備忘録・2000年10月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Tuesday, October 31, 2000
 ハロウィーン(起源などについては『Import Data』10月29日参照)の今日は、子供たちが家々をまわって、お菓子をもらい歩く日だそうだけれども、独り者のアパート住まいには、とんと縁の無いイベント。

 とは言え、ハロウィーンだということで、ラボのメンバーで久しぶりに酔い明かそうと、ハーバードスクエアに繰り出した。

 昨年はちょうどこの日にサンフランシスコに滞在しており、全米一クレージーだという仮装行列を拝むことが出来たけれども、こちらボストンはそんな雰囲気はみじんにも感じられず、いたって普通の夜だった。店員さんのコスチュームが、いかにもハロウィーンだったのを除いては。

 さて、本当は今日あったはずのセミナーで発表することになっていたのだけれど、それは明日に延期され、明日予定されていたハーバードでの研究発表とあやうく重なるところだったが、よくしたものでそちらもまた延期となった。

 ということで、明日から11月である。


Monday, October 30, 2000
 口内炎の事を以前書いたままになっていたが、それ以来、具体的な食品を挙げて、いろいろと忠告してくださる多くの方からメールをいただいた。その中には、栄養士さんもいらっしゃって、こちらが料理に疎いことまで踏まえてのアドバイスに、恐縮するばかり。

 おかげで、もうすっかり口内炎も治り、風邪の方も、昨日の暴挙にもかかわらず、再び暴れ出すこともなく、おさまりつつある(それにしても今年の風邪はしつこい)。

 あらためて、メールをくださったみなさん、および「口内炎はどうなった?」と気にかけてくださったみなさん、ありがとうございました。

 ところで実はいま、日本から大量の新作チョコレートが送られてきて、ひとり頬がゆるみっぱなしなのである。チョコレートを前にして口内炎が治るあたり、我ながらよくできた体である。

 でも、今度は糖尿病なんてことにならないように、用心しないと。


Sunday, October 29, 2000
 本日より夏時間から冬時間に移行となって、日本との時差はこれまでの13時間から14時間となった。我がMacの時間表示や、テレビに内蔵の時間表示などは自動的に調製されるので問題ないのだけれど、壁にかかる時計や目覚まし時計、腕時計などは、もちろん自分で時間を1時間遅らせなければならず、ちょっとした面倒ではある。

 さて、いつものようにTシャツでジョギングに出かけようと外に出てみると・・・なんだか吹きすさぶ風の機嫌の悪いこと。肌を刺すような冷たさにしばし立ちすくんだけれども、まあ走っている間に熱くなってくるからと、そのままチャールズ川へ。

 5分ほど走ってもいっこうに体は温かくなってこない。それどころか、さらにしばらくすると、ふわふわと空中を漂うものが。砂ぼこりにしては大きいし、落ち葉の破片にしてはなんだか頼りなげに風に運ばれている。

 それでも構わず走っていると・・・ぶわ〜っと一面に『雪』が舞ってきた。

 ついに、ボストンの本格的な冬の到来を告げるかのような「初雪」となった。最近、紅葉の終わった葉が風に吹かれて舞い落ちる風景がちょっと気になっていたところだったけれど、雪まで降ってくるとこれはもう覚悟を決めるしかない。ちなみに今日の最高気温は5℃とのこと。そして体感気温は・・・マイナス10℃。

 どうりで、いくら走っても汗すらかかないはずだ。まあ、こんな日にTシャツでジョギングしている方がどうかしているのだが。

【今日の科学情報】
 先日僕が発表した論文に対するその分野の大御所からの反論が同じ雑誌に掲載されて、ちょっとした論争になってしまった。どちらが間違っているとか、どちらが正しいということでもないと思うのだけれど、当事者としてはちょっと気にかかるところ。まあ、いろいろあります。
Microbiology (Aug.2000) 146, 1760-1761


Friday, October 27, 2000
 来月中旬に母国のドイツに帰国することになっているポスドクの、お別れランチがあった。

 こちらに来て1年と5カ月が過ぎて、これではや何度目のお別れ会となるか。若い研究者の集まるこの世界は、移動が激しい世界でもあるから、この先もお別れ会とは縁深くなるだろうけれども、やはり寂しいことに変わりはない。

