備忘録・2001年12月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Monday, December 31, 2001
 2001年も今日で終わり。というのに、大学はなんだか普通の月曜日以外の何ものでもないけれど、明日は元日という祝日であることは日本と同じで、研究室のメンバーの中には今日を休みにして連休という人もちらほら。

 今年は3月に母校の安積高校が甲子園に初出場して、大いに興奮を味わせてもらったし、ベガルタ仙台が来季からのJ1昇格を決めたし、ヤクルトスワローズも鹿島アントラーズも日本一と、日本のひいきチームはほんとによくガンバってくれた年だった。まあ、こんな二重丸の年に、僕は日本にいて一緒に喜びにひたることは出来なかったわけだけれど。

 一方のこちら地元のチームも、レッドソックスが終盤のごたごたで期待を大きく裏切ってくれたけれども、レボルーションも実力からしたら大健闘の部類に入る活躍を見せてくれたし、ペイトリオッツは3年ぶりにプレーオフに出場を決め、ブルーインズもセルティクスも昨年とは見違えるように首位争いをしているとは、ほんとうれしいね。

 スポーツ以外では、思い出したくもない事件が起こったり、その後も不穏な空気が流れ続けていたり、精神的には辛いことが多かったけれど、個人的には可もなく不可もなく、どちらかといえば順調な年だったか。

 初のヨーロッパとなるイタリア・トリノにも足を伸ばしたし、サッカーやバレーボールやソフトボールのチームの一員としていろいろな仲間たちとたくさんの交流を持てて、出会いあり、別れあり、人生修行も大いに積むことが出来たし。なにより、仕事の上でもこちらでの研究成果をまとめた論文を発行できたし。

 というわけで、今年も病気で寝込むこともなく、一年通して健康に過ごせたことがなによりのマル。

 そして、このウェブサイトをご覧になっていただいているみなさん、今年も本当にありがとうございました。

 来年はちょっとした変化がすぐそこに待っていることもあって、果たしてどんな年になるのか今からわくわくしていますが、そんな僕のワクワクがまたこのサイトを通してみなさんに伝えられたらいいなと思います。来年も、何かの拍子に思い出した時にでもちょっと立ち寄ってもらえたらうれしいですね。

 どうぞ良いお年をお迎えください。


Monday, December 24, 2001
 さすがにクリスマス・イブとあって、大学の構内もひっそり。研究室のあるビルで、今日は朝から20人ほどにしか会わなかったけれど、そのうちの5人はボス以下この研究室の面々だったから、まあ、僕の身の回りは全然ひっそりとはしていなかったが。

 明日が祝日だということは知っているけど、今日はなんで人がいないんだろ、とは我が同僚達の言葉。まったくもって、3年住んでもどうにもこの休みのタイミングがわからんなあ。

 さて、MITのアナウンスによると、インターネットの主流のシステムである「World Wide Web」の創始者で、MITを中心とするそれを管理する組織の「World Wide Web Consortium (W3C)」の会長でもあるTim Berners-Leeさんが、2002年の日本国際賞を受賞したとのこと。

 日本国際賞は、日本政府主導で組織された財団法人国際科学技術財団が、優れた科学者を毎年表彰しているもので、ノーベル賞では補いきれない優れた業績に対して賞を贈ることで、日本が世界に貢献できるのではという思惑で発足した。いわば、日本の威信をかけた賞であるから、それが証拠に受賞者は天皇陛下から直々にその賞が贈られることになっている。1985年以来、今回で18回目を数える。

 「国際社会への恩返し」という理由で設立されたこの賞の国際的な評価はいかに、と常々僕は思っていたので、こうしてMITがその受賞を大いに喜んでいる様子は、確かに世界への貢献の足掛かりを作っているようで、なんだか日本人としてこちらがうれしくなってくる。

 ちなみに、先日お会いした理研の伊藤正男さんも、1996年にこの賞を受賞している。・・・専門外とは言え、いやはや、そんな方とはつゆ知らず、「日本ももう少し若い研究者が住みやすい国にならなくちゃ、だめですよね」などと気軽に話をしていた僕は・・・。

 さてさて、最近はスポーツの方でいろいろと嬉しいニュースが。

 まずは、我らがニューイングランド・ペイトリオッツが、実に3年ぶりにプレーオフ進出を決めて、今や首位に立つという状況。ちなみに、アメフトの話。QBのブレッドソーが怪我で脱落したときには、ああ今年もダメかとあきらめかけたけれども、ルーキーのブレーディーの嬉しい誤算。これで、今年はもうしばらくフットボールが楽しめる。

