「メイ」となる。イギリスを「英国」と書くのは、この「英」の中国語の発音が「ing」だからで、中国語で「イングランド」を発音から表記した事になる。

 まだまだ法則はあって、毛(mao)や高(kao)の「ao」は「ou」となったり、先(sien)や年(nien)の「ien」は「en」になったり、「Import Data」の5月15日の欄にも書いたように、Rの発音が出来ないことから派生した発音もある。そもそも漢字は中国から日本に入ってきたものだから、まったくオリジナルの発音からかけ離れているはずもない。

 そんな話をしていたら、妙に感動してくれたようで、突然満面に笑みを浮かべながら握手を求められてしまった。こうした法則がもっと普及すれば、中国人が日本語の勉強をするのも、もっとスムーズになるのにとのこと。

 それにしても、久しぶりに人前でたくさんの「漢字」を書いた日だった。


Sunday, February 4, 2001
 ボストンは、昨日に引き続いて雲一つない快晴。部屋の中から外の景色を眺めていると、なんだか春が来たかのような陽射し。折しも今日は「立春」だし、チャールズ川のほとりを周回するランナーも最近増えてきたし、それでは一つジョギングでも再開するかな、と久しぶりに走りに出かけた。

 しかしまあ、意に反して外の寒いこと。走り出して2分としないうちに、耳がちぎれそうになってきた。さすがに今日は半袖のTシャツということはないので、体は平気だったけれど、露出している肌はもうなんとも。まあ、根っからの頑固者は、一度走り出したらすぐに引き返したりするようなことは「出来ない」のだが、途中後悔することはしきりで、せめて毛糸の帽子と手袋を用意するべきだったと何度思ったことか。

 帰ってきてこのサイトのトップページのボストンの気温を確認したら、マイナス4℃。どうりで寒いはずだ。立春も日本の暦の上での話で、ここボストンで持ち出すのはどうやら間違っていたらしい。ジョギングは・・・もうちょっと後にしよう。

 さてさて、昨日のこの欄で、僕が大学院生に実験を指導するときに「知識を提供している」と僕は書いた。決して僕は情報を流しているのではなく、知識を分けているつもりなのだが、もう少しして僕が信頼されるようになってくれば、「知恵」を披露したいと思ってもいる。

 実験書に書かれた手順をそのまま伝えているとしたら、それは情報を流しているに過ぎないが、なぜその操作をすることになっているのか、つまりその情報に脈絡と意味を与えた「知識」を、ときに一緒に考えたりしながら、僕が知っている限り伝えようと努めている。

 そしてその知識に、僕の経験というフィルターをかけてちょっと工夫したものが「知恵」である。知恵とは、そもそも能力を指す言葉であって、口にしている本人が信頼されていない限り、それが妥当性を生むことはないシロモノであるから、知恵を披露するためにはまずは僕の信頼を勝ち得なければいけない、と思っている。

 劇作家であり阪大教授の山崎正和さんの著作『大分裂の時代』(中央公論社)の中の表現を借りれば、「『本日の東京は雨である』という情報に対して『この雨は田植えの合図だ』という長老の知恵は極度に個人的であり、その能力を信頼しない人にとってはなんの妥当性もない」ということになる。つまりは、僕が信頼されない限り、僕の知恵は単なる個人的な情報に帰してしまう。

 情報と知恵を結ぶものが総合的な「知識」であるから、まずはせっせと基盤を作らねばならない。

 世の中に目を向けてみると、情報はますます氾濫し、それを躍起になって収集する風潮が広がっているけれども、しかしこれでは先人の残してくれたせっかくの「知恵」には到達できないような気がする。情報と知恵を結ぶには「知識」が必要だからだが、果たしてこの「知識」たるや、説得の努力なしに伝達される情報と違って、説得の努力が必要なために(説得が可能だといういうことはそれだけ普遍的だということでもあるが)、どうしても顔の見える人の口からしか伝えることが出来ない。つまり、そうした知識を集めるためには、相応しい人、あるいはそういう人の集まる場所を見つけて、積極的に話を聞くという努力を続けなければならないことになる。もちろん、そうした話は生の声であることもあるし、テレビやラジオを通してであるかもしれないし、場所もまた、実際の場所であったり、本という活字の中だったり。

