12月24日 日本人には独創性がない?
  タイトルとは裏腹に、またまた日本人の独創的な仮説が世界の注目を浴びている。このほど、NASAがハッブル宇宙望遠鏡を使って、強い赤外線で輝く「超高光度赤外線銀河」(ULIRG)を観測した結果、銀河が3個以上集まり多重衝突している現場を多数観測し、発表した。これは東北大の谷口助教授らが昨年発表した仮説を証明するもので、これまでの定説だった「2個衝突説」が覆ることは確実。NASAはこの報告をするにあたり、谷口助教授らを偉大な貢献者として連名で記載している。この仮説は昨年発表されたものの、果たして証明することが出来るかどうかが最大の焦点だっただけに、わずか発表から1年あまりでの証明は、説の確かさを表わしているに違いない。
  世間では、日本人はものまねや応用は得意だけれども独創性は足りない、とよく言われるけれども、それは決して真実ではないことをこの話題は示している。また、インターネット界を席巻しているソフトバンクの孫正義さんや、世界中で独占的に普及しているテレビゲーム機器とそのソフト、さらにアニメーション技術の例を出すまでもなく、独創的な日本人は巷に溢れている。つまり、決して日本人に独創的な研究が出来ないことはないのだ。がしかし、揺るぎない世間の印象を決めているものは、結局は、我々普通の日本人の普段の他の国の人たちと接する態度によっているのかもしれない。アメリカでの生活では、そうした役割も背負っていると思うと、日々の生活もちょっと緊張するけれども。

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12月5日 アメリカに渡って半年
  5月末に成田空港を飛び立ってから、はや半年。日本と変わらないくらいに蒸し暑かったボストンも、もうすっかり真冬に突入し、冷や汗をかきながら「いやあ、暑いなあ」などとごまかすことも出来ない季節となってしまった。こちらに来るまでの目に見えない不安の中で過ごした半年と、暮らし始めてから目の前に迫りくる不安の中で過ごした半年は、たしかに次元の違う感覚ではあるけれども、どちらも、過ぎてしまえば心配したほどのこともなかったか、と思い起こすことが出来るのは、どれほど感謝してもしたりないくらいに、とりまく人に恵まれたからだろうと思う。たしかに、活字や映像により目にしていた以上の日本を離れて外国で暮らす苦労は、こちらの覚悟を容赦なく乗り越えて襲ってきたけれども、そんなときにも、日本からの励ましのメールやラボのメンバーのサポート、ボストンに暮らす日本人の方々の差し伸べてくれる手に励まされて、どうにかこうにか乗り越えることができている幸運に感謝したい。
  アメリカという国は、「自由の国、個人を主体とする社会」という見方をされることが多いし、日本にいるときはそう思っていた。しかし、半年の生活の中で、言葉にすれば確かにその通りだけれども、その中身は日本人が思っているものと違っているような気がしている。
  伝統的に日本では、個を殺してでも全体の体裁を保つことが徳とされてきているため、最近になって突然個性を主張しろと言われてとまどっているようなフシがある。日本でここ最近に様々な子供たちの問題行動が取り沙汰されるのは、日本人としての土壌、文化を一切無視して、自由にしていいんだよ、といわれた子供たちが、結局どうしていいか分からずに、結果として問題を起こしているような気がする。そんな混乱も、自由にして良いと言っている当の大人たちが「自由」について考えたこともないのだから無理からぬことだろうと思う。子供の行動を戒めるべき大人たちが、自由とわがままの区別を明確に持っていないのである。これは結局は、これまで日本では本来「自由」であることも「わがまま」としてとらえてきた土壌の上で社会を築き上げてきたのだから、誰と言って現代に生活している大人を責めることも出来ないことではある。
  「自由」とは、人間として自分で責任をもって考えたり味わったりする思想と精神の働きであり、わがままとは他人のことは考えず、自分のしたいようにふるまうことである。つまり、空のコップに水を注いでくれるように要求することは「自由」の主張であるけれども、いっぱいに満たされたコップにさらに水を注ぐように要求することは「わがまま」なのである。人間社会に絶対的な自由は存在しないことは、この説明を挙げるまでもなく明らかであるけれども、個の自由という概念のなかった日本において、自分に都合の良い単なるわがままと、この世に生まれてきた一人の人間としての自由の主張とを、はっきりと区別することが出来る日本人は少ないのではなかろうか。そういう本人ですら、まったく自信がない。
  ところが「自由の国」アメリカの人たちは、実に明確に区別をし、わがままではない自由を実にうまく主張しているし、個人が集合した「公」という場を大切にしているような気がする。たとえば、店で買った品物が不良品だったときばかりでなく、買った日の何日か後に同じ商品が特売品になったりしたなら、市民は迷わずその商品を返品して特売品の同じ商品を再び買い求めるし、クリスマスに交換したプレゼントの中に気に入らない物が当然あるだろうけれども、そうした品物を返品するコーナーがクリスマスの後にはデパートに設置されるそうである。しかし、市内のすべてのレストランが禁煙になっていることからも知れるように、タバコを吸うのは自由だなどとは言わないし、どんな小さな駐車場にでも身体障害者専用のスペースがあることに抗議したりはしない。また、自由経済の象徴的存在であるマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長は、これまでの億万長者のような天然資源や土地の売買といった現物や特許のような権利によって富を築き上げたのではなく、ソフトウェアという形のない「知識」によって、総資産12兆円という莫大な富を築いた人物であるが、これから彼が死ぬまでのあいだずっと、彼の年収の95%(約100億円)が毎年NPO(民間非営利団体)に寄付されることが決まっていることは、案外知られていないかもしれない。さらに、このNPOは全米に120万組織あると言われており、そこに投資している市民は1000万人にものぼるそうだ。こうした投資は、NPOの代表的な活動は福祉活動であるから、日本で最近話題になっているような福祉の問題を市民レベルで解決していくための原動力となっているのである。これらは、自由を主張するためには「公」という枠が存在しなければ無意味であることを教えていると思うし、自由の陰には「自分以外の他人」が常に意識されていることを示しているのだと思う。