 さらに、日本の高校駅伝で、福島代表の田村高校が男女共にヒトケタ台の成績を収めるという嬉しいニュース。どこぞの陸上有名校のように全国(世界中というところもあるか)から人集めをするでもない、普通の県立高校(まあ、普通科の他に体育科もあるが)が全国で強豪校に伍して健闘するというのは、郷里のよしみもあってうれしいかぎり。なにより、この高校の校長先生は、僕の高校時代の担任の先生ということもあって、嬉しさも倍増しているのだが。

 もうひとつおまけは、中学生の全国駅伝大会で、福島代表の東和中(男子)と鏡石中(女子)が、やはりそれぞれ入賞するという活躍。進学先としてすぐ手の届くところに全国強豪に負けず劣らない受け皿があるというのは、こんなにも各選手の才能を花開かせるものかと、ふと思ったもので。

 みんな、頑張ってるねえ。


Thursday, December 20, 2001
 日本では横浜ベイスターズのオーナー権譲渡が話題になっているようだけれど、ここボストンでも、身売りに出されていたレッドソックスの新オーナーがついに決定。これにより、1933年以来メジャーリーグ史上最も長く一つの球団の経営権を握っていたYawkeyグループから、つい先日フロリダ・マーリンズを手放すと発表したばかりのJohn Henryと、これまた数年前までサンディエゴ・パドレスのオーナーだったTom Warnerが、新たに手を組んだグループの手に移ることが確実となった(厳密には30球団のオーナーの75%の承認が必要なので、来年の夏までは未確定)。球団買収額、実に6億6千万ドル(約850億円)。昨年のインディアンスの史上最高の買収額の3億2千万ドルをはるかに更新するとてつもなく大きな買い物となった。

 このオーナー権の移譲は、先日2球団の削減を宣言したことにも表れているように、メジャーリーグベースボールがいよいよ古き良き時代に別れを告げなければならなくなったことを象徴しているかのようだ。

 というのも、このレッドソックスは1933年にオーナーとなったTohmas Yawkeyが1976年に亡くなると、その意志を継ぐ形でJean Yawkey夫人が引き続きオーナーとなって見守られて来たし、さらに1992年にJeanが亡くなった後も、Yawkey家の手に移ってから一度も達せられなかったワールドチャンピオンの座を宿願として、夫人の意志を継いでYawkeyグループがなお経営を続けていたという、いわばこだわりの球団だったのだが。果たして、より良い収益を求めて、一度手に入れた球団をホイッと手放して乗り移ってきた輩にくれてやるとは・・・。これじゃあ、球団として成功しているとは言い難いドジャースと同じ轍を踏んでいることになるんだけどなあ。

 今度のHenry-Warnerグループの公約が「新球場建設の計画を白紙に戻し、メジャーリーグで最も古く歴史のあるFenway Parkを壊さずに改修して後世に残したい」というあたり、永年の懸案であるけれども様々な意見も渦巻いているその辺のファン心理をくすぐるってのがまた、どうにもねえ。

 まあ、1軍選手の平均年棒が2億円を超えていると言う時代、お金にこだわらなくては、とてもチームを維持も出来ないだろうけれど。

 いや、待てよ。そういえば、ミルウォーキーのオーナーは(名前は忘れたけど)おじいさんの果たせなかったワールドチャンピオンの夢を引き継ぎたいと、孫娘さんが買収していたっけなあ。その機先をそぐ形で、新球場の建設中に事故が起こり多大な損害を被ったのはまさに不幸としか言い様がないけれど、なんとか頑張って欲しいなあと、人情話に弱い身としては応援したくなってくる。


Tuesday, December 18, 2001
photo これまでデジカメなるものには実を言うと触ったこともなかったのだけれど、貸して下さるという方のご厚意で、生まれて初めて電子写真なるものを撮ることに。

 早速、日曜日のコインランドリーで洗濯物が仕上がるのを待つ間ぶらぶらと被写体を求めて散策してみたり、大学からの道すがらこれはと思ったものにレンズを向けてみたり。

photo というわけで、トップページのドアにリースのかかった写真と先日のクリスマスカードの写真を含めて、今日ここに掲載した写真はこのデジカメで撮ったもの。これがなかなか思ったより出来映えの良いのには驚いた。おまけに、-2から+2までの露出補正も3分の1の間隔で出来るし、なによりそうした露出の適正を撮ったすぐそばから確認できるというのは、これはもう便利。

