備忘録・2001年9月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Thursday, September 27, 2001
 同時多発テロについて初めて触れた記事を掲載している「Science」誌の最新号(293巻9月21日号)の表紙は、海から陸へ生活環境を変えようとしたことを証明する発見となる、化石から再現された足のはえた古代クジラの復元図。

 このクジラ、「パキスタン」から発見されたものなのだけれど、この絵を表紙にするあたり「Science」誌からのメッセージが隠されているとみるのは・・・考えすぎかな。


Wednesday, September 26, 2001
 何だか最近1日がものすごく早く感じられるのは何ゆえか。前回の備忘録からはや5日も過ぎて、今日は水曜日。秋分の日も過ぎてもう冬の準備を進める季節が迫ってきてしまった。

 さて、先週の土曜日は、新聞やテレビのニュースなどで「ボストンがテロの標的に」と騒がれたせいもあってか、繁華街はひっそりと静まり返っていたけれど、翌日曜日になったらそのお返しとばかりに街は人でごった返していたようで、以来、道往く車のアンテナに星条旗がはためく光景が目に付く以外は、普段の初秋の風景が広がっている。

 それにしても、土曜日になったばかりの午前2時すぎに突然天空に鳴り響いた雷。怖かったなあ。うわさは本当だったと早合点して飛び起きて、しばらく耳を澄ませていたら・・・ザーと大雨が降り出して。まさにホッと胸を撫で下ろしたのは、少し心配しすぎだったかもしれないが。

 その土曜日にはボストン日本人会主催のソフトボール大会が開かれた。毎年初秋のこの時期に開かれている恒例のものだそうだけれど、実は僕は初参加。リナックス・ユーザーグループのBJLUGが主体になって結成された「ロブギンズ」の一員として参加したのだけれど、いやはや日本から遠く離れた土地であんなに日本人を見たのは初めて。ほとんど日本にいるかのような雰囲気の中、ボールを一心に追って楽しむことが出来た。

 とはいえ、テロの犠牲者に捧げる黙祷をそれぞれの試合の前に行ったり、会場ではお巡りさんが警備にあたっているなど、ときおりここはアメリカだという現実に戻される瞬間があったのも事実。主催者などはこの時期にイベントを開催することに、いろいろと考えるところもあったと思うけれど、悲しみを乗り越えようとする思いは、民族や人種を超えてみな同じであるから、予定されていたイベントを予定通り行っていくことは、テロに屈しないという意味でも大切なことだと思う。

 さてさて、アメリカでの仕事の最初の論文が「Biochemical Journal」という雑誌の10月1日号に掲載されることが決定。まあ、この論文を興味を持って読んでくれる研究者は、世界中に100人といないだろうという類のものだけれど、自分の仕事が形になるというのはやはりうれしいもの。一応どんなものか見たいという物好きな方は、こちらのPDFファイルをどうぞ。

 その他、レッドソックスのこと、ペイトリオッツのこと、ヤクルトスワローズのこと、いろいろ書きたいこともあるけれど、それはまた今度。大阪近鉄の優勝、おめでとうございます。ローズは王貞治の持つホームラン最多記録に現在並んでいるそうで、新記録が待ち遠しい。実はこのローズ、レッドソックスの出身なのだ。・・・すっかりボストニアンになりつつある非国民。王貞治の記録が破られるのを待ち望んでいるとは・・・なんて、声には耳を貸しません。記録は破られるためにあり、それによって王貞治という偉大なバッターの記憶が消し去られるわけではないから。


Friday, September 21, 2001
 同僚の中国人のLは、シルクロードの出発地点となる養蚕の村出身。カイコを扱っていた自身の経験は、広い世界と言えどかなり特殊なものだと思っていたそうで、ましてやこのアメリカで同じ経験を持つ輩に遭遇しようとはゆめにも思っていなかったそうな。おまけにその輩ときたら、豚を飼い、鶏を飼い、何もかも自分の小さいころの体験と同じ境遇をたどってきたというのだから驚くのも無理はない。

