備忘録・2000年11月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Thursday, November 30, 2000
【今日の科学情報】
 「クローン人間」づくりを禁止する「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が30日、参院本会議で可決、成立した。来年6月に施行の見込み。


Wednesday, November 29, 2000
大学給料番付(1998-1999)

1. Williams College 学長 $878,222(9700万円)
2. U. Pennsylvania 学長  $655,557(7200万円)
3. Johns Hopkins U. 学長 $645,710(7100万円)
...
6. MIT 事務長       $458,604(5000万円)
...
9. MIT 学長        $418,887(4600万円)
...
11. Harvard U. 医学部長   $362,357(4000万円)
12. Harvard U. 学長     $342,599(3800万円)

Source: The Chronicle of Higher Education


Tuesday, November 28, 2000
【今日の科学情報】
1 宝酒造、モンゴル人のゲノム・データベース作成でモンゴル政府と契約
2 宝酒造、三和化学研究所とチンパンジーのゲノム解析で提携
3 日米、「StarLink」検出法で最終合意、食品用途での混入検査を今週から実施


Monday, November 27, 2000
 鹿島アントラーズが第2ステージの優勝を飾ったそうで、いやあ、めでたい。

 ここ2年ほど、とてもアントラーズとは思えないような腑甲斐ない試合が続いていただけに、舞い込んできた吉報に、文字どおり小躍りしてしまった。まあ実際には、今年の試合ぶりをこの目で実際に見てもいないので、コメントするのも恐縮だけれど、試合の様子は「オフィシャルページ」でいつもチェックしていたし、今回は前節に追いすがるガンバ大阪との天王山、そして最終節に2位柏レイソルとの直接対決で優勝が決まるという展開だっただけに、ホッと一安心。

 次は横浜とのチャンピオンシップに勝って、真のチャンピオン復活といきたいところ。

 ところで、J2の大分トリニータは、今年もなんと昨年に引き続いて1点差での3位に終わって、J1昇格を逃したのだとか。石崎監督は2年前の山形から数えて3年連続のJ2での3位ということになる。

 石崎監督と言えば、現役時代は、広島工業で全国3位(木村和司の1年先輩)、東農大で全国3位、東芝(現在のコンサドーレ札幌)でも2部で3位が最高と、どうやらこの3位というのが大きな壁であるようだ。果たしてこの大きな壁を乗り越えたとき、その大分がどのようなチームになっているのか、来年のたのしみがまた一つ増えた。

 もちろん、一押しは「ベガルタ仙台」なのだけれど・・・。


Sunday, November 26, 2000
 今日のボストンは朝から雨の降り続くあいにくの天気。しかしながら、この時期の雨ということで、案の定気温は8℃ほどと過ごしやすい一日ではあった。

 こんな日は、家の中でじっと本でも読みながら、ぼーっと考え事をしているのもいいもんだ。

 しかし、ひたすらぼーっとしているのが苦手な性分には困ったもので、しばらくすると何か違うこともしたくなってきてしまう。

 ということで、おもむろに部屋の家具の配置替えやら、レイアウトをいじってみたり、引っ越してきて半年にしてちょっと気分転換をはかってみることにして、Tシャツ姿で動きまわる。

 それが終わると、ずっと気になっていた写真の整理が始まって、ホームページもアップデート。ところが、いざ作成した写真のページをアップロードしようとしたら、ウェブサイトのあるサーバーの容量が足りないという表示が。しかたなく、これまでファイルが置いてあったサーバーから、容量の大きいサーバーへとせっせと転送作業をするはめに。

 あれやこれやとしていたら、現在時計は午前1時を指している。結局、日曜日も忙しい日になってしまうのである。


Saturday, November 25, 2000
 ボストンレッドソックスのスポークスマンによると、来年のフェンウェイ球場の入場料が、またまた値上げされるとのこと。しかもその値上げの幅たるや、一番安い外野の上部席が、14ドルから18ドルになるという。

 おまけに、ボックスシートは40ドルから、なんといっきに55ドルに引き上げられるそうだが、実はこの席の値段は2年前には27ドルだったのだから、たった3年の間にほぼ2倍になることに。