 特に今回帰国するWは、僕がボストンに初めて降り立ったその時からずいぶんとお世話になった恩人でもあるので、なおさらそう思うのだろう。

 空港での出迎えに始まって、アパートを探す間に宿泊するための場所を提供してくれたり、彼の車で一緒にキャンプに出かけたり。さらには彼の奥さんにも、住み始めるに必要な書類の作成を手伝ってもらったり、一緒に銀行に出向いて口座を開くために僕の代わりにいろいろと行員と掛け合ってくれたりと、それはもう数え上げればきりがないほどに世話になっているのである。

 彼らのおかげで、人を思いやる心というのは世界共通のものであることをあらためて実感させてもらった。ドイツに帰ってからの、彼らの成功を願ってやまない。

【今日の科学情報】
 マウスの胚性幹細胞(ES細胞)を使い、試験管内で効率よく神経細胞を作る新技術「SDIA法」の開発に、京都大再生医科学研究所の笹井芳樹教授らのグループが成功した。この細胞からさらに神経伝達物質ドーパミンを放出する中脳神経細胞を作り出すことにも成功し、ドーパミンが減少することで運動機能障害を起こす難病、パーキンソン病の移植治療に道を開く成果として注目される。
Kawasaki, H., et. al. (October 2000) Neuron, 28(1), 31-40


Thursday, October 26, 2000
 またまたトップページを置いているジオシティーズのサーバーの不具合で、1日中アクセスできない状態が続いた。日本最大の無料ホームページサーバーとして、巨大になりすぎてしまったがゆえの弊害だろうか。まあ、タダに勝るものもないのでしばらくはがまんするしかないが。

 実は、「www.yabets.com」というドメインは、ジオシティーズへの仲介をするだけの契約をしているので、本体にダメージがあると時折こんなことになってしまう。しかし、「YABeT's Board」の多くのコンテンツは、別のサーバーに置いてあることもあって、【http://home.earthlink.net/~yabet/】からアクセスすると、『備忘録』などの毎日更新しているものを除いて閲覧することが出来るので、最近このサイトの全コンテンツ読破に挑戦している方(!)はそちらからどうぞ。

 さて、44年ぶり14度目となるニューヨークの地下鉄シリーズとして盛り上がっていたワールドシリーズは、いずれも接戦を制してのヤンキースの3連覇(通算26度目の大リーグ制覇)で幕を閉じた。地下鉄シリーズはこれで11勝3敗とめっぽう強いが、そもそも大リーグには30もチームがあるのに、歴史上その4分の1でチャンピオンとなっているのだから、強すぎるといった感もある。

 20年前のメッツで監督と選手の関係にあったトーリ監督とバレンタイン監督だが、監督としてワールドシリーズを16勝3敗という史上最高の勝率を誇る名将ぶりをまざまざと見せつける形で、トーリ監督の貫禄勝ちに終わった。それにしても、好ゲームの連続でなかなかに印象に残るシリーズだった。

 そういえば、ラジオを聞いていたら日本シリーズの話題を伝えていて、どこかで聞いたことのあるような日本人の声が。『Japanese reporter, Mr. Pancho, said....』

 なんとワールドシリーズを取材に来ていたパンチョさんが、インタビューに応えて日本シリーズを解説していたのだった。ドラフト会議の司会として長く親しまれていた伊東さんは、今や世界的に「パンチョ」さんになったようで。それにしても、なかなか英語がうまい。ちなみに、日本シリーズの「ON対決」は、こちらでまさに「O-N Showdown」と紹介されている。

 ところで、今日はMITの図書館でいらなくなった本の廉売をしていたのだけれど、買うともなくうろついていたら、どこかで見たことのあるような本が。

 そこで売られていた本は、ほとんどが20年前ほどの科学関係の本で、今ではあまり役に立ちそうにないものばかり。しかし、目に止まった本は1998年に出版されたばかりのもので、書店には130ドルで並んでいるものだ。それが、たったの4ドル。もう迷わず購入。

 しかし何でまた売られていたのやら。裏表紙に貼られたMITの貸し出し記録を見ると、2年間で借りられた形跡はなし。もしや、これが原因だろうか。まったくもって、こんなところにも厳しい現実があるのかと思うと、気も重くなりそうだけれど、お徳な買い物でなかなかに心地良い秋の日。


Wednesday, October 25, 2000
 我がラボの、僕が一人だけで切り盛りしている生化学分野に興味を持つ新大学院生は、いつのまにやら3人に増えた。それはそれで、結構なことではある。