 その輩とはもちろんこの僕のことで、彼とは田舎者同士で通じるものがあるとみえて、いろいろと身上話をすることも多い気が置けない友である。

 彼の田舎の思い出は、北京の大学に通うまで住んでいた雨漏りのする古い家だとか。今も彼の両親が住んでいるその家を、兄妹3人で新築しようと以前から画策していたのだが、ついに先週、中国に住む兄妹に資金としてチェックを送ったという。彼が里帰りすると、しっぽを振って迎えてくれる愛犬と、その周りで戯れている鶏やアヒルの後方に、新築なった我が家がでんと建っているのを見るのがとても楽しみだと目を細めて語ってくれた。

 昭和3年に建てられた天栄村の我が家は、今年で築73年ということになるか。こちらとてきっと彼の家に負けず劣らず古い家に違いない。はてさて、この家が新築なるのはいったいいつになるのやら。はたまた、そんな日が来るのかどうか。個人的には、古い家、好きなんだけど。まあ、こちらも兄妹3人で相談することに・・・(う、長男の仕事だなんていう声がする)。


Tuesday, September 18, 2001
 ニューヨークの学会へ参加している最中に事件に巻き込まれ、空港閉鎖によって帰るに帰れない状態にあった大学の先輩が我が家に滞在して5日目。ようやく帰国のめどが立ち、今朝早くJFK空港から飛び立つべくボストンを後にして、またニューヨークに帰って行った。予定になかったボストン滞在で、先輩はすっかりこの街が気に入った様子。人間万事寒翁が馬、と思えば気も休まるか。

 ところで、昨日から甚大な被害を広げつつある新たなコンピューターウイルス「W32-Nimda」は、後ろから読むと「Admin(政府)-2(to) 3W(第三次世界大戦)」となって、なにやら今回のテロに関連して新たな戦争を煽るような名前で、実際の被害にも増してその悪質ぶりに怒りがこみ上げてくる。テロ事件にしても、事件の起こった日は9月11日だから「9-1-1」と数字を並べればアメリカの緊急番号になることからして、姿の見えないテロリストに、世界を脅かすコンピューターウイルスの犯人同様の異質な非人道ぶりが満ちているのを、ひしひしと感じる。

 そんな世間の雰囲気に圧倒されているのか、アメリカ政府も大統領自ら「21世紀最初の戦争」と宣言するなどして、お互いに姿の見える相手を傷つけ合う戦いへと一歩一歩近づこうとしている。犯罪者ばかりか、何の罪もない市民を巻き添えにする戦争を容認するなんて、異様なほどの非人道ぶりだと思うのだが。

 なんだかいやあな世の中だなあ。身の回りで触れ合う人たちは、肌の色が違おうと、宗教が違おうと、言葉が違おうと、みんな良い人たちばかりなのに。


Tuesday, September 11, 2001
 いったい何が起こったのか、現実のものとは思えない、思いたくない事態が、アメリカ全土を覆った1日。卑劣なテロにより1万人に上るとも言われる人々の命が無差別に奪われた。ニューヨークの象徴でありアメリカ経済の象徴でもある貿易センターのツインタワーが無残にも崩れ落ちた。

 こんなむごいことが白日の下に曝されるなんて。

 パレスチナの子供たちが同じ現実を見て歓喜している映像にさらに衝撃を受ける。



 犠牲になられた方々の御冥福を心からお祈りします。


Monday, September 10, 2001
 先週から新学期が始まり、キャンパスはそれはもう若者で溢れ返っていて、授業の合間に廊下に出ようものなら、もう前に進みたくなくなるほどの人の波に飲まれてしまう。まあ、みんな一様に生き生きとした表情であるのは唯一の救いだが、もうしばらくは続くこの混雑も田舎育ちの身にはちときつい。