 レッドソックスの入場料は、メジャーリーグ30球団の中で、最も高いことで有名だが(フェンウェイ球場の平均入場料は28.33ドル)、この値上げによってその地位は安泰となることだろう。ファンとしてはあまりめでたい話ではないが。

 フェンウェイ球場は、収容人数がわずか34,000人ほどしかない小さな球場だけれど、選手の年棒総額は約100億円と、ヤンキース、ドジャース、ブレーブスに次いで高額であるため、どうしてもそのしわ寄せが入場料にきてしまう。しかも、全シートの45%はシーズン券で抑えられている上、シーズン券の値上げ分は、1試合あたりわずか3.8ドルと外野席の値上げ分よりも低いために、その分も普通のチケットに上乗せされているようだ。

 2年連続で首位打者となったガルシアパーラーと、サイ・ヤング賞を獲得したマルチネス投手を擁するレッドソックスが、長らくワールドシリーズとは縁のないのもちと寂しい。決定されてしまったからには、値上げに見合った活躍を期待したい。このフェンウェイ球場は一年を通して席が95%以上埋まってしまうほど、アメリカ一高い入場料を払ってでも試合を見たいという、ファンに支えられているチームなのだから。

 さあて、来年に備えて、今から貯金しないと。


Friday, November 24, 2000
 今日のボストンの最低気温は、マイナス6℃を記録。毎日MITへ歩いて通っているハーバード橋の上の寒いこと、寒いこと。河口付近で幅の広いチャールズ川が、もうしばらくすると凍りつくのも納得の、ボストンで最も寒い場所と言われる橋の上である。

 僕が歩いてこの橋を渡っていると言ったら、ラボの大学院生たちにこぞって呆れられたのも、ようやく身をもって実感している今日このごろ。

 サンクスギビングデーの次の日の今日は、「ショッピングデー」と呼ばれる日で、ほとんどの大きなデパートでは、クリスマスに向けたバーゲンセールが始まる日。特に今日の朝早くに買い物をすると、ボーナスが出るとかで、ニュースによれば午前4時半には、すでにデパートの前に行列が出来始めたのだとか。ちょうど、日本の「初売り」に相当するのかもしれない。

 まあ、そんなホリデーの真っ只中にあって、ラボの半分のアメリカ人は帰省してしまっているので、残りの半分の外人部隊だけが研究室にいて、人数としてはちょうど半分なのだけれど、なんとなく部屋はひっそり。

 あらためて考えるまでもないが、どうやら、いつもの部屋に鳴り響くような会話の主は、地元民たちだったようだ。

【今日の科学情報】
 11月23日号の『Nature』誌に、日本からの論文がなんと5報も掲載されている。おまけに、速報によれば、来週号には6報の掲載が予定されているとのこと。日本人もがんばってますね。ちなみに、この数には入っていないけれども、西海岸にいる大学の先輩の論文も発見し、大いに刺激を受けて、俄然やる気モードに突入。


Thursday, November 23, 2000
 11月の第4木曜日である今日は、アメリカで独立記念日とクリスマスに並んで最も重要な祝日である「サンクスギビングデー」だった。

 日本で言えばお盆か正月に相当するごとく、めいめいが生まれ故郷に帰省して、家族で過ごすという日。そのおかげで、店という店が今日はお休み。

 というわけで、生まれ故郷に帰るには少々時間とお金のかかる外国人たちが集まって、今日はホームパーティーを開いた。総勢15人ほどの大学院生たちのパーティーに混ぜてもらったのだけれど、僕が参加する会の人数は奇数になってしまうことや、持ち寄る料理もままならないのでアルコールを担当するのはいつものこと。

 定番のターキーはもちろんのこと、フランス料理や中華料理もお目見えして、すべてホームメードの料理の数々はどれもこれもうならずにはいられないシロモノばかり。あまりのおいしさに、最初に飛ばしすぎたものだから、最後に出されたデザートをすべて食べきることが出来なかったのが心残り。せめて、デザートが5種類もあることを教えてくれたらよかったのに・・・。