  もちろん、もろ手を挙げてアメリカ文化を讃えてばかりはいられない。ビル・ゲイツという世界有数の大資産家を産むこの国は、1億人集めても彼の資産にかなわない低所得者を産む国でもある。しかし、世界的に「国際化」が進む現代において、自分の民族の持つ良き文化をよりよいものにしていくため、見習うべきものには目を向ける謙虚さを持つことが大切なのだろう。まずは、自分の目の前のコップが空なのか水が満たされているのかを見分けるための訓練が必要である。「まったくアメリカ人は・・・」なんてばかり言っている場合ではない・・・とは自分に向けてだが。鋭意努力。

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10月24日 遺伝子解析にもハイテク競争
  先日Scienceという科学雑誌を読んでいてびっくり。日本でもそうだったけれども、遺伝子の塩基配列を解析する装置は、ふつう(というか最も良く売れている機械という意味でだけれど)一度に48サンプルの解析をしてくれる。さらにいくら自動化が進んだとはいえ、一つ一つのサンプルを機械にかける(具体的には10マイクロリットルほどの液量のサンプルを、アクリルアミド製のゲルに注入する)のは、いまだに人間の仕事・・・と思っていたら、時代は今やこの作業も自動化されつつあるとのこと。おまけに市場には、一度に480サンプル(まさに10倍)をいっきにやってしまう機械も出回っているらしい。いやはや、まさに高速の進歩と言うやつだ。しかし、ここで驚いている場合ではない。記事はさらに続き、現在実用化へ向けて検討されている装置は、実に5000サンプルを8時間で解析してしまおうというものらしい。
  これだけ一度に大量の解析を、しかも人手を使わずに出来るようになれば、当然コストがべらぼうに下がることが予想される。現在は、1サンプルの解析を外注しようとすると10ドルかかることもざらだが、将来は1サンプルあたりわずか0.1セント(1円かからない)になるだろうと予想している。こうなれば自分でゲルを作って電気代をかけて遺伝子の解析をするなんて、自分で塩田を作って食塩を精製するようなものだ。もっとも、さまざまな種で進行しているゲノムプロジェクトが終わってしまえば、そもそも遺伝子を解析するという作業そのものが終わってしまうのだけれど。
  時代は分子生物学が隆盛をきわめているが、この進歩を支えているのは次から次に開発される「キット」や「システム」。面倒な試薬の調製や複雑な実験手順を肩代わりしてくれる恩恵は、計り知れない。30年前であれば遺伝子を解析するという実験に博士号が与えられたけれど、いまや30年前のノーベル賞級の実験は、高校生にも出来るものとなっている(遺伝子の解析に必要な原理は、2度のノーベル化学賞受賞となったイギリスのSanger博士の理論をもとにしている)。面倒なルーチンワークが次々に商品化されているということは、世界中の研究者が同じ条件で実験を進められるというメリットがある一方、われわれ研究者には職人技ではなく真のアイデアでの勝負が求められていることを意味している。

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10月17日 東海村の臨界事故の波紋
  世界で最も多くの研究者が目を通していると言われている、イギリスの科学専門誌「Nature」の冒頭の社説に、東海村の臨界事故に対するコメントが掲載された(Nature (1999) 401, 549-555)。その中には、事故そのもののことよりも、日本政府への痛烈な批判が書き連ねてある。たとえば、今回の事故を未然に防げなかった科学技術庁の原子力安全委員会について、「非常勤の学識経験者によって構成され、極めて少人数の官僚が作成した文書を形式的に承認しているだけだし、官僚達は、巨大かつ危険性の高い原子力産業における安全性を規制監督するために必要な専門的知識を持っていない」と手厳しい。また、2001年に科学技術庁が文部省に統合されることがすでに決定しており、原子力安全性に関するほとんどの行政責任は、文部省ではなく、通商産業省あるいは機能強化される総理府に移管されることが予想されているが、「政府が新たな規制機関を設立し、十分な資金、人材、専門的知識そして責任を委ねない限り、従来からの問題が解決されることはないだろう」と指摘している。さらには政府への批判にとどまらず、矛先は日本国民へも向けられている。「ただ国民の側からも、このことを要求する声はあまり聞かれない。数々の失態にもかかわらず、お上のご威光に揺るぎはないのである」と。
  さすがに権威ある科学専門誌だけあって、いちいち的を得た指摘だと言わざるを得ない。が、こうまで言われて日本政府が、あるいは日本人が反論する言葉を持っていないとしたら、ちょっと悲しすぎないだろうか。科学者の声に科学者が答えるという意味で、前文部大臣の有馬さんには世界を知る物理学者としての顔に期待したのだが、事故を起こした会社役員を呼んで声を荒げただけでお役御免とは・・・。とにもかくにも、こうした専門家の意見が反映されてこそ、住みよい国となり得ると思うのだが、そうした考えもまた政治家ではない専門家の考え方なんだろうか。