 しかし、3人とも女性なのだが、彼女たちの会話についていくのは至難の技と言うか、不可能と言うか。喋るスピードが早いという理由だけでは、どうやらなさそうだ。どうにも、8つも歳が違うというのが・・・。

Cytochrome
【今日の科学情報】
 ハワード・ヒューズのニュースによると、科学に関する芸術的な挿絵を描き続けていた事で知られるIrving Geisの作品群を、財団がすべて購入したそうだ。財団は、今後これらの作品をオンラインで科学者が利用できるように整備していくという。Geis(1908-1997)は、科学雑誌「Scientific American」のイラストを手がけていたことで有名だが、彼の名を世界に轟かせたのは、まだコンピューターのなかった1961年に、世界で最初のタンパク質の結晶構造となったミオグロビンの構造を描いたことである。ちなみに右のイラストは1988年に彼が描いたチトクロームの構造(CR:2000 Howard Hughes Medical Institute)。


Tuesday, October 24, 2000
 昨日は、ハーバードのラボでラボ対抗のバレーボールの試合があり、助っ人として呼んでいただいたので喜んで参加した。

 試合は、接戦の末勝利を収めてめでたしめでたしだったのだが、いやはや今日は上半身の筋肉痛に悩まされることに。はあ、まったくもって・・・。

 同じく昨日、女子テニス協会が発表したダブルスの世界ランキングで、先週末のオーストリアの大会で優勝した事を受けて、杉山愛が日本選手として史上初の1位になったことが発表された。なんだかやっぱり「1位」と聞くとうれしいものだ。

 ところで、MITに来て1年と5カ月目にして、今日初めて利根川教授にお会いすることが出来た。7年ほど前に、仙台でノーベル賞フォーラムが開かれたときにこの目に収めて以来となる。まあ、といって会話をしたわけではないので、お会いしたというよりは、見かけたといった方が正確かもしれないが。


Monday, October 23, 2000
【注・以下の記事は捏造された発表にもとずくことが11月5日(日本時間)に明らかになりました。学者として許されない行為に抗議すると共に、以下の発言を撤回します。】

 国内最古とされる宮城県築館町の上高森遺跡で確認された約60万年前の建物遺構の調査から、世界的に原人に対して抱いていた従来のイメージを覆すことになるかもしれない報告が相次いでいる。

 つまり、だ円形の土壙(どこう)の中心に置かれた7つの石器と、土壙を囲むように配置された円形の穴が見つかったのだけれど、円形の穴は将棋のこまのような五角形の配列で、真西に間口を設けているのが特徴。五角形は建築学上で最も簡易で強度を持った構造とされているので、60万年前の日本人の文化的な完成度の高さを示すことになる。

 この調査団を取りしきる団長は、「言いたい放題」でも取り上げている藤村さん(1998年11月25日「アマチュア石器マニアが伝えたこと」参照)。今年2月に約50万年前の小鹿坂(おがさか)遺跡(埼玉県秩父市)で確認された遺構と、形態が同じもの(ただしこちらは、4基見つかった5角形の配列はすべて南に間口を設けている)をこの上高森遺跡から見つけたことによって、原人が規格性のある技術を持っていた可能性と原人の高い精神性を証明することは確実で、欧米の研究者で定説になっている原人の野蛮なイメージを覆す発見となりそうだ。

 60万年前の原人の血を引く我ら日本人。独創性もまんざら捨てたもんじゃないのだ。


Sunday, October 22, 2000
 なかなか忙しい日曜日。

 いつものように、チャールズ川のジョギングコースを走ることから日曜日は始まる。所要時間1時間ほどの、少しばかりの運動。それから、洗濯をするため、荷物を担いで4ブロック先のランドリーまで遠征。洗濯が終わるのを待つ間は、近くの公園で読書、というのもいつもの日課。

 そして今日は、ボストン名物で毎年恒例のチャールズ・レガッタを見物にチャールズ川へ。今年は参加数が4,500人とのことで、昨年よりちょっと減ったようだが、それでも世界最大のビッグイベントであることにかわりはないようだ。川岸はビニールシートを広げてくつろぐ人であふれていた。

 その後、映画館で『PAY IT FORWARD』を見た。Catherine Ryan Hydeの原作を読んで、アメリカ人にもこんな考え方をする人がいるんだなあと、思いのほか感動を覚えていたので、ちょっと期待してスクリーンに見入った。日本でもし公開されれば、邦訳は「小さな親切」ってとこかな。