 それにしても、1人を除いてほとんど初対面に近い人ばかりのパーティーで、なかなかにたのしい時間を過ごせたことに、感謝、感謝。


Wednesday, November 22, 2000
 先日、MITの利根川教授がいくつものベンチャー企業を設立したという話を書いたけれども、別にそれは特別なことではなくて、多くの教授が同じように会社を作って大学の資金源としている。

 そうしたパフォーマンスにとどまらず、MITにはこんな教授もいるという話を今日は紹介。

 日本でも映画『卒業』の音楽を担当したことやデュオグループ「サイモンとガーファンクル」として知られている、Paul Simonの最近の音楽活動を支えているメンバーの一人にMITの教授が名を連ねている。

 Evan Ziporyn教授は、MITの芸術学部音楽科の教授で指揮者・クラリネット奏者・サキソフォン奏者として知られているが、最近始まったPaul Simonのヨーロッパ・アメリカツアーに同行して、クラリネットとサキソフォンをコンサートで担当しているそうだ。もちろん、最新のアルバムの『You're the One』にも登場している。

 来月1日から3日まではボストンでのコンサートが予定されていて、教授にとっては凱旋公演ということになる。

 それにしても、いつ大学で仕事をしているのだろう。


Tuesday, November 21, 2000
 アメリカ北部は突然の寒波に襲われて、ナイアガラの滝にほど近いバッファローでは、積雪60センチを記録したとか。ボストンも、雪こそ降らなかったけれど冷え込みの厳しい1日だった。

 今日はMITで我がボスの主宰するセミナーが行われたのだが、本番を前に、メキシコシティーから招かれた演者の先生と、スポンサーであるボストン糖鎖生物学懇談会(BGDG)の会長、およびその家族の方々の、研究室訪問を受けた。

 ひととおりラボの研究についての説明があって、一人一人メンバーを紹介をする段になって、僕の名前をボスが呼び挙げるや、一緒に並んでいたBGDGの会長の奥さんが突然「あなたが、ヤベ博士ねえ」と声を張り上げた。

 僕はどう思い起こしても初対面なのだが、なんで名前を知っているのだろうと思ったら、毎月開催されるBGDGの会費は会長宛にチェック(小切手)を郵送するのだけれど、それを扱っているのが会長の奥さんだそうで、なんでも僕のチェックに書き込まれた文字が『美しい』らしく、毎回送られてくるのを楽しみにしているのだとか。

 意外なところにYABeTファンがいたものである。

 でも、そんな話をしていたら僕の研究について紹介するのをすっかり忘れてしまって、肝心の科学の世界でのアピールが出来なかった・・・。


Monday, November 20, 2000
 アメリカでは大統領選挙終了から2週間が経過しても、いまだ大統領が決まらないという異常事態が続いている。そもそも、二人の大統領候補の得票数が異常なまでに接近していることが未曾有なことなのだが、そんな時世に流されることなく、ここマサチューセッツ州は、ケネディ元大統領(民主党)のお膝下を反映してゴア副大統領(民主党)の得票率が70%という珍しく頑固な州である。

 そのケネディ元大統領が最も関心を持っていた日本人は「上杉鷹山」だという話を何かで読んだことがある。内村鑑三が英文で書いた『代表的日本人』をケネディが読んで、その中の鷹山の書いた『伝国之辞』にいたく感動したからだという。

 この『伝国之辞』は、九州の日向高鍋の秋月家から名門の出羽米沢藩に養子として迎えられ、わずか19歳で藩立て直しの陣頭指揮を取ることになった鷹山が、35歳で隠居して先代の実子にその座を譲るときに書いた訓戒書だけれど、わずか3条の内容には民主的政治家の「主権在民」の思想がはっきりと記されている。

 身分制度のあった江戸時代真っ只中のその時期に、現代に通じる思想を確固として持ち得ていたからこそ、崩壊寸前の米沢藩をよそ者の鷹山が立て直し得たのだろうし、経営難に苦しむ現代の企業の経営者に上杉鷹山の改革が多くのヒントを与えているのだろう。

