備忘録・2001年3月

日々の出来事やその日に仕入れた情報をお届けします

Friday, March 30, 2001
 昨年の8月から化学科のラボに参加していた、ドイツの大学院からの留学生が帰国することに。今日は、彼の送別ランチが行われた。

 ヨーロッパの大学では、ドクターコースの学生はある一定期間を別のラボに所属して研鑽をするという風習があるようで、別のラボにはその国以外、つまり外国にあるラボも候補の一つのようだ。僕が鎌倉の研究所に居るときも、イギリスから同じような状況の留学生がラボに参加していた。

 折しも朝から外の天気は、彼の帰国を惜しみ過ぎるほどの暴風雨となったが、まあこれも良い思い出となるに違いない。


Wednesday, March 28, 2001
 母校の甲子園という晴れ舞台での活躍から幾日。たくさんの方から、試合を見ての感想をつづったメールをいただいた。試合内容について、応援について、賛否両論。

 僕が試合に出たわけでも、応援の世話をしたわけでもないので、褒められたりした日には、なんだか面映ゆいけれど、不思議な縁で見知らぬ地の名も知らなかった高校を応援していただいたみなさんに、心から感謝いたします。

 さて、安積と同じ「21世紀枠」で出場の沖縄代表の宜野座(ぎのざ)高校は、昨日の試合で見事に東海地区優勝の岐阜第一高校を下して、甲子園初勝利。

 宜野座高校のある沖縄本島の北部地区は、「やんばる」と呼ばれる沖縄でも田舎と言われている地区。沖縄からは、もう何度も甲子園の決勝戦の舞台に駒を進めた高校が出ているけれども、いずれも南部の高校で、北部からはこれまでにおそらく「石川高校」くらいしか甲子園に行ったことがないと思う(たぶん)。そんな田舎の地方の中で、宜野座村という人口5000人ほどの、故郷の天栄村よりも小さな村にある高校が宜野座高校。野球部のレギュラーは全員同じ中学出身という、まさに村の学校だ。

 それだから、この一勝はかなり沖縄の人たちにも驚きであったろうし、やんばるの人たちに大きな勇気と自信を与えるものになったろう。なにより「21世紀枠」という下駄を履かせての甲子園出場で、地区優勝校を破ったのだから快挙と言えるかもしれない。

 安積が負けたその日、主将のもとに真っ先に電話をしてきたのが、宜野座高校のキャプテンだったとか。「安積の分まで頑張るから」と。そして、勝利インタビューに応えて「同じ21世紀枠で選ばれた安積の分までがんばりました」。

 試合当日には、牧野高野連会長のはからいで、21世紀枠の候補に挙げられながら選抜されなかった、町野高校と桐蔭高校のナインが宜野座高校のベンチの後ろに招待されたそうだし、毎日新聞の宜野座高校の応援メッセージの欄には、宜野座高校のOBに混じって、たくさんの安積高校関係者からのメッセージが寄せられている。こうしてそれまで名前も知らなかった高校が、同じ仲間として一体感を持っているというのは、この21世紀枠という制度の予期せぬ効果かもしれない。

 宜野座高校の西原校長は、次の3回戦の試合を迎えるその前日に定年を迎えるそうだ。自身、体育教師として過ごした教員生活の最後を、この高校で迎えたということが何にも代えがたい餞別になったに違いない。

 「地域の支えが評価されて選ばれて、これだけたくさんの地域の応援を受けて勝てた。21世紀枠でよかった。(実力だけで)すんなり選ばれるより、よかった。うれしいです」(毎日新聞より)とインタビューに応えた校長の言葉が、「21世紀枠」という新制度の真骨頂を表わしているような気がした。


Monday, March 26, 2001
 しぶといというか、あきらめが悪いというか、未練がましいというか・・・。といって、どこかの誰かさんのことではなくて、ボストンの天気のこと。

 今日は午後から見事なまでの吹雪となって、まだ新芽の気配のない木の枝や土色の歩道の花壇は、すっぽりと雪に覆われて冬景色に逆戻り。まだまだボストンの春は遠いのであった。

 「未練」とは、未だ心の鍛錬が足りないことであきらめがつかないことをいって、それが「がましい」というのは、いかにもそのような様子で感じが悪いという意味を表わしている。

 ボストンの天気に向かって「未練がましい」などと、もう春だと思っていた矢先に雪が降られたぐらいで文句を言っていたんじゃ、こちらこそまだまだ心の鍛錬が足りないか。このかまびすしさこそ、カッコ悪いのかも。