 これに気を良くして思わず自前のデジカメを物色してしまいそうな勢いだが、まあ幸いにも先立つものがないので、しばらくは「おおっ」と思っているのがちょうど良いのかも。なにしろ、いったん自分のものを手に入れてしまうと、今度は不備な点ばかりが目に付くのが人情というものだから。

 しかし、便利な世の中になったものだ・・・。なんて、江戸時代からタイムスリップしてきたみたいだけど。

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Monday, December 17, 2001
 きょうの科学情報(もう完全に最初の思惑通りには事が運んでいないな・・・。「きょうの」じゃないものなあ)に質問が寄せられていたので、自分なりに回答を試みてみたけれど、もしもっと適切な解説をしてくれると言う奇特な方がいれば、ぜひともよろしく。

 メッツの新庄外野手が、サンフランシスコ・ジャイアンツに突然のトレードに出されたとのニュース。つい最近契約を更改したばかりだっただけに、ちょっとびっくりしたけれど、最近のメッツの強打者の補強ぶりを見ているとそれも納得か。

 ジャイアンツのべーカー監督の希望でのトレードとのことなので、新庄にしてみれば実はメジャーで活躍するチャンスが広がったと言えるかもしれない。なにより、ジャイアンツと言えば球界きっての外野手の層の薄い球団である上に、ライトを守っていたデービスは引退するは、その控えのバンダウオールはヤンキースにトレードに出されているし、看板外野手のレフトのボンズもFAを宣言して去就が注目されていると。

 なにはともあれ、新天地でも頑張って欲しいね。

 さて今日は午前中は猛吹雪でどうなるのかと思ったのもつかの間、午後になると冷たい雨が降りしきるという天気。

 午後10時なろうかという時間に、雨の中歩いて帰る気力もなく、ちょっと遠回りだけど地下鉄で帰ることにした。とすると、途中そんな時間だと言うのに、まず構内で久々にさる日本人の方にお会いしてしばし立ち話をした後、地下鉄に乗ろうかというときに今度は別の日本人の方に遭遇。いやあ、悪いことは出来ないねえ・・・ん、何も悪いことはしてないか。


Sunday, December 16, 2001
photo このところ自炊をするようになってからというもの、なんだか体重が減っているような気がしていたのだけれど、1か月ぶりほどにお会いした方から「やせたねえ」と言われて、どうやら思い過ごしではなく実際に体重が減っているようだということを再確認。まあ、体重計などという便利なものを持ち合わせていないので、正確には分からないけれど。

 1日に十分なご飯を食べている自信はあるから(なにしろ、夕飯はどんぶり3杯だから)、これは「ご飯を食べると太るというのは真っ赤な嘘」という栄養学的な理論を実証することにもなる。ほらほら、ダイエットしたかったらご飯をいっぱい食べた方が良いって、前から言ってるでしょ。百姓のせがれとしてばかりでなく。

 ところで、まあ僕が一どきに大量のご飯を食べてそれに野菜と魚を食べていれば、栄養としては十分補われていることの拠り所となっているのは、最も栄養のバランスが取れていたと考えられている江戸時代の武士の食生活である。しかし、彼らはおそらく白米ではなく玄米を食べていただろうから、今の白米の食事では実は栄養が足りないんじゃないか、と思ったのがそもそもの今日の一仕事のはじまり。

 というわけで、生まれて初めて「玄米」なるものを炊いて食べてみたというわけ。

 ただし、玄米は胚乳が残っているばかりか一番外側の殻さえもまだ付いている状態だから、そのまま普通に電気炊飯器で炊いても固くて食べられたものではない。というわけで、昨日の夜から一晩水をたっぷり含ませて、柔らかくしておいた。もっとも、本当はもう一晩ほど水につけておけば、発芽が始まると同時に胚乳に含まれている糖の分解酵素が働きはじめて、本来なら消化できないはずの繊維質なども分解され、玄米の栄養分を余すことなく消化できるようにしてくれるはずなのだが、まあとどのつまりは他に食べるものもないし、お腹はすいたし、外には出かけたくないし、というわけでちょっとばかり予定を変更して早速炊飯をすることになったということではある。

 玄米を炊くとなると、圧力なべやら専用の炊飯器でないと炊けないと思われがちだけれど、一晩以上じっくりと水につけておいた上に、いざ炊くときに白米の適量の3割増くらいの水を加えてセットすれば、普通の電気炊飯器でも炊けないことはないとのこと。