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10月10日 ヴェルディ川崎の再生が意味すること
  日本のJリーグの試合をアメリカで見ることは出来ないけれど、応援する鹿島アントラーズとベガルタ仙台以外に、最近の結果が気になっているチームがある。読売新聞が経営から撤退したヴェルディ川崎である。昨年カズ一人に支払っていた金額で、現在スタメンとしてピッチに立っているイレブンの全員の基本給が賄えるという経済状態となって、果たしてどこまで落ちていくのか・・・という意味で注目しているのではない。新たに就任した李国秀・総監督がJリーグを変えてくれるのではないか、そんな思いで日本からのJリーグの結果を毎週楽しみにしている。
  李総監督は、確かにヴェルディ川崎の前身の読売サッカークラブの出身ではあるが、昨年まで12年にわたって神奈川の桐蔭学園高校のサッカー部の監督だった方である。つまり、アマチュアの監督なのだ。Jリーグのチームの監督をするためにはS級の監督ライセンスが必要なのだけれど、当然、李さんは持っていないため、本来ならばJリーグの監督は出来ない。そこで肩書きが監督ではなく「総監督」なのである(ちなみにヴェルディ川崎の監督は松永秀機監督)。では、そんなアマチュアの監督に、なぜヴェルディの坂田社長はチーム作りのすべてを委ねたのか。
  李総監督は、長崎・国見高校の小嶺忠敏監督と並んで日本の高校サッカー界をリードしてきた独自の哲学の持ち主であり、選手育成の名手と言われている人である。また、短い高校3年間の指導を実践する場所として、駒澤大学と太いパイプを築いたことで知られている。つまり、桐蔭から駒澤に進学した選手は、李さんの哲学から大きくはずれることなくさらに4年サッカーを続けられたのである。もちろん、サッカーは個人のテクニックも大きな要素を占めるスポーツではあるが、さらに勝利に大きく貢献するのはチームワークであり戦術である。野球やアメリカンフットボールが「静」の戦術ならば、サッカーはラグビーと同様「動」の戦術である。プレーの中で瞬時に攻撃にしろ守りにしろ、プレーを創造していくスポーツである。であるから、初めから終わりまでチーム全体に一本の筋の通った考え方が染み込んでいるかどうかが大きく試合を左右する。果たして、たとえ一流とは言えない選手の集団でも、選手個々のサッカー哲学が一致しているチームの戦術ならば、Jリーグというプロのサッカーに通用するのか否か、そこが大きな焦点である。
  現在ヴェルディ川崎のスタメンに名を連ねている、山田卓、米山、林、小林、栗原といった選手は、その桐蔭、駒澤の出身選手なのである。そして名門復活といってよいヴェルディのこの成績。まさに、一定の哲学で選手育成をしっかり行い、育った選手をうまく起用しさえすれば、無名の若手で構成されたチームでも十分にプロの世界で通用することを証明している。しかし実はこの結果はある程度予想されたことであり(だから注目しているのだが)、他のJリーグのチームは百も承知のはずなのだ。なぜなら、すべてのチームがサテライト、ユースなどの下部組織を持っているし、強豪と言われるジュビロやアントラーズの選手はその下部組織出身の選手が多いのだから。あとは育成する指導者の問題、さらにはそのチームをどんな戦術のチームにしたいのかというフロントの問題ということになろうか。
  お金がない、選手がいない、能力がない、と不平不満を並べるのは簡単である。現状を分析し、何が足りないのか、何がさらに必要なのか、そして理想は何なのか、一度立ち止まり方向を見据えたらあとはひたすらまっしぐら。そんな姿勢はサッカーの例に限らず、われわれの暮らしにも当てはまることなんだろうと思う。李総監督の奮闘を生で見れないのが残念だけれど、1-0とか2-1と示された試合結果からそんなことを思ったりしている。

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10月9日 東海村での臨界事故に寄せて
  先日の東海村での放射能漏れ事故は、もちろんアメリカでも大きく取り沙汰され、ロシアのチェルノブイリ原発事故を引き合いに、危機管理対策などを再確認する番組などが報道された。アジアで最大規模、世界的にもチェルノブイリ、スリーマイル島に次ぐ、史上3番目の最悪の事故が、日本で起きてしまったことは本当に残念でならない。日本の新聞を読むことが出来ないので、詳しいことは分からないのが残念だが、こちらのニュースで報じられていることによれば、19%のウラン溶液の16kgをいっきに反応タンクに注いだらしいが、いったいどんな教育を受けた人がこの業務に携わっていたのだろう。もとを正せば、会社は何をしていたんだと、怒りが込み上げてくる。広島に落とされた原爆の原料は、1%のウラン溶液10kgである。その何倍もの危険性のある作業が白昼堂々と行われていたとは・・・。現在東大病院に入院されている方が被曝した線量は、17Sv(シーベルト)とのことだが、広島原爆で亡くなった方の被曝量が4から5Svだったことからしても、その作業の恐ろしさが伝わってくる。
  こちらで報道されている大きな焦点は、起こった事故のことよりもその後の政府の対応の遅さについてである。事故発生から10時間も経ったあとに政府からいろいろと指示があるようでは、アメリカのメディアにたたかれても同情の余地はない。そもそも放射能漏れの指標となるセシウム138という自然界に存在しない物質は、半減期がわずか32分であるから、10時間も経ってしまっていてはドロナワもいいところである。どうして「東海村」という40年も前に原子力発電が発祥した、最も危機管理対策が進んでいるはずの土地で、こんな事になってしまうんだろうか。こうした事態のときに、唯一対応が出来ると考えられる陸上自衛隊の「化学防護隊」は、1時間とかからない朝霞駐屯基地に配備されているはずなのに。