 まあともあれ、3月も今週で終わりだけれど、春はまだちょっとばかり気まぐれに顔を覗かせるだけのようで。


Sunday, March 25, 2001
 ボストン時間、午前4時半。安積高校の無念の敗退。

 まあしかし、アンラッキーな点数の取られ方ではあったし、なにより、最後の最後の9回にゲームを決めた13個目の三振が、138kmのストレートという、高校生としては文句なしの好投手を相手の健闘だから、素直に相手の強さを認めるべきだろう。安積ナインには、このセンバツを夏の大会への大きな試金石として、次は有無を言わせぬ自力で甲子園に戻ってきて欲しいと思う。

 次は、あの大応援団の輪の中で声を嗄らすべく、是非とも甲子園に駆けつけて応援しなくちゃ。

 さて、寝よう。


Friday, March 23, 2001
 何とも残念なことに、先日この欄で紹介したモントリオール・エキスポズ傘下の3Aに所属する根鈴選手が、球団から自由契約を言い渡されたそうだ。オープン戦では、外野と一塁をそつなく守っていたようだし、バッティングも決して悪くない成績を残していただけに、本当に残念。他の球団が、是非とも触手を伸ばしてくれることを祈るばかりだ。

 一方、ボストンの野茂投手と大家投手は、ウィリアムズ監督からそろって開幕ローテーション入りを宣告されたそうで、めでたくたった5人の先発投手枠を日本人二人が占めることになった。しかも大家投手は、フェンウェイパークの開幕戦となる4月6日のデビルレイズ戦での先発を言い渡された模様。

 昨年のフェンウェイパークの最終戦のマウンドにも大家投手が立っていたし、これはもう首脳陣の期待のほどがひしひしと伝わってくる。大家投手は25歳になったばかりの、まさに成長株。その期待に大いに応えて、今年もその活躍をボストンで肌に感じたいと願っている。

 さて今日は、学部学生会の主催で、カルテック(California Institute of Technology)の学長を務めるボルチモア博士のセミナーがあったので、学生に混じって拝聴してきた。彼は3年前までMITの教授だったので、まさに凱旋講演という雰囲気に包まれていた。

 ボルチモア博士と言えば、わずか37歳でノーベル賞を受賞した逸材で、若くしてロックフェラー大学の学長を務めるなど、政治力も万人の認めるところ。しかし、なによりも圧巻はやはり本職の研究でのその才の発揮ぶりで、ノーベル賞という栄光に浴してからもその才能は衰えることを知らず、最も影響力の高いと言われる「Cell」誌に破竹の74報を掲載していることを含めて、現在までに出版された論文は実に500報を超えている。

 今日のセミナーも、僕はてっきりこれまでの自分の研究の総括なんぞをするのかと思っていたのだが、なんと今まさに行われている研究のホットな報告で、学長の傍らラボを運営する手を休めていないその情熱には本当に恐れ入ってしまった。もっとも、あまりに早くに名声を得たおかげで、彼はもうすっかりおじいさんだと思っている人も多いが、実のところ63歳ということだから、まだまだ老け込むには早いのだけれど。

 なるほど、セミナーが行われたMITで最も大きな講義室の入口に、我先にと先を争う長蛇の列が出来るわけだ。しかも、講演の後に誰からも質問がないなんてのも、初めての経験。流石のアメリカ人も、気圧されるという感覚は持ち得ているらしい。もっとも、命知らずの我がラボの同僚は、果敢にも唯一の質問者として名乗りを上げたのだが。

 さあて、明日も実験、そして甲子園。


Thursday, March 22, 2001
 午前中に出向いていたハーバードからMITのラボに戻ると、その場にいた大学院生たちが突然、「We've got back Tomio from Harvard!!!(ハーバードからトミオを奪還)」と絶叫。こんなアメリカ人の明るさは、今ではすっかり心地好いものになってきていて、ここに帰ってくるとなんだかホッとする。

 しかし、そんな舌の先も乾かないうちに、今度は「そう言えば、トミオはもうそろそろ2年もここに居ることになるよな。まだ居るつもりか?」と、何とも厳しいお言葉。確かにバイオロジーのラボと違って、化学科のラボではポスドクは2年ほどで出世していくのが常だから、まわりを見渡すと僕よりも先にこのラボにいたポスドクは、すでに一人を残してみんな出世してしまっている。

 火のないところに煙は立たぬ。出世する材料がないことには、動きようがないのはどこの世でも同じこと。もう少し、居候させてもらいます。

 まあ、「俺たちが卒業するまでここに居てもらった方が楽しくていいけど」というフォローにホッとしつつ・・・、でもあと3年はおれんなあ。

 さてさて、第73回センバツ甲子園大会ももうすぐ。母校の応援団は、当初の予想を大幅に上回って、4,500人が、バス60台、新幹線1,200席で福島の郡山市から甲子園に乗り込むそうだ。ちなみに、以前この欄でも書いたように、甲子園では乗り入れの応援バスの規制を行っていて、一校の割り当ては50台。そこで、今回は対戦相手の金沢高校から10台分を譲ってもらったのだとか。