 この上杉鷹山の思想は、その師である細井平洲という学者が、常に陰で支えることによって育まれたものである。彼は、マスメディアのなかった江戸時代にあって、日本全国どこに行ってもその講演を聴くために何千人もの聴衆を集めたという人だけれど、その信念は「学問は、単に字句の解釈だけをしていてもだめ。そんなものは死学だ。いま生きている私たちの実際に役立たなければならない」というものだった。そして、行き着いた思想が「藩主は、藩民の父母でなくてはならない」という「主権在民」の思想であった。

 国を越えて、時を超えて、「ほんもの」は語り継がれていく。

 野次に耐えきれなくてコップの水をぶちまけて騒然となっている日本の国会のニュース映像は、アメリカに暮らす人々に何を残すのだろう。


Sunday, November 19, 2000
 我がラボに来年1月から参加する新大学院生が確定した。最終的に、なんと5人の合成化学志望者と1人の生化学志望者ということになった。

 6人がいちどきに加入するというのは、はっきり言って異常事態である。ボスも当初の予定では全部で3人と言っていたくらいだから、ちょうど倍となったわけだ。

 こちらの大学院は、入学試験前に各研究室から受け入れ可能人数をあらかじめ学部長が取りまとめ、それを参考に入学定員を決め、大学の承認(たいがいは副学長が許可を下す)を受けた後NIHの大学院プログラムへ予算を申請する。予算が下りれば、そのプログラムにしたがって、あらかじめ調査しておいた研究室の希望にそう人材を選抜して入学させるのが一般的。

 ところが、今年入学してきた大学院生の志望研究室が一部に偏ってしまうという現象が起きてしまったようだ。というのも、実は我がラボを希望していたのは9人にものぼったこともあって、学部の要請を受ける形でその中から6人を選ぶということになったのだ。

 来月からは2人のポスドクが新たに加わるし、いったいスペースはどうやって確保するもんだかというのが、もっぱらの最近の話題。

 まあ、活気があるというのは良いことではある。


Saturday, November 18, 2000
 日本で、ハイテクベンチャーの育成を図る狙いで導入された、国立大学の教授らに民間企業の役員兼業を認める『産業技術力強化法』は、施行されてから半年余り経ったけれども、自分の研究成果を事業化するため役員に就任したのは21人にとどまったそうで、自らが社長となったケースはゼロだったとのこと。

 ビジネスチャンスを自らが示すことで大企業に自分の研究の意義を理解してもらい、その分野への関心を、ひいては研究者人口の裾野を広げるという目的では、願ってもないチャンス到来だと思うのだけれど、お金とは縁のない学者気質がそうしたチャンスをつぶしてしまっているようだ。

 ちなみに、MITの利根川教授は、これまでに5つのベンチャーの社長を務めている。


Friday, November 17, 2000
 いやはや、一時はどうなることかと思った。

 というのは、火曜日にこの備忘録を更新するや、突然コンピューターがうんともすんとも言わなくなって、以来、身のまわりに日本語が使える環境のコンピューターが全くないことから、今日までこのページの更新どころか、日本からのメールすら読めなかったというわけ。

 火曜日の夜は、日付が変わって朝になればなおっているかもしれない、とまあずいぶんとのんきに考えてそのまま寝てしまったのだけれど、次の日になっても症状は変わらず。しかたなく、MITの「Computer Help Desk」にマックを持ち込んだ。

 この窓口は、大学が運営しているコンピューター関連センター内にあって、ソフトウェアが原因でのトラブルは、すべて無料で解決してくれるというところ。担当の方は、何台ものコンピューターに囲まれて仕事をしているものの、とてもオタクには見えない(けっしてオタクと決めつけているわけではないが)風貌で、その上あれやこれやと熱心に回復の可能性を探ってくれたのだが、最終的には「ハードウェアの故障」ということに残念ながら落ち着いてしまった。

 こうなると、保証期間などとうに過ぎた我がマックでは、当然修理費がかかることになる。しかし、我がマックときたら、今やこのウェブサイトの更新やメールに限らず、普段の仕事にも欠かすことの出来ない存在であるので、修理費云々よりも、まずは完全復旧するか否かが当面の問題であった。幸い、ハードディスク内のデータは、14枚にのぼる250MBのZIPに(アメリカではMOなぞは目にすることは至難の技で、もっぱらZIPを使っている)こまめにバックアップしているので、コンピューターさえ動いてくれればなんとかなるという状況だった。