 映画の感想としては、これそのものでもなかなかの作品で、個人的には「Good Will Hunting」「Phenomenon」に次ぐくらいの出来栄えだと思う。まあ、僕好みの作品。

 しかし、映画とは得てしてそうだけれど、原作の骨組みだけが残っている感じで、だいぶ様相を異にしていたのは、ちょっと期待外れ。とはいえ、原作と映画のセットでお勧めの作品。


Saturday, October 21, 2000
 先日、食生活・・・というよりは食パターンについて書いたら、いろいろな方からアドバイスをいただいた。ありがたい。

 その中で、昼食にMITのトラックランチはどうかという提案があって、早速金曜日に行ってみた。トラックランチとは、中華やイタリアンなどのいろいろな弁当を大型のバントラックで売っているもののことで、アメリカ版の屋台といったところ。

 初めてMITに来た当初は、ほとんどこのトラックランチの中華ばかり食べていたのだけれど(・・・この「ばかり」というのが、どうもよくないらしいが)、ここのところ昔そのトラックが停車していた場所は、大規模な工事をしているものだから、果たしてそれらのトラックがどこに行ってしまったのか分からなかったというわけ。

 情報を元に探してみると、果たして昔と変わらず長い列を従えたトラックを見つけた。

 金曜日は、午前8時30分からミーティングがあって、その場でドーナッツが出されるのでそれを朝食としているのだけれど、そのコントラストもあって、トラックランチの中華は、いやあうまかった。これで、昼は「中華」で固定されそうだ。

 まあ根本的に、バランスよく栄養を取るように気持ちを入れ換えないといけないのだが。

 さてさて、日本では「ON対決」、こちらでは「地下鉄シリーズ」のそれぞれ野球の頂上決戦が始まって、毎日わくわくしている。ボストンでは野球のシーズンが終われば待ち受けているのは・・・「冬」というのが、ちとつらいところではある。


Thursday, October 19, 2000
 依然として風邪は治らないし、おまけにこのところ口内炎に悩まされている。

 口内炎はどんなときに起こるのだろうと思って「メルクマニュアル」をひもといてみたところ、どうやら『各種ビタミンB群と蛋白の欠乏』というのがあやしい。

 といのも、MITに移ってからというもの、よくよく考えてみればまったくもって「規則正しい」ならぬ「代わり映えのない」食生活を送っていることに、ふと気付いた。すわ一大事と我が身を守るべく、けなげにもこの体は警鐘を鳴らしてくれているらしい。

 朝食は、お手製のバターもしくはチョコレートバターをたっぷりとぬった食パン2枚と牛乳。昼食はチーズバーガーひとつに水。そして夕食は、ベジタブルピザ一切れにオレンジジュース。この他に、りんご狩りでたんまりと獲得してきたリンゴを間食としてほおばる。

 かれこれこのスタイルで十日ほどが過ぎて、確かに量の問題があるのかもしれないが、栄養のバランスとしてはなかなかいい線をいっていると思っていたのだけれど、どうやらそれがそもそもの間違いのようだ。まあ、飽きもせずに毎日食べ続けていられることにも問題があるが、衣食住に関してなんとも淡白な思考回路を持つ身としては、何を食べようかと頭を悩ませなくてすむ上、食事に費やす時間が短くてすむのが心地好くはあった。

 しかし、どうやらせめて別のメニューで固定するべきらしい。ん〜、ということは前のラボで毎日チャイニーズを食べていた方が、実は体には良かったということになるなあ。

 さてと、何を食べようかな。


Wednesday, October 18, 2000
 実験機器を求めて、いろいろなラボをさまよっている僕は、それぞれの部屋へ出入りするための鍵を常時持たねばならず、まるで鍵コレクターにでもなったかのごとくじゃらじゃらと鍵を持ち歩いている今日このごろ。

 アパートの鍵と合わせて、実に12もの鍵を持ち歩いている。なんだか、ガードマンになった気分でもある。

 さて、メジャーリーグはついに44年ぶりのニューヨーク決戦でのワールドシリーズを迎えることとなった。

 1956年のヤンキースとブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)のシリーズは、それはもう大変な騒ぎだったらしいが、果たして今回はどうなることやら。なんせ、メッツのファンときたら、その荒らくれぶりはアメリカでも有名だから、イギリスのフーリガン並の熱狂的な応援合戦が見られるかもしれない。