 ただし、問題はアルプス席の数。大会本部から割り当てられた席は3,500席とのことで、急遽500席を増やしてもらったそうだが、郡山から乗り込む応援団の分だけでもまだ足りない。そこで、内野席を800席確保したそうで、はからずもあの応援が外野と内野から聞こえてくることになりそう。

 安高ナインにも朗報。勝てば勝つほど嵩む応援団の旅費や自分たちの滞在費など、甲子園から800キロも離れた東北からの参戦組としては気になるところだけれど、そんな心配はまったく無用となりそうだ。というのも、安積高校の甲子園初出場を支援しようという募金が、なんと1億6千万円も集まっているそうで、これは、決勝戦まで心配いらないどころか、夏の大会でも甲子園までの旅費を心配しなくても良さそうな気配。

 いずれにせよ、こんな周りからの重圧に圧倒されずに、ナインには思いっきり甲子園という舞台を楽しんでもらいたいというのが本音ではある。


Tuesday, March 20, 2001
 安積高校の甲子園初登場まで、あと5日。当日の甲子園の天気予報は、雨50%とちょっと心配だけれど(って、ボストンで甲子園の天気の心配をしているのも変か)、晴れの舞台に幸運に恵まれて出場するだけに、そう心配することもあるまい。

 NHKが提供するインターネットライブのサイトもしっかりチェックしたし、開始時間が現地の日曜午後3時すぎということで、こちらは深夜の午前1時から完全カバーができそう。

 というわけで、この日の母校の試合中は、インターネット接続のためず〜っと電話は話し中ですので、念の為。

 さて、今日は日本では「春分の日」で祝日。昭和23年7月に「国民の祝日に関する法律」でこの名前になる前は、「春季皇霊祭」といったのだそうだが、さすがに今は誰もそんなことは言わないな。ちなみに、英語では「Vernal Equinox」というけれど、アメリカでは祝日にはなっていない。

 春分の日は、原則として太陽が春分点(天の赤道と黄道が交差する点。180度反対側には秋分点がある)を通過した瞬間を含んだ日(春分日)のことをいうので、天文学という「科学」のデータを元にして決められる祝日。なので、ある年の春分の日が何日になるかは、閣議で決定され前年の2月の官報に掲載されることになっている。つまり、春分の日が3月20日になるか21日になるかは、前の年に人為的に決められることになる。

 さて、天文学的に言えば、1年とは「太陽が春分点を通過してから再び春分点まで戻る期間」であって、その日数は「365.242194日」とされている。つまり、端数の分(約5時間49分)だけ1年ごとに遅れていって、約4年ごとに春分日が1日ずれることになる。そこで、このずれを解消して春分日を引き戻すのが閏年の2月29日。

 また、キリスト教において、「春分の日」は復活祭(イースター)を計算する起点となるため大変重要なのだけれど、キリスト教における春分の日は、3月21日と決められていて、厳密にいえば、今年のように実際の春分日とずれる年がある。ちなみに、現在の暦として広く使われているグレゴリウス暦は、実は春分日が3月21日からあまり外れないようにと考えられた暦である。

 ん、なんだかまた暦の話になっちゃったな。忙しいと、なんだかカレンダーを眺めていることが間々あって、まあ、その、こんな話が浮かんでくるというのも、現実逃避か・・・。


Monday, March 19, 2001
 『とうとう』チャールズ川を覆っていた氷が完全に解けて、風にそよいださざ波が川面に立つ風情をおがむことが出来るようになった。

 これは、うれしい出来事。

 先日ボストンに遊びに来てくれた後輩が、日本から持ってきてくれた「バレンタイン・チョコレート詰め合わせ」の中味が、『とうとう』無くなってしまった。

 これは、悲しい出来事。

 明日からは、ハーバードに早朝出向いて、午前中にMITに戻り、化学科と生物学科を行ったり来たり・・・という、なんとも体がいくつか欲しいような恐れていた生活が『とうとう』始まる。


Sunday, March 18, 2001
 アメリカテニス界の至宝、サンプラスとアガシの30回目の対戦となる、カリフォルニアのインディアン・ウェルズで行われた「the Tennis Masters Series」の決勝戦をテレビで観戦。試合は1、2セットを粘り強く勝ち取ったアガシが、第3セットを試合の流れに乗ってあっさり奪い、3対0のストレートで勝利を収めて、サンプラスとの対戦成績を13勝17敗とした。