 そこで、次にマックを持ち込んだのは、やはりMITの構内にある「Hardware Services」というコンピューター修理センター。ここは、もうすでに現役を引退したおじいさんたちが、その経験と知識を存分に発揮してあらゆる問題に対処しているというところ。まあ、ちょうど僕の前で学生らしき若者と問答しているのを聞いていたら、どうにも原因が分からないのであきらめろと説得しているところで、それはもう大いに不安をかき立てられはしたが。

 とにかく、マックを預けると、「こりゃ、ロジックボードの交換だな」と一言あって「金はかかるがすぐになおる」とのこと。まあ、1週間もあれば手元に返せるだろうと言うので、ちょっと安心しつつも、1週間もコンピューターのない生活が、果たして送れるだろうかという不安もよぎったので、とにかく仕事にさしつかえるから急いで頼むとお願いした。

 すると、今日の朝に研究室に電話が入り、もうなおったからすぐに取りに来いという連絡。いやはや、実質1日半でコンピューターが帰ってくるとは驚きの早さである。修理費は、部品代に加えて技術科および税金込みで375ドル。中古で買ったことを考えると、ちょっと痛い出費だが、まあ仕方ない。

 というわけで、2日ほど更新できなかったのは、こういうわけだったという話。


Tuesday, November 14, 2000
 今日は我らのボスの34歳の誕生日。ラボのメンバーで相談して、チョコレートケーキとキャロットケーキを準備してのお祝いとなった。

 なかなかに好評だったらしく、火曜日恒例のミーティングが終えた午後9時からは、場所を構内のバーに移してビアパーティーとなった。

 そこでのもっぱらの話題は、今年のクリスマスパーティーをいかに盛り上げるかということで、昨年がなかなかに傑作だったので、みんなかなり気合いが入っている。

 街もクリスマスの装いになって、こちらはすっかり年末に向かって動き出したようだ。

 ところで、日本から今日郵便物が届いたのだが、なんだか宛名のところに、日本の郵便局が貼ったとおぼしきワープロで急遽作られた注意書きがある。よく見ると、送り主の住所を隠すようにそれが貼ってあって、
This item is destined for your country. The sender's and addressee's addresses are in opposite position. It would be much appreciated if you could try to deliver it to the addressee. Thank you.』
と、間違ってまた日本に舞い戻ってこないような心温まる配慮。

 こんな心遣いに、日本のお役所だって捨てたもんじゃないなあと思った次第。

私信・
 10月30日に郵便物を送ったMさん、今日になって無事に受け取りました。くれぐれも宛名を書く場所を間違えませんよう、次回はご注意ください。


Monday, November 13, 2000
 日本で未承認の遺伝子組み換えトウモロコシ「StarLink」が、輸入トウモロコシに混入している疑いが強まっている問題で、農水省が抽出した飼料用トウモロコシ15検体をモニタリング検査した結果、10検体からStarLinkが混入している可能性が極めて高い反応が出たと発表されたそうだ。

 「StarLink」は、『Cry9C』という組換え遺伝子が他のBt毒素と比べて蛋白として安定で難消化性であることを理由に、アメリカでは飼料用途にだけ限定して販売認可を受けているが、日本では飼料用、食品用共に未承認である。

 この問題は、9月20日にタコスの皮からアメリカでCry9C遺伝子が検出されてからというもの、「StarLink」を販売していたフランスAventis CropSciences社に費用を負担させて全量を買い付け、EPAの監視の下、分別流通する手を打つことで解決を図っているけれど、実際のトウモロコシの流通システムでは未回収の「StarLink」が食品用として流通することを避けることが不可能であると指摘されている。

 おまけに、アメリカ政府はトウモロコシの流通業者に対して、相手国側の承認がない限り、アメリカ産トウモロコシを輸出すべきでないと先月末に通告したため、日本の農水省・厚生省とも未承認の組換え農産物は一粒たりとも輸入を認可しないという態度を表明している関係上、アメリカから輸入している1600万トンという大量のトウモロコシが、日本に突然入ってこないことになった。たぶん、今ごろ太平洋上でトウモロコシを載せたタンカーが立ち往生しているに違いない。