 それにしても、短期間でここまでチームを育て上げたメッツのバレンタイン監督の雄姿を見ていると、千葉ロッテファンのため息が聞こえてきそう。なんでまた志半ばで監督を辞めさせてしまったのかと。

 というわけで、すっかりボストニアンと化してレッドソックスファンとなってしまった身としては、ヤンキースに良い思いをさせるわけにはいかないから、当然メッツを応援することにして、21日からのワールドシリーズを楽しみにしている日々。


Monday, October 16, 2000
 突然ボスがやってきて、僕にアメリカ人女性を紹介し始めた。といって、重りをつけた土左衛門のごとく、浮いた話を聞かない独り者を哀れんで、ボスが仲人をかって出てくれたわけではない。かくいう4つ違いの我がボスも独り者だから・・・。

 実は、このラボで生化学を専攻したいという、大学院生を紹介されたというわけ。といって、まだこの研究室に配属されることが決まったわけではなく、来年1月からの学位論文の実験開始を控えて、研究室選びをしている最中で、彼女に限らずたくさんの大学院生が研究室探しをしている時期なのである。

 我がラボはもともと有機合成の研究室であるから、これまでにその関係の説明を求めての大学院生は両手にあまるほど訪れているが、生化学を志す学生は今日が初めて。

 というわけで、一週間という時間で、このラボで行われている研究とこれからの展望について、「僕が」彼女に説明することになった次第。ボスもずいぶんと思いきったことをするもんだ。一人の学生がこのラボを選ぶのも見限るのも、僕の説明次第となるのだから。

 とはいえ、一人の学生の一生を決めるとは言わないまでも、彼女にとってはドクターコースのプログラムを決める大事な期間。もしこのラボに決めるとなると、当然一緒に実験を進めていくことにもなるので、これはなかなか責任の重い一週間となりそうだ。

 こんな仕事がまわってくるのも、まだまだ駆け出しの若いボスゆえか、はたまた仕事を吸い寄せてくる元来のこの特異体質のなせるわざか。

 はてさて、どうなりますことやら。

【今日の科学情報】
 本田技研工業が植物ゲノム研究に参入し、遺伝子機能の解明研究に着手した。自動車業界からのバイオ参入は、トヨタ自動車が同社の豊田中央研究所で環境バイオに着手したのに続いて2番目。ヒューマノイドロボットを実現させた本田技研の、その好奇心旺盛な独創力に期待。


Sunday, October 15, 2000
 牛乳からとりだした脂肪分を固めてつくったものがバター。具体的には、脂肪球を包んでいるタンパク質の膜を破ることによって、脂肪球どうしがくっついたものがバターである。

 ということは、牛乳の脂肪分を集めたクリームをひたすらかき混ぜることによって、簡単にバターが出来ることになる。

 今日はバター作り2度目のチャレンジ。250ccほどのミネラルウォーターの容器に、冷蔵庫でよく冷やしたクリームを50ccほど入れて、ふたをしてひたすら振ってバターを作った。

 前回は、バターというよりは固い生クリームらしきものが出来たので、今回はその反省を生かして根気よくシェイク、シェイク。10分ほどあらんかぎりに激しく振っていると、ぽちゃぽちゃと容器の中で揺れていたクリームの音がはたと止んで、忽然とバターらしき塊が出現。ここまでは前回と同じ。さらにここから、よ〜く振り混ぜる。だいたい腕が上がらなくなってくる頃を目安に出来上がり。

 このままでは中身が取り出せないので、半分ほどのところで容器を切り裂き、一つまみの塩を振りかけてもう一度よく混ぜて冷蔵。

 待つこと1時間。早速食べてみると・・・ん、今度こそお手製のバターといった感じ。うまい、うまい。クリームのメーカーを代えてみたり、種類を代えてみたりすると、自分好みのバターができ上がりそうなので、これはなかなか楽しみだ。

 ご家庭でも一度おためしあれ。なかなかいけます。


Saturday, October 14, 2000
 長く感じた今週も、ようやく週末を迎えた。もっとも、我らのラボは週休1日制をルールとしているので、土曜日は週末と言えども平日と変わらない雰囲気ではある。

 ところで、カレンダーを見ると「末」であるはずの日曜日がたいてい週の先頭に書かれているのは、どうしたことだろう。歴史的なカレンダーの成立と、生活から生まれた週末という表現の成立の間のギャップだろうか。