 決勝戦の後には、対戦した選手が大観衆を前に挨拶をするのがテニスの試合では常だけれど、いつものことながら今日もアガシのコメントを聞いていて思ったのは、なんというか言葉というよりは声でちょっと損をしているかな、ということ。

 サンプラスの声は、まあ王者の貫禄を裏打ちするようなところがあって、聞いていて安心する感じなのだが、アガシはなんだか声に自信が漲っていないところがあったりして、たとえコメントにウィットが入っていてもすんなり染み入ってこないようなところがある。まあ、あくまでも僕個人の感想ではあるが。

 平安時代中期の短歌の世界の最高権威と言えば、『和漢朗詠集』や『拾遺抄』の撰者として知られる「藤原公任(きんとう)」ということになっているけれども、純粋に短歌だけをながめると、傑作と言えるような作品を彼は残していない。では、なぜ彼が最高権威におさまっているかと言えば、作った短歌は人前で詠み上げるのが常だった平安時代に、彼がたとえ他人の歌を詠み上げたとしてもとても立派に聞こえたというほどの、公任のその声の響きの良さのおかげだったようだ。紫式部の日記にも、彼の前ではとてもとても短歌を詠み上げるなんて恥ずかしくて出来ないと同僚の女官たちと意見が一致した、というくだりがある。

 アガシの観衆へ向けてのコメントを聞いていて、ふと藤原公任を思い出したという次第。

 まあ、アガシはあくまでもテニスプレーヤーであるから、声の質なんてことよりも、テニスが強いかどうかというただその一点が、彼の選手としての価値を決めているのではあるが。

 いずれにしても、アガシは僕と同い年であるから、そんな親近感もあって注目しているのだけれど、今シーズン2勝目を挙げてますます今年も活躍の期待大。


Friday, March 16, 2001
 春だ〜、と思わず小躍りしてしまいたくなるほどの春を思わせる陽気。チャールズ川を覆っていた氷も、日増しに川面の小波を見せ始めている。まだまだ安心は出来ないのがボストンの天気だけれど、確実に春は近づいている。

 安積高校野球部は、昨秋の大会以来の試合感を取り戻すために静岡県に遠征とのこと。さっそく昨日は練習試合が行われて、静岡の秋の県大会準優勝の島田商業に8対4と完勝したそうだ。「相手の金沢高校は、こちらが21世紀枠で出場の高校ということでかえってプレッシャーがかかるでしょうが、こちらはどこと当たっても胸を借りるだけですから」というキャプテンの言葉からして、これはなかなかに期待が持てそう。

 ところで、毎日新聞に僕の古巣である安積高校の新聞委員会の記事があった。なんでも、現在は2人しか委員がいないとのこと。僕が編集長のときには16人の委員がいたことを思うと、なんとも寂しい限り。もっとも僕の頃は、週末は「新聞委員会ソフトボール班」と称して、他のサークルや他校とのソフトボールの試合に精を出していたので、半分はソフトボール要員として勧誘したのだけど。いずれにしても、5,000部用意するという高校新聞が、晴れの舞台で多くの人に読んでもらえる幸運をかみしめて、是非頑張って欲しいと思う。

 さてさて、アメリカでは昨日から「Final Four」が開幕。これは、あらゆるスポーツで全米規模での大学一を決める大会を持たないアメリカの唯一の例外となる、バスケットボールの大学全米一決定戦。まずは4つの地区ごとに予選を勝ち抜いた16チームごとに、トーナメントが始まった。このそれぞれのトーナメントのトップの4チームを称して「Final Four」となって、4月2日にトップが決まる。

 どこが勝つかという話題でこのところ持ち切りだけれども、僕も仲間たちと優勝チーム予想に参加。これは、Yahooが主催する「Tournament Pick'em」というイベントで、トーナメントの1回戦の対戦から全ての試合、実に63試合の勝利チームをすべて予想するというとてつもない企画。初日は16試合が行われて、僕は10試合の勝利チームを当てたのだが、西地区2位のIowa Stateが敗れるなどの大波乱が続出して、参加者526,644人の中で16試合全てを当てたのは、なんとたったの2人という状況。ちなみに、現在の僕のランキングは 159,471位だそうだ。このランキングはポイント制で、2回戦、3回戦となるほどに予想が当たるとポイントがアップする仕組み。