 しかし、この量に匹敵する量を中国などの他の国から調達するのは、はっきり言って机上の空論の域を出ない話であるから、食糧用の400万トンはアメリカ以外から輸入するにしても、飼料用の1200万トンについては、アメリカから輸入できるように日本のお役所は態度を軟化させなければならないのではないか。もちろん、そのためには、あらゆる安全確認を迅速に行うことが第一条件である。

 コーンスターチの糖化液を主要原料とする発泡酒が、急に値上げされてから慌てふためかないためにも、政権がどうの内閣不信任がどうのという議論と平行してでも、早急に手をつけなければならないと思うのだけれど。


Sunday, November 12, 2000
 昨日、無事に学会は終了。学会2日目に行われた2時間に亘るポスター発表には、意外にも多くの人が関心を持ってくれたようだし、何人かの大御所の方と話もできたので、なかなか実り多いものとなった。

 また、学会に参加していた日本の国立機関の方から、このページを楽しみにしているという意外な言葉をかけていただき、ちょっとびっくり。それを聞いていたアメリカ人の方々に、「英語のページはないのか」と聞かれて・・・まあ、あるにはあるが・・・そろそろ更新しないと。

 ところで、来年1月から新大学院生の指導をすることが正式に決定したようだ。まあ、我がラボの初めての生化学の学生ということで、なかなか責任の重い仕事になるけれど、やれるだけやってみるというこれまでの姿勢を貫いて、なんとか頑張りたいと思う。


Wednesday, November 8, 2000
 本日からアメリカ糖鎖生物学会がここボストンで開催され、昨年に引き続いて参加。

 明日はポスター発表があるので、ちとその準備に忙しい。


Tuesday, November 7, 2000
 7月21日の「備忘録」で紹介したカリフォルニア州立大学サンタバーバラ校の「中村修二さん」のセミナーが、今日MITであるとのうわさを聞きつけ、まったくの専門外ながら参加した。

 会場に足を踏み入れると、学生を中心としてなんだか「神様」か「教祖」の話を聞きに来たような雰囲気に包まれていて、彼が登壇するや早速割れんばかりの拍手が起こった。

 中村さんは、さすがにこの10年の間名だたる大企業を相手に一人勝ちしてきたという第一人者だけあって、自信に満ちあふれたその語り口が印象的。内容としては、先日の「Scientific American」誌に掲載されたことの復習といった形であったので、専門外にもなんとか理解することが出来た。

 最後に聴衆から「日本でこれだけ成功しているのに、なぜアメリカに来たんだ」という質問を受け、まあいろいろと日本のシステムを批判していたが、そこはちょっと残念だったかな。確かに正論ではあるかもしれないが、それではなんだか自分の能力を生かしきれない発展途上国から逃げ出してきたようにも聞こえ、日本人としてはちょっと立場がないな、と思ったりした。

 とはいえ、最先端をひた走るまさに第一人者の雰囲気を感じた有意義な時間ではあった。

 ところで、午前3時現在のCNNの報道によると、大接戦を続けている大統領選挙は、ブッシュ氏がたった6000人ほど上回った(それぞれ獲得票が289万人ずつの話!)フロリダの議席を獲得して271議席となり、当選に必要な270議席を上回ってゴア氏を抑えて次期大統領となることが確定した模様。

 と書いたら、フロリダの投票は99.9%の開票率であまりに接近しているため、州法により自動的にもう一度読み直し作業に入ったとのこと。3つの州の結果を残して、まだまだわからなくなった。


Monday, November 6, 2000
 ラボに出向くと、メンバーから口々に「Happy Birthday!!」と声をかけられた。当日はハーバードに出張していたので、お祝いが今日になったというわけだが、それにしても週が明けてもなお覚えていてくれていることに感謝。

 すると突然大学院生が寄ってきて、「せっかく金曜日にケーキを作って持ってきたのに、いつまで待っても現れないから、みんなで食べてしまった」と言いつつ、わずかに残されたケーキのかけらを見せられた。