  日本で何かあると必ず言われることだけれども、事態そのものに対する情報が伝わらないのが、最大の問題なのだと思う。臨界反応時に発生する中性子の飛翔距離とされる半径350m以内の住民に対して避難勧告が出され、コミュニティセンターに避難していたけれども、インターネットで放射線量を地域ごとにモニターしたものを確認してみると、住民の方が避難し終わったごろの午後8時には、なんとそのセンターのある地域の放射線量がもっとも高く、最も危険なところに逃げ込んでいたことがわかる。おそらく、逃げ込んだ住民の方はもとより、指示した役人もそんなことは知らなかったに違いない。また、半径10kmの住民に対して屋内退避勧告が出されたようだけれども、臨界反応によって中性子が発生した場合、この中性子を遮蔽する物質は地球上に存在しないことを考えれば、屋内退避という処置がいかに無防備な措置であるか、知らないゆえの幸せと言ってばかりもいれない。おそらくスリーマイル島での放射能被害が半径8kmの地域に及んだことにちなんだ措置なのだろうが、津波が起こったときのように出来るだけ遠くに逃げることが放射能被害を最小限にとどめる有効な手段であることを知るべきである。もちろん、今回のようなことが起きたときに、そうした手段が取れるような態勢(車で避難して渋滞になるなんて事がないように)、つまり臨時列車なり緊急避難用の飛行場の整備などを、あらかじめ準備しておくことは言うまでもないし、当然原子力発電関連地域には、すでにあってしかるべきなのである。
  また、情報過多と言われる現代だが、肝心な情報が伝わらないばかりでなく、肝心な情報が発信されないようではせっかくのインターネット時代がもったいない。そもそも原子力発電関係施設などの、地域住民に対して責任ある施設の警備を民間の警備会社が請け負っている国もあるまい。アメリカでは、テロ対策と言う名目で国防省管轄となっているが、むしろそうした外敵に対する防備という役割よりも、何か事故が起きた際の情報伝達速度がさすが軍隊だけあってスピーディーであるというメリットに注目したい(日本では科学技術庁の管轄のため、自衛隊はもちろん警察や消防に対する命令系統すらない)。今回も、警備をもし自衛隊が行っていたら、即座に化学防護隊を要請し、陸と空から放射能量をモニターして、最も危険性の無い地域に住民を誘導する、なんてことが出来たに違いない。
  そしてさらに大事なことは、情報を判断する知識を住民が持っていることである。10時間も後に出される政府からの指示を待っていたのでは、自分の身を守ることすらおぼつかない。必要な情報を収集し、状況を判断するための知識を身につけることこそが、大学に入ったとたんに忘れてしまうような数学の公式やら年号を覚える事よりも、本当に必要な勉強だと思う。たとえば、9日に自民党の亀井さんが2001年のペイオフ凍結解除に対してコメントしていたが、その中で「一挙にグローバルスタンダードにするには無理がある」として、凍結解除の延期を提案していたけれども、根本的にペイオフ凍結解除がグローバルスタンダードだと思っていることに問題があることを知るべきだと思う。そもそも日本の金融制度のもと2001年にペイオフを実施したら、アメリカがこれまで特別措置として行ってきたペイオフの、80年分に相当する事態となるそうだ。この例から考えても、ペイオフの凍結解除を延期するばかりか、解除してはいけないことは金融界の常識であるのに、政治に反映されない不思議さ。情報が多いのではなく、「すべての人に必要ではない」情報が多いのであるから、本当に必要な情報を集め、まわりから言われるままにではなく自分でも状況を判断できるようにする、そんな姿勢がインターネット時代の今、求められているのだと思う。

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9月12日   「TIME」という週刊誌に「WINNERS & LOSERS」という小さなコラムがある。その週の勝者と敗者をそれぞれ紹介するという、いたって単純な企画なのだけれど、これが結構その週の出来事を総括していておもしろい。今週は、iBookのヒットと発表された次期大型製品「G4」への期待、はたまたプロデュースしている「Toy Story 2」の大ヒットで、まさにアメリカの株価引き上げの牽引役を一手に担っているアップル社暫定CEOのSTEVE JOBS氏が登場している。そして、JOBS氏同様の勝者として名を連ねているのが「PHONE USERS」。つまり、電話利用者ということで一般市民を挙げているのだが、これは現在過熱を極めている電話料金の値下げ競争の恩恵を受けている市民を指してのもの。つい1年ほど前まで市外通話料金が1分間20セントほどだったのに、ついに7セントという会社が登場した。日本へですら一番安いところだと19セントという電話代でかけることができる。まさに自由経済主義のアメリカを象徴する話題だが、果たしてこのはた目にも恐ろしいほど過熱している競争に、このまま喜んでいて良いものかどうか。
  一方で、現在のアメリカは、まさに10年ほど前の日本を彷彿とさせるバブル経済の真っ只中。ボストンの家賃は年間で30%ずつ上がっているとさえ言われているし、金余り現象の中で輸入が増大し貿易赤字が膨らむ一方では、ドル安がすすむのも道理である。電話料金値下げ競争が、景気好調に押されて狂騒しているバブル経済の「凶相」を示しているのでなければよいが。