 そのフレッシュマンを対象に、今日は我がラボの研究室紹介が午後7時から行われた。新大学院生の彼らが研究室に配属されるのは来年の1月からで、その選択のための予備知識をというわけ。60人の化学科の新入生のうち、今日の説明会に集まったのは25人ほどで、この中から実際に一緒に仕事を進めることになるのは、おそらく2人か3人とのこと。

 ボスの新入生対象の研究紹介を聞くのはこれで3回目だけれど、年を追うごとに自信溢れる説明になっていくのが明らかに分かるのは面白いというかすごいというか。今日配られた資料でも、この4年間で出版された論文が40報に迫るというのだから、その自信も当然か。

 さてさて、集まった25人のうち僕の仕事に興味を持ってくれたのが6人ほどいて、みんなそれぞれ熱心に質問をしてくれたのだが、何だかもういっぱしの研究者のような質問が飛んでくるのが、なぜだか可笑しかった。小学生のときに早く大人になりたいなあと思いながら、意味もなく難しい漢字やら言葉やらを使いたがった自分の姿とダブって見えたりしたからかな。

 まあ、笑ってばかりもいられない。この前に進もうとするエネルギーたるや、大いに見習わねば。


Sunday, September 9, 2001
 忙しい日曜日。といって、昨日までに仕上げなければならなかった仕事が一段落したので今日は久々の完全オフで、一日中アパートでごろごろしていたけれど。

 何が忙しかったのかといえば、今日からアメリカンフットボールのNFLが始まったことと、テニスのUSオープンの男子シングル決勝が行われこと、それにすっかり影が薄くなってしまったけれどレッドソックスのゲームが行われて、まあスポーツ観戦三昧な一日だったというわけ。

 USオープンでは新鋭のライトン・ヒューイットがピート・サンプラスを驚異のストレートで下して、20歳6カ月という史上2番目の若さで頂点に立った。ちなみに、史上最年少のチャンピオンは今日敗れたサンプラスで、11年前の19歳の時のこと。これでサンプラスは今年の4大大会では無冠に終わってしまったのだが、彼は僕と一つ違いの30歳。まだまだ老け込むには早い。

 アメリカのCBSのテレビの中継を見ていた人は、試合途中のクイズで今日の10歳違いの決勝にちなんで史上最も年の離れた決勝での対戦である1974年のコナーズ(22歳)とローズウォール(39歳)の17歳違いの決勝戦の話題が出ていたことを覚えているかもしれないが、ローズウォールといえば20歳で初めて決勝戦に登場し、その年は涙をのむものの翌年21歳で栄冠を手に入れ、そして35歳で再び頂点に立った息の長い選手。39歳の決勝戦では新鋭のコナーズに初優勝をプレゼントしているけれど、サンプラスもまだまだあと10年は頑張れるというもの。まあすでに歴史に名を刻む最高のプレーヤーとしての名声を手に入れてはいるが、何だかこのまま引退したんじゃあ同世代としてはちと寂しいもので。

 NFLは審判の労使協定がまとまらないために、なんともアマチュアの審判を動員してのシーズン開幕となった。プレシーズンマッチからこの体制で行われていたとはいえ、本番となればそのプレッシャーたるやものすごいものがあるだろうにと、ペイトリオッツの試合運びもさることながら、果たしてどうなることやらと審判のジャッジ一つにもはらはらして見ていたのだけれど、いやいやあっぱれ。大学の審判員や室内フットボールの審判が動員されているということで、大観衆にはすでに慣れているのか、実に堂々としたジャッジには感動すら覚えた。もっとも、一番胸を打ったのはむしろ審判ではなく選手やコーチたちの彼らに対する態度かもしれない。当たり前のこととはいえ一つ一つのジャッジに対して潔く従う様を見ていると、激しくぶつかり合う益荒男ぶりの中の、スポーツマンシップにあふれたプロとしての誇りを見た思いがした。