 そもそも、曜日の成立は紀元前7、6世紀にカルデア人によって栄えたバビロニアにまでさかのぼる(ちなみにアムール人が興したバビロン第一王朝は、紀元前19世紀から16世紀のこと)と、現在最も有力な情報とされている、ギリシアの歴史家カシウスの記録に残っている。

 古代の人々は、星座の間を動きまわり、他の星よりも断然明るい7つの星を、神の宿る特別な星として崇めていた。それが、水・金・火・木・土星と月・太陽である。

 現在と同じく1日を24等分して時間を表わしていたバビロニアでは、それぞれの時間を7つの星が交代で支配していると考えていた。そこで、カルデア人たちはまずそれぞれの星を遠い順に、1時間毎に順番に並べていった。彼らが考えた遠い順とは「土星>木星>火星>太陽>金星>水星>月」。どうしてこの順番となったかの根拠もまた非常に興味のあるところだが、またそれは別の機会に。

 ということで、土星を第一日の最初の時間の支配星として配置し、以後1時間おきに木星、火星・・・と並べていき、一日24時間が埋まると、次の日の最初の時間にまたその続きを並べていく。すると、下記のような表が出来る。

 12345678...2324
1...
2...
3...
4...
5...
6...
7...


 ここで、その日の最初の時間を支配する星を、その日を支配する星と考えると・・・上から順番に「土→日→月→火→水→木→金」と現在の一週間の並びに。

 つまり、古代バビロニアでは土曜日が週の初めと考えられていたようだ。ちなみに、安息日はユダヤ教では「土曜日」、イスラム教では「金曜日」である。また、キリスト教に由来する日曜日が安息日というきまりは、イエスが十字架にかけられた金曜日から3日目の日曜日(金曜日を1日目と数える)に復活したことにちなんで、キリスト教がローマ帝国の国教とされた西暦321年に制定されたもの。

 ということで、実は依然として「週末」の表現の由来は分からずじまいだが、まあとりあえず曜日の並び方のImport Data。


Thursday, October 12, 2000
 雲一つない青空が広がる絶好の行楽日和。平日ではあるが、年に一度のラボ旅行としてニューハンプシャー州のJaffreyに出かけた。

 紅葉狩りも兼ねたハイキングということで、Mt. Monadnockを登ることに。この山は、富士山に次いで世界で2番目に登山者の多い山として知られているところだが(年間125,000人)、標高が1000mとのことなので、まあ気楽にハイキングが楽しめるかと思いきや・・・。

 山登りというよりは、ほとんど岩登りに近い足場の中、4kmほどの山頂までの道のりをたっぷりと2時間あまりかけての行程。ラボのウェブサイトの管理者として、後日この様子をアップする関係でカメラマンに撤したこともあって、カメラ一式を持っての登山がまたきつかったが、ニューイングランド地方の6つの州をすべて見渡すことが出来るという山頂でのランチの壮快感で、疲れもどこかに吹き飛んだ。

 3本のフィルムを使い切った今日の様子は、こちらのサイトでも後日公開の予定。


Wednesday, October 11, 2000
 MITのラボに移ってからというもの、部屋に一つだけある電話のそばにいる時間の長いこと。

 ハーバードのラボからの試料のありかの問い合わせの電話に、共同実験者からの質問および打ち合わせ。そして何より、我がラボにはない大型の機器を貸してくれそうなラボへのお願いにあがることに加えて、実験器具や試薬の注文。

 当面の仕事は、合成屋の我がラボに生化学の実験スペースを作り上げること。まったく新しい「実験」を始めるならまだしも、まったく新しく「環境」を作るという仕事は、想像していたとは言え、これまでに経験したことのない苦労が伴う。

 まあ、そこは「矢部流」にラボでも持った気分に浸って、カタログとにらめっこをしていたかと思うとおもむろに電話をかけたりしているのだが、僕のヒューマンフロンティアからの半年分の研究費を、ここ2週間ほどで使い切ってしまいそうな勢いだということは気にしないことにしよう。どんなに疑似体験をしたとしても、僕がラボを持っているわけではなく、全てはボスの指示なのだから。ちょっとだけ、背筋の寒い思いもするけれど。

 果たして、研究室を立ち上げる仕事が日本から来たポスドクの仕事だろうかと疑問に思う向きもあるやもしれないが、何が役に立つことで何が無駄なことなのか、誰にも分からないのが世の中というもの。僕がこのラボに今現在居るという「縁」を信じて、僕は与えられた仕事を精一杯全うしていこうと思っている。