 まあ、大学生の大会だから、日本で話題の「toto」と違って、たとえ僕のランキングが1位になっても一銭ももらえないけれど。


Wednesday, March 14, 2001
 「トミオ。今この本を読んでるんだけど、こりゃものすごく良いぞ。この作家、知ってるか」と、頭の切れ具合ではラボでも一、二を争うDがすっと差し出した本は、「Hikaru Okuizumi」という作家の「The Stones cry out」。英語で言われるとすぐにはピンとこなかったけれど、これは奥泉光の「石の来歴」という、彼の芥川賞受賞作となった作品の英訳本らしい。

 ほんの7、8年前に発表された日本の現代小説が、英語に訳されてアメリカで出回っているということに、少なからず驚いたのだけれど、何より、奥泉光の作品のようなかなり日本人的な純文学が、アメリカ人に受けるということに、新鮮な発見があった。まあ、英語の訳を読んだわけではないから、彼の複雑に交錯する現象を華麗に分かりやすく描くタッチが、どのように表現されているのか分からないが、入り組んだ場面設定と話の展開だけでも、或いはハリウッド映画よりも脳を刺激するのかもしれない。

 まあ、一番驚いたのは、この作家が日本で最も権威ある新人作家の賞を受賞していることを僕が話したら、「ああ、アクタガワだろ」と切り返されたことだったが。

 このラボにいると、意外にも日本の文化に興味を持つ学生が多いことに驚かされることもしばしば。禅に詳しい学生がいて、黒沢映画に目がない学生がいて、曙が引退したことを僕に教えてくれる学生がいて、イチローの日本の成績を根掘り葉掘り聞いてくる学生がいて、そして寿司を愛する学生がいて。

 彼らから日本のことを逆に聞いていると、まんざら日本も捨てたもんじゃないなと思えてきて、なんだか気持ちがいいもんだ。

 さてさて、待ちに待ったセンバツ甲子園大会の組み合わせ抽選の結果、母校の安積高校は、なんとも縁起よく1番くじを引いて、初日の第3試合(1回戦が2試合あるので2回戦第1試合ということになる)に石川の金沢高校と対戦ということに相成った。

 金沢高校は、左右の140km/hピッチャーをかかえるという何とも贅沢なチームなだけに、当日の試合は、我らの巧投手・松山君との投手戦になりそうな予感。初出場の舞台。興奮冷めやらぬ入場行進のあと、ただでさえ平常心でいることが難しそうな状況で、そんな緊迫した試合をすることになりそうなのも気の毒だけれども、ここを勝ち抜けばひょっとすると大きな自信となって、昨年の福島勢ベスト8に並ぶ成績が期待できるかもしれない。

 いずれにしてもあと10日。当日が日曜日なだけに、全国からOBもたくさん駆けつけるに違いない。創立以来117年の思いをこめて、声を涸らして応援する場面の多い、堂々とした試合を期待したい。それにしても、生で見れないなんて・・・何とも残念。


Tuesday, March 13, 2001
 ふう、今日のプレゼンテーションが終わって、あとは、今月末の締め切りに間に合うように今週中に研究費の申請書を書き上げて、ボスに添削してもらえば、しばらくは平和な日々がおとずれる予定。次回のミーティングでの発表は5月半ばだから、約2カ月は実験に集中できそうだ。

 さて、日本は年度末。このごろ、日本の友達から、異動の知らせや新天地での決意を綴った便りが届くことも多いけれど、そんな便りを目にすると、なんだかこちらも新鮮な気持ちを呼び覚まされる思いがする。

 慣れない土地での、新生活のスタート。もっとも、僕はどちらかというと、そんな境遇にわくわくしてしまうタチだから、そうしたワクワク感が呼び起こされるのかも。

 天栄村を離れて、仙台、鎌倉、そしてボストンと来て、いったい次はどこに行くんだろう。楽しみ、楽しみ。


Sunday, March 11, 2001
 ラボメイトのボーイフレンドに、日本語を解するアメリカ人がいる。彼は僕にキャンパス内で遭遇すると、普段の陽気さはみじんも見せずに、なぜだか知らねど決まって無言で最敬礼のポーズをとる。ほとんどのアメリカ人が、僕の姿を見るや「Hi!!」と挨拶してくることからしても、はたから見れば異様な光景ではある。

 そんな彼が、「4年も日本語を勉強したのに、未だに満足に話しもできない・・・」とぽつり。

 目の前には、かれこれ18年も英語を勉強しているにもかかわらず、満足に話しもできないツワモノがいるのだが・・・。

 さて、メジャーリーグ史上初となる日本人として初めての野手の座は、イチローと新庄がどうやらその手中におさめそうだけれど、彼らより一足先にもう少しでその栄光を目の当たりにするはずだった選手の話題を少し。