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9月6日   東京オリンピックの開催に合わせて1964年10月1日に開業した新幹線。その始発から実に35年もの間現役で活躍した「0系新幹線」が、今月18日東海道新幹線から姿を消す。特急で6時間半かかった東京-大阪間を4時間で結ぶ新幹線を、夢の超特急と呼んだ当時の人々の気持ちがよくわかる。そんな0系新幹線は、1986年までに3216両が製造されたが、現在は「こだま」として1日4本が運行されているのみである。一方で、最新の700系新幹線に至る100系、300系、500系の新幹線によって、現在は東京-大阪間を2時間半で結んでいる。
  それにしても、人間を輸送するという最も安全性が要求される新幹線という乗物を、35年にもわたって活躍させ得た当時の設計力と技術力に驚かずにはいられない。100系が登場するのは1985年で、実に20年以上に亘って、新車両の必要性を感じさせない完成された乗物を当時作ってしまったのだから。ちなみに500系が登場してわずか2年の今年、最新の700系が発表されている。もちろん、経済的な余裕や、より安全性を高める努力を押し進めている結果であることは百も承知だけれど、果たしてこれから35年先まで実用的に使用できる「もの」を設計し、作れる人たちが、今どのくらいいるだろうか。少なくとも、35年前の日本にそうした人たちがいたことを、日本人として誇りに思いたい。

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4月10日   プロ野球が開幕し、お気に入りの球団の勝敗に一喜一憂する季節が今年もまたやってきた。そして、開幕前に話題を集めたのは、西武の松坂投手とならんで阪神タイガースの新庄選手だろう。センターからの矢のような送球をピッチングに活かすという苦肉の作とも言える、投手との二刀流。まさに賛否両論、阪神ファン以外をも巻き込んで大騒ぎとなったが、ここで解説者たちが盛んに口にする「常識的にはありえない」という言葉に、なんとなく違和感を覚えた。なぜならその「常識」にこそ、頭に抜け落ちた言葉をつけなければならないからだ。「最近20年のプロ野球界の」常識では、と。ミスタータイガースと呼ばれた藤村富美男は、物干し竿の異名をとった長めのバットを自在にコントロールし創成期のタイガースを支えた天才バッターだが、実は先発投手と外野手として2年間プレーしている。当時、ピッチャー交代の際にマウンドからセンターに走る姿は少年達のあこがれだったそうだ。さらに、阪神には二刀流でならした強者がその他両手では数えられないほどいるし、大洋の初優勝時の監督で三原マジックの異名を取った三原脩も、二刀流でプレーした時期がある。つまり、投手兼任プレーヤーは、突拍子もない発想ではなく、時代に合わない発想なだけなのだ。それは、常識に則っていないからといって、イコール不可能を意味しているわけではないのだ。もちろん、新庄選手が成功するかどうかはまた別次元の問題だけれど。
  最近はあまり声高に叫ばなくなったけれども、夫婦別姓について騒がれた時期があった。結婚したら夫と妻は同じ性を名乗る、という至極当然のようなことをまさに「常識」と呼ぶなら、それこそ頭に、「日本での」という言葉を掲げなければならないといったら、驚く人もいるかもしれない。そこが「常識」の罠なのだけれど。実は、法律によって婚姻関係にある夫婦が同姓を名乗らなければならないと定めているのは、立法国家においてはインドと日本だけなのだ。多数決を取れば文句なく、この日本の制度は「非常識」ということになるだろう。そもそも姓(名字、苗字)を持たない、モンゴルやミャンマーなどの国もあるし、戸籍が法制上確立しているのも日本と韓国だけなのだから、世界を相手にわたっていこうとするこれからの時代、常識だと思っていることにとらわれていては、大きな間違いを引き起こすことにもなりかねない。きわめつけは、夫婦別姓に反対する人たちが口にする「日本の伝統」としての夫婦同姓は、あまりの不勉強さに驚いてしまう。なにしろ夫婦同姓となったのは明治時代以降のことで、江戸時代までは日本でも別姓が「常識」であり「伝統」だったのだから。(かといって夫婦別姓を強烈に支持しているわけではないので、念の為。)
  もう一つ常識の話。もうすっかり定着した感のあるインターネット。Yahoo!(ヤフージャパン(株))といえば、誰もが知るインターネット情報検索サイトの老舗だが、1997年11月に200万円で店頭公開された株(額面5万円)は、1年半でいまや6000万円。実に30倍にも高騰している。現在の従業員わずか80人、経常利益1億3100万円のこの会社の躍進を予想した人が果たしてどのくらいいたか。ビジネスの常識からいえば、インターネットという実態を持たない商売がもうかるはずはない。そう言って、最初の出資を申し出る人がほとんどおらず、大変苦労したと社長が何かのインタビューに答えていた。
  常識とは何か(と、あらたまらなくても良いが)。辞書には「ふつうの人が共通に持っている知識や理解力、または判断力」とある。つまり、ある程度の人数の人に支持されている考え方であれば、常識ということになる。しかしこの概念には大前提があって、「その郷において生活している人の中で」、という注釈が付く。だから、一歩別世界に足を踏み出せば、それまでの常識が全く通用しないなどよく聞く話である。カルチャーショックも、結局はあまりにもそれまでの常識にとらわれすぎた結果起こる現象だろう。言い換えれば「固定観念」ということになろうか。「これはこうあるべきだ、いや、そうでなければならない」という凝り固まった考え方を正当化する伝家の宝刀、それが「常識」だとしたら・・・なんとなく「悪」のにおいがするでしょ。もちろん、「常識」そのものが悪なのではなく、「常識にとらわれること」が悪なのだろうけれど。