 実は、僕より1日早い誕生日の大学院生が居るので、一緒にお祝いという手はずだったらしい。

 3日も経ってしまったけれど、まだ味は大丈夫、とのことで、さっそく味見。たっぷりとチョコレートに包まれているところは、なかなかによく分かっているが・・・ま、気持ちが何より大切である。

 これで5人いるポスドク全員が30歳(今月中に31歳になる者2名)ということになって、その一人から「Welcome to the world」と歓迎された。どうやら、30歳という年齢が、20代と大きな隔たりをもって感じられているのは、万国共通のことらしい。

追記・
 ジオボードにも書いたけれど、ヤクルトの元エース、高野光さんの御冥福を祈ります。

【今日の科学情報】
 衝撃波現象の解明などで優れた成果を挙げた研究者に贈る「エルンスト・マッハメダル」が、東北大流体科学研究所付属衝撃波研究センター長の高山和喜教授に贈られることが決まったそうだ。史上11人目の受賞者となるが、日本人としては初めて。高山教授の研究は、衝撃波が生体細胞、マグマ、津波など複雑な媒体をどのように伝わるのかを解明し、手術のいらない血栓治療や、火山噴火の予知・解明などへの応用を目指すというもの。ちなみに、マッハは19世紀のドイツ、オーストリアで活躍した物理学者、哲学者で、音速を超えて伝わる圧力の波・衝撃波の写真撮影に世界で初めて成功した。物体や流れの速度を表す単位の「マッハ数」は彼を由来としている。


Sunday, November 5, 2000
 先日のセミナーで、笑って欲しいところで笑ってもらえなかった悔しさをなんとか解消するために、スピーチの良い指導書はないかと書店に出向いた。

 そこで見つけた『How to Write & Give a Speech』(Joan Detz, ST. MARTIN'S GRIFFIN)という本は、まだ読み始めたばかりだけれども、なかなかおもしろい。特に、今回の目的に合致する「Humor: What Works, What Doesn't, and Why」という項目には、感心することしきり。

 それ以外にも、日本の英語の解説書とは一味違って、母国語をいかに正確にそして効果的に人に伝えるかという視点は、なかなかに新鮮でもある。

 最近始めたフランス語も、テキストは英語で書かれているのだけれども、これがなかなかに英語を勉強するにも効果的だと思っている。なにしろ、外国語を英語で説明するために、英語そのものがあらためて分解され、そして一つ一つの単語の役割と機能が、別の文化との比較の中で取り上げられているのだから。

 ところで、日本から送ってもらった「ムースポッキー」と「フラン[ホワイト]」を食べてみた。ムースポッキーの方は、日本で大人気となるのも納得のおいしさだったが、フランの方はちょっと期待外れだったかな。

 ・・・ん、しまった。いつの間にか、二つとも全部食べちゃった。明日も食べたかったのに・・・。


Saturday, November 4, 2000
 何ともやるせないニュースが飛び込んできた。驚きを通り越して、もう身体中の力が抜けていく感じ。

 10月23日の本欄でも紹介した宮城県の上高森遺跡から見つかった60万年前の石器とされたものは、藤村団長が自分で自分のコレクションの石器を埋め、そして発見したと発表するという捏造であったことが、毎日新聞のスクープによって発覚したそうだ。

 世界中の考古学者が、原人のイメージを覆すこの発見に注目していただけに、この世界を欺く行為は、学者としてというよりも人間として許されざるものである。

 頂点に登り詰めてもなお功名心を求めると、基本的な人としてのふるまいが、はるか裾野にかすんでしまうのだろうか。

 10月23日の「備忘録」中の記事で、不可抗力とはいえ、捏造された発表を紹介してしまったことについて、深くお詫びいたします。


Friday, November 3, 2000
 誕生日である。

 日本に居れば、今日は「文化の日」という祝日だから、なんとなく子供の頃からの感覚で「ああ、誕生日だなあ」という雰囲気を感じるのだけれど、こちらはいたって普通の金曜日で、おまけにいつにも増して忙しかったこともあって、なんだか誕生日という雰囲気とは無縁の一日だった。