Tuesday, October 10, 2000
 恒例のMITでのグループミーティングも、今日からははるばるハーバードのラボから移動してくることもなく、ちょっと新鮮な気分。

 そのミーティング終了後、ラボのメンバーと「GINZA」という日本食レストランに繰り出して、久しぶりの寿司を堪能した。いやあ、うまかった。

 さて、「ノーベル化学賞に白川英樹氏」という話題は、日本ではもう蜂の巣をつついたようになっていることだろう。

 プラスチックは電気を通さないという常識を覆した、電気を通すプラスチックの膜の合成に関する研究は、いまや世界的に大きく広がっている分野。あまり多いとは言えない「日本発」の世界をリードする画期的な分野だ。その創始者が、白川さん。

 ここMITの利根川教授の受賞以来、実に13年ぶりの日本人の科学分野のノーベル賞受賞という話題に大いに刺激を受けて、さあてと。

追記・
 ヤンキースに対峙した佐々木の雄姿にも感動したのでありました。


Monday, October 9, 2000
 10月第2月曜日の今日は「Columbus Day」という祝日。スペインのイザベラ女王の援助の下に、アジア大陸を目指して航海を始めたコロンブスが、1492年10月12日未明にアメリカ大陸に到達したことを讃える祝日である。

 もっとも、コロンブスが到着したのはバハマのサルサルバドル島で、おまけに発見以来30年間はそこがインドと思い込まれていたため、今でもそれらの島々は「西インド諸島」と呼ばれているのはよく知られているところ。

 今日は、夏の最後を告げる日として、全米各地でバーベキューやビーチで催しが行われるそうだけれど、今日のボストンは、「夏の終わり」どころか「冬の始まり」を告げる日のような様相。

 日中の最高気温が6℃と、数字からして寒そうだが、今日はこの地方特有の風も冷たく、なんと今日の体感気温は「マイナス3℃」とのこと。本当に寒かった。

 ボストン市内の街路樹も黄色や赤に色づき始まったというのに、こんな寒さではいっきに葉が枯れてしまいそうだ。

【今日の科学情報】
 今年のノーベル医学・生理学賞の受賞者が発表された。神経系における信号伝達の仕組みを解明、パーキンソン病や分裂病の治療薬開発に貢献したとして、スウェーデン人のArvid Carlsson教授とアメリカ人のPaul Greengard教授とEric Kandel教授にそれぞれ贈られる。受賞理由となっている研究は、それぞれ1950年代に行われた現在の脳・神経研究の先駆けとなるものだけに、ついにようやくという感じではあるが、来世紀に向けて脳・神経の研究の発展の期待をこめた受賞という印象も受ける。


Sunday, October 8, 2000
 昨日は、ハーバードのラボの同じフロアで働いている日本人の方々と一緒に、Hさんのお宅にお邪魔して、久々の日本食に舌鼓を打った。送別会とのことだったけれど、日本にいるときからラボの移動が激しいので、果たしてこれは何度目の送別会となるのか。当然のことながら、メンバーも違えば僕の歳も状況もそれぞれに違っていたけれど、人の温かさはいつも同じなのである。

 そして今日は、隣のラボの面々と一緒にチャイナタウンでのdim sum party(点心)にくりだした。

 同僚の中国人を含む総勢12人での飲茶となると、それは次から次へとお勧めの一品に箸をのばす感じで、まさに至福の時間。

 おなかも一杯にふくれて、さあて帰りますか・・・というときに、なにやらみんながこちらを注目していることに気付くと、ぱっとみんなからの寄せ書きと、プレゼントを突然渡された。

 開けてみると、ボストンのアイスホッケーのチームである「ブルーインズ」のトレーナーが。昨年、3試合を観戦したことは、どうやら衆知の事実らしい。

 そして、寄せ書きには「Nobody here is happy that you're leaving ... Even the computer's down!」との文字が踊っていた。

 まったくもって、仲間に恵まれた1年と2カ月を過ごしたハーバードの日々だったことをあらためて思う。


Friday, October 6, 2000
 「よくやってくれた。とても楽しい1年だった。これからも、すぐ近くにいるのだから、いろいろと協力してくれよ」

 1年と2カ月を過ごしたハーバードのラボを去る日がついにやってきた。これからの事務的な話をひとしきり終えた後、ボスから前述の言葉をかけられた上、ぎゅっと握手を求められた。思わぬ展開にちょっとびっくりしながらも、良いボスに恵まれたなあと感慨もひとしお。