 今、小さな小さなフィールドだけれど、一人の大学院生に知識を伝えるという立場にあって、その相応しい伝え手となるためにはまた、僕の知識を蓄積する日々の姿勢が問われているのかもしれないな、と思ったりしている。

【今日の科学情報】
 知能と関係していると言われている、相対脳重という体重を補正して計算した脳の相対的な重さが、ヒトに次いで大きいのはチンパンジーだと思われがちだが、実際はそうではなく、ネズミイルカという小型のイルカで、その大きさはヒトと比べても僅かな差だそうで、あらためてイルカは頭が良いのだということを認識。


Saturday, February 3, 2001
 新・大学院生への実験指導は、可も無く不可も無くといった状況か。まあ、あくまでも教える側の見方で、教えられる側にしてみればとんだ災難だと思っているかもしれない。

 主要な自分自身の実験は、生物学科のラボで行っていることもあって、朝8時すぎから10時頃までは化学科のラボで大学院生の今日の計画などを聞き、注意点やら今後のことなどを喧々諤々。その後、生物学科のラボに移動した後、昼時に戻ってきて午前中の様子を逐一報告してもらって、またまたアドバイスを少々。午後は、実験も佳境に入ることが多くなかなか戻ってこれないので、問題があれば電話で相談されることもある。そして、夕飯時に戻った際に一日の結果の検討などを。

 なぜにこんなに付きっきりで・・・、と思われるむきもあるやもしれないが、なにしろ大学までの専攻を変えて「新たに」生化学に挑戦している身であるから、なかなかに意気込みもあって、たくさんの知識を一所懸命吸収しようとしているのだから、まあ人情としてはそれに応えたいところ。

 それから、この実験スタイルはまさに僕がハーバードで行った1年間の日々そのもの。毎日、毎日、ボスと顔を付き合わせて、ああだこうだと言われていたことが、結果的には短期間でこの分野の研究になじむことになった経験から、一つそれをまねてみようと。

 もっとも、指導する側に雲泥の差があることをどう埋め合わせるかが、最大の問題ではある。

 ところで、こちらも知識を提供しているばかりでなく、いろいろと教えられてもいる。彼女は、ティーチングアシスタントをしていることもあって、化学科のラボに僕が戻ったときにすれ違いになることもままあるのだけれど、そんなときは机の上にメモを書き留めておいてある。これが意外に「現代英語」の勉強になるシロモノで、「なるほどこういう表現で言えばいいのか」という発見がよくあって、非常に勉強になる。

 といって、彼女の使う英語が、いわゆる若者ことばなのかどうか知る由もないので、これをまねて僕が言葉にしたとたんに、まわりの人に変な目で見られることがあるかもしれない。辞書に載っていないことがよくあるので、調べようもないのが辛いところだけれど。

 恥を忍んで、一度使ってみてまわりの反応を見ればいいのか・・・。それを見たアメリカ人には、女子大生語を操る30男に思われることになるわけだが。


Friday, February 2, 2001
 5月末に期限切れとなるJ1ビザの更新をするかどうかのおうかがいが、事務局から寄せられた。

 実は、僕のビザのスポンサーはこのMITではなく国際財団であるので、期限が切れた後の延長などはいろいろと時間がかかるのかと思って事前に問い合わせをしたのだけれど、延長後のスポンサーがMITになる場合は、単に延長の意思を事務局に伝えれば、自動的に事がなされるからと申し渡されていた。まあ、もちろんボスの許可の元でという意味だが。

 ビザの期限の切れる4カ月前と2カ月前に、延長するかどうかを確認する書類を送るからと言われていたのだけれど、まさにぴったり4カ月前にその書類が届いたというわけ。いつもながらここの事務局はきっちりしているので助かる。

 さて、ボスとは口約束では契約の延長を言い渡されているけれども、正式にはまだ何も言われていないので、いよいよもう1年ここにとどまる決定の時期が来たと思って、ボスのオフィスへ。

 ところが、今日からボスは長期出張で、再来週まで留守なんだとか。はてまあ、ちょっと出鼻をくじかれた感がなくはない。

 まあいずれにしても、もうしばらくボストンで頑張るぞと、決意を新たにして迎えた2月であった。



最終更新日:2001年 3月 2日