 といって、本人が意識するとしないにかかわらず、歳は重ねられていくもので、今日から僕は次の世代のカテゴリーに仲間分けされるようになってしまった。

 30歳というイメージで思い出されるのは、小学校2年生か3年生の頃、小学館の「小学○年生」という雑誌に、「ドラえもん未来カレンダー」なるものが付録として綴じ込まれていて、その2000年の欄に「30歳!!」と書かれているのを見て、「ひょえ〜、おっさんだ〜」と叫んだ懐かしい日。タイムマシンでもあったら、真っ先にその頃に戻って「おっさんとは失敬な!!」と自分を叱ってこようと思う。

 とにもかくにも、今日を境にして身辺が変わるわけでもないのだから、新しい世代のフレッシュマンとして、またバリバリ突き進むとしよう。30代のみなさん、よろしくどうぞ。


Thursday, November 2, 2000
 今日から週末までは、放射性同位体を使った実験のセットアップがMITのラボではまだ間に合わないこともあって、ハーバードのラボでほぼ1カ月ぶりに実験をすることになった。

 やはり慣れ親しんだところは、たとえ久しぶりだと言っても違和感なく溶け込むものである。各部屋のドアロックの暗証番号を、無意識の内に押していたりして、ふと自分でもびっくりしたりして。ばったり会う人たちが、みな懐かしげに声をかけてくれることが、普段ここに居ないことを思い出させてくれたりするけれども。

 まあ、違和感なく操作が進むことと、実験がうまくいくこととは、別次元の話ではある・・・。

 さて、アメリカではもうすっかり野球の話題から縁遠い季節を迎えているが、日本ではこれから日米野球が始まるとのこと。僕も4年前のその試合を見るために、東京ドームに出向いたことがあるが、お祭りとは言え、そこは大リーガーのプライドで、きっちり魅せる野球をしてくれるので、かなりお勧め。なにしろオールスターぞろいである。

 ヤンキースと言えば、金に糸目を付けずに選手を集めてくるチームとして知られているが、スカウトの目も一流であるので、連れてくる選手が金額どおりの活躍を見せてくれるものだから、見てる方としてもまあそれなりに楽しめるチームではある。

 方や、ナ・リーグ一の金持ちチームと言えば、100億円の総年棒を誇るドジャースである。しかしこちらはここ2年ほど、プレーオフとは縁のない状態。そんな状況を打破するべく、これまで指揮を取っていた元巨人のジョンソン監督を解任し、1983年から2年間大洋ホエールズに在籍したトレーシー氏を監督に就任させた。

 これで、大リーグの監督の日本野球経験者は果たして何人目だろうか。現役では、メッツのバレンタイン監督とインディアンスのマニエル監督(ヤクルト初優勝の立て役者!!)がいるけれども、昨年のタイガースのパリッシュ監督(ヤクルト)やジョンソン監督のように、なかなか長く指揮を取れないのが寂しくもある。トレーシーさんには、是非とも頑張って欲しいものだ。


Wednesday, November 1, 2000
 ここ1カ月ほどのラボのセミナーは、来年1月からのラボへの配属先を思案している新大学院生も参加して行われている。

 昨日から延期された今日の僕の発表に、誰一人として現れない新大学院生を見て、最初はなんだか気が抜けてしまったが、部屋を間違えたとかで、次から次へと結局10人ほどが今日は参加し、にわかに緊張感が高まった。

 今日の発表は、2カ月ほど前から新しいプロジェクトのための準備をしてきたものの一部。不慣れな単語が並んでいたり、さらには発音するのに舌をかみそうなものが次から次に登場したりするので、かなり難儀な発表だったのだけれど、観衆が多いと俄然張り切ってしまうのは昔からのことで、気がつけば身振り手振り、なんだかこの寒いのに汗を吹き出しながらの発表となった。

 ひとしきり喋り尽くして、一通りの質問に答え終わると、にわかに拍手が鳴り響いた。このラボでのセミナーも7度目になるけれど、気持ちよく拍手に包まれたのは初めて。これはもう、病みつきになりそうなほど気持ちよい一瞬。

 まあ、これまでの発表に比べたらよくやったなあという意味合いの拍手であって、合格点にはまだまだほど遠いのは衆知のこと。なにより、「笑い」を取ろうとしたところのウケが、いまいちだったのが悔しい・・・。



最終更新日:2000年 12月 10日