 レッドソックス傘下のマイナーリーグにも、実は2人の日本人野手がいるのだけれど、彼らはまだ1Aに在籍しているので、メジャーにまで駆け上がってくるにはもう少し時間がかかりそう。メジャーの座に手が伸びそうなのは、昨季エクスポズ傘下で3Aのオタワで活躍した根鈴雄次(ねれいゆうじ)選手。昨年、マイナーの一番下のルーキーリーグから、一番上の3Aまで一気にかけ登った選手だ。

 イチローや新庄とは好対照な、100キロを超える体重をゆらして外野を守るパワーヒッターで、並み居るメジャーリーガーと日本人選手のどうしても埋められないはずの体格差に敢えて挑戦し、そのパワーで渡り合おうとしている選手。

 彼は高校生のときに不登校症を経験し、一時アメリカ留学を試みたりしながらも、日本に戻ってもう一度定時制高校に入学。卒業後は、法政大学の野球部で代打の切り札として活躍したが、日本で注目を浴びることはなかった。しかし、野球を続けるために自費でアメリカに渡って、見事にマイナー契約を結んで、昨年の快進撃となった。27歳とは言えまだまだこれから。

 エクスポズはナショナル・リーグのチームだから、アメリカン・リーグのレッドソックスとの試合は、インター・ゲームとして3試合が予定されているけれども、今年はすべてモントリオールでの試合。フェンウェイパークで彼の勇姿を見ることは難しそうだけれど、是非とも伊良部が投げて根鈴が打つ、という試合のニュースを見てみたいものだ。

 ちなみに、彼のホームページには彼を身近に感じさせてくれる等身大の言葉がたくさん詰まっているので、是非ご覧あれ。


Saturday, March 10, 2001
 今日はなんだかとびっきりの疲労感が充満し、こりゃまた風邪でもぶり返したかなあ、という懸念に襲われたので、ラボからまっすぐアパートには帰らずに、反対方向のポータースクエアまで、「日本」を求めてちょいと遠出してみた。

 まずは「流石書店」にてぶらぶらと日本語の本を物色してまわると、昨年末に来たときには見当たらなかった江國香織と司馬遼太郎の文庫本をいくつか見つけて、躊躇なくドサッとレジに差し出す。疲れを癒すには「おもいきり」が一番。

 次に「寿屋」に寄って、夕飯としてカップラーメンの焼きそば($2.50)と即席おしるこ($4.10)を購入。で、あっという間に普段の夕飯代をはるかに上回る。はあ、「日本」は高い。

 まあ、精神安定剤として(?)チョコレートも忘れずに吟味。ふと、不二家からの新製品「クリスピー」を見つけて、すっと手が伸びる。帰ってから食べてみた感想は、「不二家だねえ」という僕のイメージに違わない納得の味。ここのチョコレートは今一つ味に深みがないと僕は思うのだけれど(不二家チョコレートの関係者の方がいたらご勘弁を)、それゆえチョコ単独で食べるにはちょっとばかり難がある。しかし、このチョコレートの味の薄さの補い方がこの会社はとても上手い。「クリスピー」も、薄板仕立てと銘打って、クリスピーウェファースをほんのり薄く覆っただけのチョコなのだが、そこが何とも嫌味のない飽きのこない味だと思った。

 というわけで、少々荒療法な疲労回復は、お金もちょこっとかかるのが難点ではある。


Friday, March 9, 2001
 明日MITで行われる「Student Day」なるものは、9月からの大学院への入学を希望する学生に対して、学生獲得のために大学の主催で行われるもの。日本の大学では聞いたこともないが、全米の主要な大学がこの時期にそれぞれ行っているもので、いわば「逆指名権争奪」のオープンスクール。

 毎年のMITの化学科への入学希望者は、世界中から500人ほど(留学生は3割ほど)。そこから約80人が入学を許可されるのだが、その全員がこの「Student Day」に招待されている。つまり、金曜日から日曜日までのボストンでの滞在費と旅費は、すべて大学持ちで支払われる。実際にMITを訪れるのは50人ほどだそうだが、それでもかなりの費用をかけて学生獲得に凌ぎを削っていることになる。

 この時期は、より良い大学院を見極めるべく、週末はこうした大学めぐりをする大学4年生があふれているそうだ。ちなみに僕のお弟子さんは、昨年7つの大学に招待されたとか。

 それぞれの大学が、ここまでして優秀な学生の獲得競争をしていることに驚くけれども、こうした大学自身の努力が、世界をリードするアメリカの大学の活きの良さを作り上げているのかもしれない。