  我々研究者が固定観念に縛られていたらお話にならない。しかし、常識の穴に気づくことが、実はとても大変だということを常日頃から身をもって味わっているのも事実だ。それを打破するには、「なにごとにも挑戦」という意識、それしかないのかもしれない。新年度が始まって、いろいろと新しいことを始めやすい時期である。常識に縛られず、チャレンジャー精神をもって、何事も自分の頭でひととおり考えてみる、そんな意識が大切なんだろう。さあて頑張ろうっと。

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2月28日   高知赤十字病院で、臓器移植法に基づく初の脳死判定手続きが実施され、脳死の患者から心臓や肝臓を摘出して別の患者に移植する脳死移植が、法施行後1年4カ月を経て1件もない中で、初めて行われた。そして、「初の試み」には避けて通れない「混乱」が、さまざまな形で我々の目に耳に届いた。
  患者は25日夕に臨床的な脳死と診断されたが、その夜の第1回の脳死判定では脳波が確認され、脳死ではないことが判明した。このときのこの患者さんの家族の喜びようは大変なものだったろうに、報道から伝わってくる雰囲気は一様に「予定通りに事が運ばないもどかしさ」だった。院長の会見までもが「脳死とは言えません。脳波については少しまだ(!)電気的なものがある」と、「全くもう、まだ死なないんです」と言わんばかりの説明をしていた。確かに僕も科学者の端くれだから、脳死に近い状態がどういうことか分かるつもりだが、せめて「脳波が認められるので、99%だめだとしても1%の可能性にかけて懸命の治療を試みますので、みなさんも患者の回復をどうぞ祈ってください」と、言って欲しかった。
  アメリカのテレビドラマで「シカゴホープ」という緊急医療をテーマにしたシリーズがある。その中で、無脳症の新生児からの心臓移植を描いた回がある。3日で死亡すると言われている無脳症の新生児が6週間も生存していることに、奇跡を信じる母親と治療部長、そして他人の死を待つ家族。現実的に回復が不可能な赤ちゃんと、その臓器によって生存することが可能になる赤ちゃんを前にしての苦悩が描かれた逸品だ。最後に生命維持装置が外され、心臓が移植されて新たな主人の生命として動き出したとき、静かな感動を覚えたものだったが、何とも言えない複雑な気持ちにもさせられた。その時の気持ちに今回は少し似ている。
  「死」とは何か、という哲学的な話にすり替えるつもりはないが、そもそもの混乱の元凶は「脳死」という人類に突きつけられた新たな概念にある。もちろん法的に決められた制度であるし、生物学的に言っても脳死の状態からの復活は有り得ないから、脳死患者からの臓器の提供など、他への思いやりを基本とする処置を浸透させる努力を怠ってはいけないと思う。しかし、何やら釈然としないものが残るのは、人間の死が、法律や判定を下す医師などの特定の人によって下されるその事実である。脳死判定は、慎重さと正確さに欠けると、人命を救うための医療が逆に患者や臓器提供者の生命や人権を奪いかねない。すなわち、医療現場には移植能力以上に、脳死判定能力が求められているのだ。92だった臓器提供施設は、昨年6月に約400に増やされた。今回の高知赤十字病院も昨年新たに追加された病院である。果たして、すべての施設で同等の判定を下すだけの技術、能力が備わっているのか。マスコミは、今回の患者の自宅を詮索するような報道をするのではなく、そうした施設に対する警鐘と、脳死に対する一般への理解を深める努力をこそすべきである。
  最後に、新たな人類貢献のページを開いた、報道の渦中の脳死患者さんのご冥福を祈ります。

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2月21日   1月31日。巨星墜つ。プロレスラーのジャイアント馬場さんが、現役プロレスラーのまま61歳という若さで亡くなった。結腸ガンだった。
  世間では、老体にむち打って、ある意味では醜態とも思える姿をリングの上で見せ続けるジャイアント馬場にさまざまな批判が浴びせかけられていた。しかし、仙台に全日本プロレスが興行に来ると必ず観戦しに行っていた、僕を含めた根っからの「全日」ファンの誰もが、そんな馬場がリングに上がる「全日」が好きだった。好きな理由を聞かれても、それを説明するのはとても難しいが、一種マニアックともいえる根強い支持を受けるApple社の「Macintosh」ファンに通じるものがあるのかもしれない。全日の試合を見に会場に足を運ぶと、決まってジャイアント馬場が、自分の出番が来るまでなんとグッズ売り場にガウン姿ででんと座り、にこやかにサインや写真撮影に応じてファンサービスをするいつもの光景を見ることが出来た。こんな姿は「新日本」のアントニオ猪木や「パンクラス」の船木にはとうてい考えられない光景だが、馬場はとてもよく似合っていたし、その姿を見ると妙に安心感を覚えたものだった。
  ジャイアント馬場のプロレス界への功績は、マスコミの報道に詳しく、いまさらここで挙げるまでもないのだが、いまひとつプロレスファン以外の人にはピンとこないのも本当のところだろう。そこで、馬場さんの人となりを紹介することで、その偉大さを思いめぐらすことにしよう。