 はあ、それにしても・・・サンプラスが負け、ペイトリオッツが負け、レッドソックスに至っては宿敵ヤンキースにまったく歯が立たないとあって・・・応援が空に帰するのって、とても疲れるんですけど。


Saturday, September 8, 2001
 とりあえずマックが復活したとはいえ、ハードディスクの中身をすっかり新しくしてしまったので、あれやこれや使いやすく設定していた機能が使えなくなっていたりして、なかなか今まで通りに快適に動いてはくれないのが最近の悩み。とはいえ、そのせいばかりで更新が滞っているわけではないのだが。

 今回のコンピューターの不調で一つ心に引っかかっていることがある。僕は化学科のラボではコンピューター関連の管理を任されているのだけれど、実は2カ月ほど前と1カ月ほど前に今回のトラブルとまったく同じような状況に遭遇した大学院生がいた。当然そのどちらの場合にも出来る限りのサポートをして何とかデータの回収をしようとしたのだけれど、結果的には彼らの手助けが出来なかった。

 そしていざ自分のコンピューターが同じトラブルに遭遇してみると、なんとしたことかその9割方のデータの回収に成功してしまったではないか。自分では同じように真剣に何とかトラブルを解決しようとしていたつもりだけれども、結論からいえば前回の2例に遭遇したときには「他人事」として接していたのかもしれないと、何だかとても恥ずかしい思いに駆られている。そんなうしろめたさで、彼らにはトラブルのことは伝えたけれども、いまだに復活したことを伝えられないでいる。

 せっかくコンピューターの調子が戻ったのだけれど、そんなわけでうれしさ半分の今日このごろ。

 さて、日中はいまだ30℃近くまで気温があがるものの、朝晩は15℃くらいにまで涼しくなり、いよいよ秋の到来が感じられるボストンだが、スポーツの秋にちなんでこのところサッカーにソフトボールにと体を動かしている。もっとも、炎天下の中バレーボールをしたりテニスをしたりしていたことを思えば、「秋」というのはなんの関係もないか。

 サッカーは、MITの化学科のメンバーで作られたもので週に2回の練習があるのだが、今のところ僕は週1で参加。来月には大会が始まるようで、僕自身にとっては4年ぶりとなるサッカーの試合にちょっとわくわくしている。もっとも、実にさまざまな国から足に覚えのあるプレーヤーが集まっているチームだから、選手としてプレーできるかどうかまったく保証はないのだが。

 ソフトボールは、ボストンのLINUXのユーザーグループを中心に結成された「ロブギンス」というチームに飛び入りで参加させてもらっているもの。今月の22日にはボストン日本人会主催のソフトボール大会が開催されるとあって、ひそかに気合いを入れて練習に励んでいるのだが、僕以上にみなさん気合いが入っているとみえて、なんだか中学生のころの部活動を思い出したりして。大会本番が楽しみだ。


September 2, 2001
 その日は突然コンピューターの調子がおかしくなり、ここはフリーズする前にとばかりに再起動をかけたら、まあそれっきり。ハードディスクが認識できなくなり、「初期化しますか」なんて問いかけてくる。以来、あの手この手とそれはもう怒ってみたりなだめてみたり、コンピューターの機嫌をうかがいつつ手を尽くすこと10日あまり。悪夢からようやく目が覚め、このたび晴れて復帰と相成った。
 
 初めは何にも認識できなかったファイルの数々だったが、システムファイルやら電子メールのデータベースを含むインターネット関連のソフトのファイルやらが完全に損傷してしまった以外は、幸いにも9割方のデータを回収することに成功してようやく前の状態に。
 
 というわけで、しばらく更新が出来ないでいたらもう月がとうに変わってしまって早9月。ボストンはもうすっかり秋風が吹いている。



最終更新日:2001年 10月 22日