Thursday, March 8, 2001
 突然の注文はいつものことだけれど・・・。

 明日の金曜日の夕方6時から土曜日の全日を使って、化学科主催の研究室紹介があり、それぞれの研究室のプロジェクトをポスターで発表する企画が催される。

 我がラボはもともと有機合成の分野でのスペースしかもらっていなかったので、生化学の分野となる僕のプロジェクトの紹介の準備はしないはずだったのだが、生化学の分野でのポスターのスペースが確保できたとかで、急遽ポスターを張ることになった。

 本来はこの企画は大学院生が取り仕切っているので、ポスドクの出る幕ではないのだが、いかんせんこのラボの生化学のプロジェクトはまだ始まったばかり。とにもかくにも協力するようにとのお達し。

 まあ、せっかくポスターでプロジェクトを紹介するからには、見てくれる人に少しでも興味を示してもらいたいというのが本音。どんな反応が返ってくるのか、ちょっと楽しみだ。


Wednesday, March 7, 2001
 ラボのメンバーが「ばった、ばった」と、風邪でダウンしていくのだけれど、それに反比例して僕の悪性の風邪はようやく快方に向かってきた。これって、やっぱり僕の風邪がみんなにうつっているということだろうか。

 まあ、それは気にしないことにして・・・。

 将棋の羽生善治は、5年前に将棋界に存在する7つのタイトルをすべて総なめにして一世を風靡した後、名人位と竜王位というトップの2タイトルを失冠して以来、とんと一般の話題に上ることはなくなったようだけれども、彼はいまだに残る5つのタイトルを保持して、将棋界のトップの座を揺るぎなく守っている。

 タイトルを4ついっぺんに抱えるだけで大騒ぎされる時代があった。それほど、タイトルを独占することは、技術的にも体力の面からも、そして何より、精神的に大変なことである。さすがに、タイトルを独占して7冠となった時は、世間からも騒がれ、またそれを長く維持することはできなかったが、5冠という状態を維持していながら、誰も騒ぎもしないとは。それが、羽生善治という1200年に及ぶ将棋の世界に現れた、「棋神」のそれたるゆえんか。

 つい先日防衛戦が行われた「王将戦」は、その5年前にこのタイトルを獲得して7冠を達成した節目となったタイトルだが、それ以来羽生はこのタイトルを防衛し続け、今年で6連覇を達成した。しかも、その間の7番勝負の成績では、24勝する間に実にこれまで3度しか負けていない。

 羽生の魅力は、その柔軟さ。

 頑固に一つのことにこだわるのは、美しくもあり、その上「守る」という面ではとても重要な要素となる。情報戦とも言われる現代の将棋の戦法は、細かい手順の前後で一気に優劣が決しかねないほど、得意技を細かく限定させてしまう要素に満ちあふれているが、しかし、羽生は柔軟にいろいろなことに常に挑戦し、一つの型には決してはまらない。「守る」には要領を得ないかもしれないそのすべは、だからこそ「攻め」に、つまりは挑戦し続けることになる。それは、まさに言うに易し行うに難し。だからこそ魅力的なのである。

 トップが尋常ならざる努力をしているのだから、それに追いつこうとする二番手以下のその大変さたるや。かなり同情しないでもない。

 羽生と僕は同い年。彼が広島カープの赤い帽子を被って小学生の将棋大会を席巻していた頃から、彼は気になる存在だった。といって将棋の実力で対抗意識を燃やしていたのではなく、大の大人がこぞって「天才」と注目するその魅力と、その期待を決して裏切らないその精神力に。

 羽生も人の子なれば、いつかはその強さにかげりが見えてくるときがやって来るのかもしれないが、そんな思いを大いに裏切ってくれそうな、そんな期待すら抱かせてくれる人物。

 頑張ってるねえ、羽生君。さてこちらも、チャレンジ、チャレンジ。


Tuesday, March 6, 2001
 今日はしっかりと昨日の借りを返すかのような正真正銘の「ストーム」となって、1日中吹雪。ボストン市内の積雪も20cmを超えて、またまた真冬に逆戻りとなった次第。

 2月の終わりに「春はもうすぐ」なんて書いちゃったから。ここで書いたことと、そっくりそのまま反対の気候になるジンクスは、どうやら今年も顕在のようで。

 ところで、窓のない地下室がメインの実験室である我がラボは、外の景色なんてまったく関係なく時が流れていくものだから、今日もいたって普通の火曜日。まさに吹雪なんてどこ吹く風。

 しばらく生物学科の研究室に行っていて、午後4時すぎにこちらに戻ってきたところ、机の上にメッセージと飲み物が置いてある。

 "I bring you tidings of great joy: HOT COCOA
  (in honor of the blizzard)."