  ジャイアント馬場は言わずと知れたプロレスラーだから、他人を蹴ったり殴ったりすることを商売にしている人物である。しかし、それはあくまでも仕事であって、日常生活での体罰を非常に嫌った人として知られている。「僕はリング上では殴ったり、蹴ったりするが、リングを一歩離れれば、若手を殴ることは一切しない。よく人は『体罰は愛のムチ』と言うが、そんなことは有り得ない。殴られた者の気持ちが分かるのか」と、よく話していた。しかし、馬場さんが5年間のプロ野球生活の後に叩いた門は、力道山道場だった。ここでの猛練習は知る人ぞ知るで、バットを使ったしごきは語り草になっている。それでも、そんな若手育成法を馬場さんは反面教師としてとらえ、自分は若手を決して殴ることはなかった。「良いところを褒めることだ。先生役は我慢と忍耐の連続だよ。『褒めないといけない』と分かっていても、褒める要素がほとんどなく、逆に怒りたくなる点が50も60もある若手もいる・・・。しかし、数少ない長所を褒めると、本人は一生懸命やるんだな」と、終生若手育成法を変えることはなかった。そもそも、馬場さんが野球に熱中するきっかけとなったのは、小学校6年のときに教師から褒められたことだった。「ドッジボールは馬場がいれば絶対勝てる。みんな周りから頼りにされる馬場のような人間になれ」と球技だけが得意だった馬場少年を褒めてくれた、教師の言葉がとてもうれしかったのだそうだ。そして、そうした信念を実践し、自分やジャンボ鶴田が第一線を退いた後もなお、三沢や川田、小橋、秋山を育て上げ、全日本プロレスを衰退させることなく存続させたのである。
  もう一つの馬場さんの顔は、全日本プロレス興行株式会社、代表取締役社長である。その経営理念は「信用」と「信頼」であった。馬場さんがアメリカでプロレス修行をしていた時代、プロレスラーは世間から冷たい目で見られ、ひどい扱いを受けるばかりか、興行主がお金を払わないなどは日常茶飯事だったそうだ。そうしたプロレス・ビジネスを一変させたのは馬場さんだった。人と人のつながりを非常に大事にし、懐に飛び込んできたレスラーは目いっぱいかわいがった。「鉄人」ルー・テーズが寄せた追悼コメントは「馬場さんはプロモーターとしても優秀で、契約した金は必ず払ってくれる誠実な人だった。これはこの業界ではとっても大切なことで尊敬に値する」(朝日新聞)というものだった。30を超える団体が林立する日本のプロレス界にあって、なお第一級の人気を博す陰には、こうした外国人レスラーの信頼があったのだ。
  これから、ジャイアント馬場が残したこうした遺産を、全日本プロレスのレスラーがいかに守っていくのか。馬場さんのビジネスにおける若手の育成の成果は、これからが正念場だ。

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1月31日   大学入試も佳境に入り、この時期は私立大入試が真っ盛り。来月末には国立大入試もいよいよ始まる。それにしても、学力偏重の弊害を指摘され、大学入試改革が声高に叫ばれ始めてからもう何年経つのだろうか。変革の切り札とはやし立てられた制度が導入されるたびに、その被害を一身に受けてきたのは、当事者として恩恵を受けるはずの受験生だった。しかし、凝りもせずそうした「変革」はここ数年毎年行われているのが実情だ。先日の国公立大入試の2次出願状況中間報告を見ていたら、前期・後期日程に加えて「中期」日程なるものが新登場していた。もっともこれは、公立大学のこれまでのA・B・C日程のC日程からの鞍替えのようだが、入試日程一つを取っても推薦入試を含めてますます混迷化しているように思えてならない。
  推薦入試と言えば、年末の話題をさらったのは人気アイドル広末涼子さんを推薦入試で合格させた早稲田大学だった。「受験生集めの広告塔としていいように利用している。」「同じ受験生なのに不公平だ。」と言った非難が集中していたように思うが、その合格の切り札となった活動成果の「日本アカデミー賞新人俳優賞」が、はたしてそれほど価値のないものだろうか。むしろ、他の高校生のように同世代という同じ土俵ではなく、俳優を目指してきたさまざまな世代の人たちの中から、18歳という年齢でその賞を獲得したということを素直に評価しても良いのではないだろうか。ちなみに僕は広末涼子ファンではないけれど。
  そもそもどうしてこと大学入試に関してこのような批判が寄せられるのか。1点を争い、1点に泣く現在のペーパーテストによる受験。どんな入試を導入しようとも決して主役の座を明け渡さないこの入試制度は、日本人の「絶対に公平かつ厳格でなければならない」という入試信仰にもとづいているようだ。その基準から眺めると、どうにも不可解で不透明なものには、かみつきたくなってしまうのだろう。たった一つしかないはずの正解を、いかに効率よく暗記し、いかに素早く取り出すことができるか。そんな受験学力を競うペーパーテストは、一見客観的きわまりない点数によって受験生を序列化する。しかし、暗記が大の苦手で、学校の成績は平均以下だったと言われるアインシュタインやエジソンが、果たしてこの制度の下、大成したであろうか。そもそも学力とは暗記力ではないはずなのだが。
  東北大学の工学部では来年からアドミッション・オフィス入試を導入することを決めた。この入試は、専門スタッフを置き、面接や書類などをもとに、能力や適性を時間をかけて総合的に評価するシステムで、アメリカの大学では一般的な入試だ。何でもかんでもアメリカのまねをしていれば良いと言うわけではないが、せっかくの良いお手本をみすみす見逃す手もあるまい。もちろんさまざまな問題がないわけではない。先ほどの日本人の入試信仰の最たる「公平さ」の対極にある「不明朗さ」は、アメリカでも問題になっているほどだが、徹底した「主観的」な評価によって、逆にアメリカの大学ではその大学の個性、伝統を創り出してもいる。アメリカ最古の大学であるハーバード(私立)は、その伝統に当てはまる学生と成り得るかどうか(格式高い家柄か、将来指導的立場に身をおける人材か、金持ちかなんてのもあるようだが)を実に3カ月もかけて選考するのだ。東北大とともに筑波大や九州大でもこの入試の導入を決めたようだが、是非なる成功を祈りたい。