 もちろん僕も普通に電気炊飯器で炊いてみたけれど、これがまあ初めてにしては上々の出来かな。キャンプでちょっとだけ失敗した感じの飯ごう炊きのご飯といえば、分かってもらえるだろうか。

 ということで、食後の感想は・・・まあ、なんだねえ、これを一どきにどんぶり3杯食べるのは、まあ、無理だなあ。多分に炊き方を工夫するか、当初の予定通り1mmほどの芽が出るまで待って発芽玄米を炊いてみるとまた違うのかもしれないけれど。

 まあ、せっかく玄米を手に入れたことだし、もうちょっと頑張ってみるか。


Saturday, December 15, 2001
みどりこき松みる人も人の世の平和続けといのる朝夕

 この湯川秀樹博士の短歌は、ノーベル物理学賞を受賞したゆかりのスウェーデン・ストックホルムにではなく、平和賞の授与式が行なわれるノルウェーのオスロにある博物館に掲げられている。

 日本語で書かれた博士の論文をも読みたいと、当時の量子力学を勉強する世界中の学生の間で日本語が盛んに学ばれたという。とすれば、きっとこの短歌も日本語の心そのままに彼等の胸に刻まれているに違いない。
 
 国際連合とアナン国連事務総長がノーベル平和賞を受賞した今年のオスロで、湯川博士のこの短歌はまた幾人の人の心に届いただろうか。


Monday, December 10, 2001
 以前にもこの欄で紹介したことのある、パキスタンのQuaid-e-Azam大学のPervez Hoodbhoy教授が、再び知人に向けて「ムスリムと西欧 ─ 9月11日の後」と題するメールを配信した。実を言うとこの先生は大学では物理学の教鞭をとっている科学者なのだが、世界的な平和運動家としても名の知れた人物。

 原文は英語で書かれているけれど、このメールを手にした学習院大学の田崎さんの作成した全訳を読むと、以前のテロ直後に書かれたものよりもさらに現在の世界の人々の生きざまに対しての意見に厳しさが増しているようで、イスラム社会の中からの発信というその現実と相まってなかなかに考えさせられる内容。宗教家でも政治家でもなく、あくまでも科学者の立場、科学者の目で言葉が綴られていることが印象的でもある。

 ただその中で、イスラム(正確にはアル・イスラムと言って普遍的な教えのことを意味しているから、新聞などに使われているようにイスラム教と書くのは間違いだと思う)は一般的に言われているように平和についての宗教ではないとして(もちろん戦争についての宗教でもないけれど)、「どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱う」と書いているけれども、日本にはそれに当てはまらない宗教も存在しているということにまでは気が付かなかったようなので、指摘をば。

 つまり、その本来の仏教の教えとは逸脱しているものの、空海の開いた真言宗では「たとえそれが真実であるにせよ、この世に絶対はないのだから、己の善かれと思うことを他人に押し付けてはならない」という空海の教えを今に伝えている。

 まあいずれにせよ、Hoodbhoy教授の目指す世界と現在の無宗教国家の日本の姿とがだぶって見えるのは僕だけかしらん。


Sunday, December 9, 2001
 またまた書き忘れた話で恐縮だけれど、こちらアメリカで12月7日の真珠湾攻撃の60周年のイベントとして、海軍の兵士たちを前にしてブッシュ大統領の演説があった(ホワイトハウス公式文書)。

 そこで大統領は、日米戦争は歴史として刻まれた過去のものであるとハッキリと宣言していた。つまり、もう日本人には何の恨みもないのだと。アメリカに暮らす日本人にとっては、額面通りに受け取ればなんとも心強い言葉ではあるが、そう大統領に言わせる背景がまだ根強く残っているのかとも思うと、少しばかり複雑な気持ちにもさせられる。

 その一方で、今後忘れられない日となるであろう9月11日という日について、大統領は「Now, another date will forever stand alongside December 7.(12月7日のように永遠に我々の記憶に刻まれる日が新たに生まれた)」と説明しているあたり、やっぱり複雑だ。

 ところで、「YABeT's Board」の一部のコンテンツが置かれているイギリスの「freedom to surfe」という無料ホームページサーバーから、無料という制限の中で高い品質を保つことが難しくなったという理由で、サービスを終焉させるとの知らせが。好景気に湧いていると言われているイギリスの会社でも、こういうことになるとはちょっと意外だったが、のんきにそんな感想を言っている場合でもないところがまたやっかいな。