 『とびっきりの楽しみをお届け・・・暴風雪を祝してココアでもどうぞ』と、指導している大学院生から「SEATTLE'S BEST COFFEE」のココアの差し入れ。この店のココアは初めて飲んだけれど、これがなかなかいける味。

 彼女はシアトル生まれサンディエゴ育ちで、ボストン中を席巻している「STARBUCKS」と同じシアトルを本拠地とする「SEATTLE'S BEST COFFEE」は、彼女のお気に入り。そのお勧めのこのココアの味は、なんというかチョコ好きにはたまらない惹かれる味。これまでに飲んだココアの中で、北海道は旭川の駅前商店街にある喫茶店のココアの味にとっても似ていて、なんだか北海道一人旅をしていた高校2年生の頃を思い出してしまった。

 というわけで、今日は猛吹雪のおかげで、おいしいココアという新しい発見があったという、なんとも乙な日だった。厳しい指導にさらされている大学院生にも、今のところなんとか嫌われずにいるようだし(まったく、要領を得ない説明で、それに従うだけでも相当大変だと思うのだけど、その我慢強さには頭が下がる)。

 さてさて、アメリカではメジャーリーグ野球の開幕へ向けて、連日オープン戦が行われているけれども、ここにきてシアトル・マリナーズのイチローの評判が急上昇中。まあ、いきなりの審判批判を非難されて、審判団のブラックリストに早々に名前を挙げられるなどのマイナスの声も聞こえてくるけれども、それもご愛敬。今日のメジャーリーグの公式ホームページの表紙を堂々と飾っているあたり、やはりただ者ではない。

 というわけで、ストームなボストンから「シアトル」ネタいろいろ。


Monday, March 5, 2001
 昨日の夜から、ボストンにはストームがやって来るとの警告がひっきりなしで、今日は朝から小中学校が休みになったり、MITの事務系の職員も午後3時で退去命令が出たりと、慌ただしい日だった。

 ラボの面々も一様に午後6時を過ぎるとそそくさと帰り支度を始めて、ご丁寧にもこちらのベンチまでやって来ては「早く帰った方が良い」と忠告してくれる。

 ふと何年か前に鎌倉の研究所に居たときのことを、みんなの対応を見ながら思い出した。正月明けの関東地方では珍しいほどの突然の大雪に、研究所内には帰宅命令が出ていたのだけれど、そこは北国育ちの身ゆえ、悠然と構えて最上階の実験室で一人実験をしていたら、同じ部署の人が現れて「研究所には、もう君しか居ないってこと、知ってる?」との忠告。確かに研究所はもうもぬけの殻で、あわててその方と寮まで一緒に車で帰ったら、普段30分ほどの道のりが、交通網の大混乱で3時間もかかったことがあったっけ。

 が・・・、今日のボストンの肝心のストームはそれほどでもなく、24インチ(約61cm)と予想されていた積雪も、強風に煽られたみぞれが舞うばかりで、シャーベット状に道を覆うばかり。それでも除雪車はきちんと出動しているし、道はスムースに車が流れているし、いたって何の混乱もない模様。歩いて通う身には、むしろきちんとした雪が降ってくれる方がよいのだが、まあ60cmも降られても困るし、贅沢は言うまい。

 もっとも、今夜から明日にかけてさらに積雪が予想されているし、木曜日に一段落するもののほぼ1週間は気を許せない状態だとか。

 いずれにしても、ボストンにはまだまだ春の訪れは遠いようで。


Sunday, March 4, 2001
 8日間の滞在となった後輩君は、無事に昨日の午前6時のデルタ航空機で日本への帰途についた。2年足らずのボストン生活の間に、日本からはるばる遊びに来てくれたのは、実に彼で14人目(11組)となるし、今後も9月までにすでに3組の訪問の予定が入っている。まったくもって、ありがたい。

 何ともタイミングの悪いことに、彼がボストンに降り立ったときには、こちらは風邪の峠の真っ只中。今年の風邪はたちの悪いことこの上なく、もう1カ月も完全に治らない状態で10日ほどでピークがやってくる。今回は3度目のピークだった。

 まあ、ボストンまでせっかく来て、持って帰ったお土産が「たちの悪い風邪」では申し訳ないと思っていたら・・・情けないことに週の後半はこちらの風邪が悪化して、熱が出て食欲が全く無くなってしまう事態。こちらが心配するどころか、心配されてしまうことに。はあ、どうもご迷惑をかけました。

 さてさて、『備忘録』のおまけとしてお伝えしていた【今日の科学情報】を『きょうの科学情報』としてジオボードに独立しました。質問や感想などもお待ちしています。



最終更新日:2001年 4月 8日