  大学入試なんて済んでしまえばもう関係ないや。なんて声があるのも事実で、なかなか当事者でもなければ感心が薄れるものだが、現代社会に大きな問題を投げかけている「いじめ」や「援助交際」などの少年犯罪の原因が、この入試制度にあると考えてみれば、そうのんきなことも言っていられないのではなかろうか。すなわち、たった一つしかない正解を探し求める訓練を日夜求められている日常で、正解が一つではない問題にぶち当たったときの動揺を考えてみて欲しい。「なんでムカつく相手をいじめちゃいけないんだ」「誰にも迷惑かけてないのにエンコウするとどうして怒られるの」と質問された大人が、どう反応するのか。明確な答えをもらえない子供はますます混迷し、正解を伝えられない大人の困惑がさらに輪をかける。そうなってしまうのは、明らかに答えが一つではないものの、あるはずのない唯一の答えを見つけだそうとする矛盾からくることに気づくべきだ。正解が一つなんて言うのは、受験勉強のような限られた世界にのみ通用する概念である。善と悪とは、言葉によらずとも感じとることができるのが人間ではなかったか。昨今話題になっている「生命倫理」に関しても、我々研究者の責任ある行動が叫ばれているが、常軌を逸した科学者の行動の原因こそ「正解を求めて」と思い上がる科学者的思考がもたらした弊害であると思う。何かわからないけど人間としてこの領域には踏み入るべきではないといった「感性」を失ってしまったのだ。
  現代社会は、科学によって説明の出来得る「真実(正解)」を盾に「感性」の居場所を狭めている。「美しい」ものを見て、なぜ美しいのかを一所懸命考えるような社会。そうであってはいけないはずだ。科学者としては褒められたものではないかもしれないが、「何であの星はきらめいているの」という質問の答えが100あったっていいじゃない。科学的な説明はその中の一つに過ぎないのだから。「こっちを見てって、一所懸命合図しているんだよ」という答えに、目をきらきらさせてくれる子供にとって居心地の良い社会を作ることこそが、自然の中で生きる人間に与えられた役割だと思う。しかし、そう口では言ってみても、長嶋監督より野村監督の方が好きなのは、どうやら僕はすでに研究者として科学的思考にどっぷりと浸かってしまっているらしい。

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1月13日   今年のNHK大河ドラマは「忠臣蔵」。討ち入りからすでに300年近く経ているにも関わらず、早くもブーム再燃とはやし立てられている。言わずと知れた赤穂義士の物語。江戸城松の廊下にて、日頃のいじめに業を煮やした浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を切りつけたことに端を発し、内匠頭が領地没収の上即刻切腹させられたのを不服として、大石内蔵助義雄(おおいしくらのすけよしたか)以下47人の赤穂浪士が、主君の恨みを晴らすべく本所松坂町吉良邸に押し入り、上野介を見事切り捨てるという物語である。
  よ〜く考えてみると、かなり陰湿なテロ事件である。しかし、赤穂浪士が義士としてこれだけ人々に語り継がれているということは、切られる方にそれ相応の理由があったからだろう。つい数年前までそう思っていたのだが、ある日地図を眺めていると、愛知県幡豆郡(はずぐん)に吉良町という地名があるではないか。吉良町とは吉良上野介の治めていた領地だろうか。もしそうだとすれば、現代にまでその名を残しているということは、地元では実は名君として崇められているのでは。そんな思いでいろいろと調べてみると、果たしてその土地は吉良上野介の領地だったのである。
  「忠臣蔵」の物語においては、邪悪の代名詞のように呼ばれる吉良上野介だが、地元では「吉良さん」と呼ばれ、領民思いの殿様として語り継がれている。もちろんその土地で「忠臣蔵」という言葉が使われることは無く、赤穂浪士による敵討ちの話は「元禄事件」と呼ばれている。戦前、戦中の忠君愛国思想が社会を覆った時代、その矛先に立ったのは足利尊氏、徳川家康、そして吉良上野介だった。それこそ国賊として扱われていたのだ。社会がそんな時ゆえ、「三州吉良の出身」と名乗っただけでいじめられたこともあったという。しかし、それでもなお「吉良郷」としてその土地に愛着し、地元の人たちが忠臣蔵アレルギーを発揮しているのは、吉良公が暗愚の領主どころではなく、農耕に使われる駄馬、赤馬に乗って領地を廻り親しく領民に声をかけたという、「赤馬の殿様」の言い伝えどおりの人物であったことを物語っているように思う。
  戦後、徳川家康はもちろん足利尊氏も再評価されているけれども、いまだ吉良公に対してだけはなんの修正もなされていない。まさに日本中で親しまれている「忠臣蔵」が「忠臣蔵」として成立するための必要悪のような存在だ。しかし、現在見つかっている資料には、吉良公が取りすぎた年貢を領民に返す姿が記録されているし、とりつぶしの後で新たな領主となった殿様が不当に年貢を取ったことに対し、領民が吉良公の施政を引き合いに出してその不義を訴えた文書も残っている。まあ、吉良公は幕府の高級旗本だったので、当時の風習としては領地に帰ることはなかっただろうから、実際に「赤馬の殿様」であったかどうかは疑わしいが、そうした伝説を生むほどの人物であったことは間違いない。大河ドラマの歴史物は、史実に則って放送されていると思ったら大間違いだ(竹中直人の秀吉役で話題となった時も、石川五右衛門が登場している)。NHKには是非とも真実とのギャップも伝えて欲しいところだが、さもまことしやかにウソをつくドラマこそ良いドラマであるのだから、それは無理というものかもしれない。「三国志」の曹操にも同じことが言えるのだけれど、真実が曲解される悔しさはその関係者には耐え難いものがあるだろう(曹操の関係者がいるとは思えないが)。しかし、「吉良さん」の名誉回復にはもうちょっと時間がかかるかもしれない。ガリレオの名誉回復に350年を要したことを思えば、もうそろそろ機が熟す頃なのだが。それまで、もう少しの辛抱です、「赤馬の殿様」。

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最終更新日:1999年 12月 24日