 というわけで、一部のサイトが今後表示されなくなる可能性がありますが(その前に早いとこ引っ越せば良い?)、どうぞご了承ください。また、ホームページの連絡用に使っているメールアカウントの「web@yabets.f2s.com」も使えなくなりますのでご注意を。


Saturday, December 8, 2001
 ほんの2日前に12月としての最高気温(華氏72°F、摂氏20℃)を記録したボストンの今日の夜には、除雪車が初出動する横なぶりの雪となった。まったく、天気の変わりやすいことで有名なニューイングランド地方の面目躍如もこれきわまれり。

 日中、研究室で物書きをしていると、けたたましく電話が鳴り、「Advanced Carbohydrate Technologies」という会社の社長からの懐かしい声。本当は別件での電話だったらしいけれど、お目当ての大学院生がいなかったので代わりにしばし世間話などを。電話の向こうでは、いつものように元気の良い3歳になる娘さんの声がする。

 実はこの社長、この6月までこの研究室の大学院生だった人物で、学位を取得するやいなや会社を興してしまったというわけ。MITの卒業生としては別段珍しいことでもないけれど、つい先日まで一緒に過ごしていた仲間が、ひょいと会社の社長になってしまうというのも、なんだか不思議な感じではある。まあ、アメリカも不況風吹く昨今、いろいろと大変だろうけれど頑張ってほしいね。

 ところで、昨日の備忘録に書き忘れたことが一つ。そのホリデーパーティーの目玉となったのが、大学院生の手によるオリジナルビール。ほぼ1か月前から準備していた話題のビールは、イギリス風のエールビールで、ちょっと大麦を煎り過ぎたとのことで本人の意に反してちと色が濃くなってしまったようだが、その味たるやもう完璧。ボストンの地ビール、サミュエルアダムスの向こうを張って店頭に並べても、これなら絶対に売れることだろう。いやはや、そのバイタリティーには本当におそれいるばかり。

 さてさて、昨日のパーティーで、颯爽たる面々の格好良さに触発されたわけではないけれど、そろそろ髪でも切ろうかといつものMITの生協地下にある散髪屋へ。なにも初雪が降ろうかというその日に床屋に行かなくても良さそうなものだが、まあ時にはそんな酔狂も良かろうて。

 店に入ると、いつもは見なれぬ兄さんが、ちょきちょきとハサミを入れている。自分の番になって椅子に座り、寒くない程度に刈り上げてくれと注文すると、「何番のバリカンで刈ったらいいか提案はあるか」とのたまう。そんなことは聞かれたこともなければ、いつもはバリカンなんて1種類しか使っていないように見えるので、残念ながら全く分からんと答えると、「じゃあこれから俺がいくつか質問するから答えてくれ。それによって、おまえの気に入る仕上がりになるように、俺が提案してやるよ」とのこと。

 矢継ぎ早の質問に答えると、僕のバリカンは「3番」だとの結論。まあそれに異議があるはずもなく、じゃあ任せたよとされるがままに腰を沈めていると、なんだかいつもと違う雰囲気が漂う。アメリカで散髪をするのももう何度目か忘れたけれど、今日は初めて日本の床屋さんに居るような安心感漂う雰囲気に包まれた。まあなんというか、職人的なそのお兄さんの「動きがかっこいい」というのも大きな要素ではあったかな。いつもはバリカン一つ、ハサミ一つ、という感じで10分もあれば終わってしまうのだが、今日は少なくともバリカンは3つくらい種類を変えていたようだし、ハサミやらカミソリやらなんだかいっぱい工程があって、これでいつもと同じ料金では、今日が安いのやらいつもが高いのやら悩んでしまう。

 出来上がりがそれで数段の違いになっていれば言うこともないのだが、まあそこまでは元のあることだし、多くを望むまい。「どうだ、気に入っただろ。この辺の、長いというわけでもなく、かといって短くも感じない髪の長さがポイントだ」と満足顔に説明をしてくれた兄さんの言葉が、いみじくもその職人気質を物語っている。こちらもまあ、なんとなく満足感にくるまれて、十分得した気分になったし、めでたしめでたし。