 渡米して2カ月あまりで突然言い渡された出向だったが、ボスの言葉を借りるまでもなく、とても充実した時を過ごすことが出来たのは、周りをとりまく面々を含めて、幸運に恵まれたの一言に尽きるだろう。

 どんな味か試してみな、とおかずをサービスしてくれる食堂のおばさんや、にこっと笑いながらおつりを余計に渡してくれるレジのおばさん。運んできた荷物を秤に載せて「これ、何ポンドだ」といつも聞いてくるデリバリーのにいさん。ゴミを集めながら、スペイン語なまりで世間話に花を咲かせる掃除のおばさん。いつもニコニコと笑顔で挨拶してくれる、分析機器室のJ。フロアに唯一の我がラボの窓を眺めに来ては、スラングの勉強と称して英和辞典の日本語の説明を英語で求めて批評する秘書さん。そしてなにより、2人の同僚ポスドクと、「Tomio! これ知ってるか」とことある毎に部屋を訪れてくれる隣のラボの人々。

 おかげで、論文も一つ書き上げることが出来たし、完了することはできなかったが、ボスの元にさらに2報分のデータも残せたし。これで満足というわけにはいかないが、これからの研究人生の足場を固めるには、なかなかの修行を積むことが出来たと思う。

 さあて、今度はMITに戻って、またまた一からのスタート。修行期間を終えて、いよいよこれからが本番。


Thursday, October 5, 2000
 ボストンは久々の雨となった。

 そんな気候の変化が影響したのか(というほど、繊細な育ちではないのだが)、これまた久々に本格的な風邪を引いてしまった。のどは痛いし、咳は出るし、鼻もぐずぐず、熱まであるとかなりしんどい。

 明日でラボの引っ越しを完了しなければならないというのに。

 このていたらくを見兼ねたのか、「MITに戻っていきなり病態というのも印象が悪いから、明日はゆっくりと休んで体調を回復させたらどうだ」と言われる始末。

 まあ、仕事をしているうちに風邪が治るタイプではある。

【今日の科学情報】
 学術雑誌の「Nature」のここ数年の姉妹誌発行ラッシュのしんがりとして、「Nature Reviews」なる月刊誌が10月1日付で刊行された。「GENETICS」「NEUROSCIENCE」「MOLECULAR CELL BIOLOGY」の3冊全てが、刊行記念として創刊号を無料でオンラインから閲覧することが出来る。これがなかなかの逸品で、特に各総説の最後に紹介された『Links』は、さらに知識を深めるために、かゆいところに手が届くような配慮。そんな一から勉強を始めようという人にも親切な作りは、最先端の現場から教科書が毎月送り届けられるような雰囲気が漂う。一度ご覧あれ。ちなみに、無料だが読者登録が必要。


Wednesday, October 4, 2000
 日本からの大学の先輩の訪問を終えて、またまた日常が戻ってきた。といっても、月曜と火曜は普通にラボに出向いてはいたのだが。

 ボストンに渡ってきて早1年と4カ月。今回で、実に10組(16人)目の方の訪問ということになった。ありがたいことだ。

 さて、お次は。

 ところで、出向している病院のラボでの実験も残すところあと2日。そんなこともあって、ラボの秘書さんから次のような「公文書」が関係者に配られた。

『As many of you may know, Friday will be Yabe-san's (Tomio's) last day.(boo hoo) A few of the people from the Shworak lab are taking him to dinner ...』

 Yabe-sanと言われるのも初めてだけれど、さらには同僚いわく、「この手の書面に、boo hooという文字が躍っているのも、初めて見たなあ・・・。」

 くだんの秘書さんは、わざわざ僕のところまで出向いてきて、「boo hoo」を実演してくれたりして。

 そんなこともありつつ、今日は、個人的にも一大事があった日だったけれど、何もかもをかき消すような、相も変わらぬ忙しい日々ではあった。


Monday, October 2, 2000
 突然のジオシティーズのサーバーのトラブルにより、アクセス不能となって金曜日から更新が出来ずじまい。

 また、土曜日からは日本から大学の先輩をボストンに迎えて、ボストン名物三昧な日々を送っており、我が家に宿泊していることもあって、しばし更新は見送られるやもしれない。

 ということで、元気ではある。



最終更新日:2000年 11月 5日