 これで明日目が覚めたら風邪でも引いてなければ良いのだが。やっぱり、ちょっと寒いぞ。


Friday, December 7, 2001
 長かった今週もいよいよ終盤を迎えた。今日は朝から化学科の方で生化学分野のミーティングあり、来年早々から新たに研究室に合流することが決まっている大学院のフレッシュマンを交えて今後のことの話し合いをした。

 糖鎖の有機合成の研究をメインテーマにスタートしたこの研究室も、昨年、今年とそれぞれ一人ずつの生化学分野の大学院生を迎え入れ、徐々に糖鎖にまつわる総合研究室としての足場を固めつつある。もっとも、18人のメンバーのうち生化学系はたったの3人だから、本当の意味での総合的な研究室になるにはまだまだ時間がかかるだろうけれど。
 
 というわけで、僕は1月からは二人の大学院生の研究の手伝いをするといことになった次第。ま、仲間がたくさんいた方が楽しいから。
 
 さて、夜には恒例のホリデーパーティーが、ボスのアパートに併設されている大広間を貸し切って行われた。いつもなら土曜日に行われるこのパーティーも、今年は予約が取れなかったとのことで金曜日の夜となってしまった。おかげで、生物学科主催のパーティーとMIT日本人会主催のパーティーとも重なってしまい、そのどちらにも顔を出すことは出来なかったのは残念だったけど、まあ仕方なし。
 
 このホリデーパーティー(とどのつまりはクリスマスパーティーなのだけれど、他国籍集団のそれぞれのメンバーに配慮してそう呼んでいる)も今回で3回目となるが、最初の回から全て参加しているのも僕を含めてわずか4人となった(もちろんボスを含めず)。まあ歳もとるわけだ。
 
 このてのパーティーの楽しみの一つが、各人それぞれが連れてくる奥さんや旦那さん、恋人などのパートナーにお目にかかれることで、友達の輪が一気に広がるのがなんとも嬉しい。普段からの様子からは想像も出来ないメンバーの意外な一面を垣間見たりもできるし。といって、そんな友達の輪の広がりを享受するばかりで提供できないのは、まあ許してもらうことにするか。
 
 恒例のプレゼントの交換では、これまでレッドソックス関連の贈り物をもらっていた僕は、イギリスのバッキンガム宮殿の近衛兵の置き物をいただいた。はて、何の関係があるのやら、と不思議に思っていたのだが、ボスがその人形を覗き込んで一言「これ、お前に似ているな」。
 
 ははあ、なるほど。口のまわりに生えたヒゲの具合がまさにそっくりだ。それにしても、パッと見て判断すればすぐに思いつきそうなものを、イギリス・・バッキンガム宮殿・・近衛兵・・はて、という具合にデータを使って僕との関係を推察しようとするあたり、まったく、これを頭が固いといわずしてなんと言おう。と、僕に似た風貌のプレゼントを見つめながら反省することしきりな今日この頃。


Saturday, December 1, 2001
 師走になったからというわけではないけれど、なんだか忙しい。あっちこっちと手を付けて、ちょいとばかり気を許して日々を過ごしていたのを反省し、それぞれの締め切りをリストアップしてみたら・・・、あれまあ来週までにしなければならないことの多いこと(とのんきに構えている場合ではないぞ)。

 現実を目の当たりにしたら、ますます頭も手も動かなくなったのは情けない限りだけれど、といっておいそれと引き下がるわけにはいかないので、エエ、ママヨとここにリストアップしてなおいっそう自分を追い込もうという魂胆。

 月曜までに頼まれた論文の校正と、共同研究の相手に実験結果の詳細のレポートを郵送。火曜日には化学科のセミナーで発表をすることになり(1月2日にも別のがあるけど)、その準備。なんとしたことか、翌日の水曜日には生物学科で研究報告の発表をしなければならなくて、その準備。そして金曜日には、研究プロジェクトの半期報告の提出と、年末までに投稿したいと考えている論文の草稿をボスに見せる約束と。さらに日本から頼まれている書き物が2つほど。

 この修羅場を切り抜けるために、こんなときのなによりの特効薬も手に入れて・・・。

 というわけで、寿屋という日本食品店に出向いて「井村屋しるこ」を購入。餅つきで3.99ドルなり。ついでに、今年初お目見えとなるお気に入りの「フェス」(森永チョコレート)も手に入れてホクホク。

 さてさて、ブツはそろったし、後には引けなくなったし、どれ頑張るか。
 ・・・しかしまあ、ずいぶんと手間のかかる現実逃避だな、ふう。



最終更新日:2002年 2月 17日